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占いについて #04

 稲荷山先輩は、仕事であれ、プライベートなことであれ、ありとあらゆる質問にまともに答えない、もしくは答えられない人である。
 必要としている情報は決して与えてくれず、どうでもよい話をしてはぐらかす。それがどうもわざとではないようで、そこが又不思議であるのだけれど。
 先ず、メールでのやり取りがない。席が隣でも、出張、打合せ、出向などがあり、毎日顔を合わせるわけではないから、必要な情報を教えて欲しいのだけれど、夜中にどうでも良い電話をかけてくるくせに、たとえば取引先の担当者の変更、業務の引継ぎ、アポイントメントの変更など、どういうわけなのかまったく教えてくない。それは完全に業務上必要な手続きなのだが、おそらく単に面倒くさいという理由から、一切やらない。こちらからメールを送っても、一切返事が来ないから、打ち合わせに来るかどうかすら、当日、当時間になるまでわからない(まあ、来なくても本人が困るだけだが)。
 一度だけメールをもらったことがあるけれど、5W1Hがハッキリしない意味不明の文章で、何度も聞き返さなければ、知りたい情報へと辿り着くことができなかった。苦手なのはメールを打つことそのものではなく、文章を書くことではないのか、と思い当たる。だから、面倒くさいのだ。ひょっとしたら、5W1Hが曖昧模糊としているのは、文章においてではなく、頭の中でのことなのかもしれない。
 ところで、いくら5W1Hが頭の中でごっちゃになっていようとも、記憶障害があるわけでもなし、自分の過去ぐらは把握しているだろうから、プライベートな質問をしても返答がほとんど返ってこないのは秘密主義と言えよう。隠さなければならないことが本当にあるのかは別にしても。
 過去が謎に包まれているのは、稲荷山先輩研究においてかなりの欠落であるかもしれないけれど、かえって研究意欲を唆られはしないだろうか? だからといって、推測に基づいて勝手な空想(妄想)を逞しくすることは研究者倫理にもとるのだから、地道にフィールドワークしなければならない。
「そういえば、先輩ってどちらのご出身でしたっけ?」
「うーん」
「うーん? 東京ですか?」
「いやいや?」
「関西じゃないですよね。訛りもないし」
「東北でもないよ」
 だからどこなんだよ!
「年末は実家に帰ったりしないんですか?」
 すると肉に埋もれた細い目がじーっとこちらを凝視してくる。
 答えないのかよ!
 ところが、年齢を訊いたら素直に答えてくれたので驚いたけれど、実は驚くべきは答えた内容の方だった。歳下だったのかよ!
 ただし息をするように平気で嘘をつくから、信用はできない。守衛の守山さんにはため息まじりに「もう還暦だから、階段がつらくてね」などと言ったというのだ。
 アドバスはすれど(三峰主任に気をつけろだの、評判が悪いぞだの、ジムへ行けだの)、人の忠告や指示は絶対に聞かない(バイク通勤禁止や副業禁止の社則は守らず、占いの名刺を取引先に配るなという石切峠課長の命令も馬耳東風、体に悪いからカップ麺を止めた方が良いというぼくの提案はシャットアウトされた)のと同様に、質問にはほとんど答えないくせに、やたらと質問してくる。生年月日(たぶん占われてる)、血液型(たぶん性格を判断されてる)、出身地や家族構成から、学歴、彼女の有無まで。
 ぼくの出身大学を教えた翌週、その大学のロゴが入ったクリアファイルやバインダーを先輩が仕事で使っていたのは、一体全体どういうわけなのだろうか、ちょっと恐くて訊けなかった。……

 生年月日、名前、血液型、そして驚くべきことに電話番号(携帯番号占いなる馬鹿馬鹿しいモノが存在するらしいのだ)などの情報から、ぼくが稲荷山先輩によって占われていたことは間違いない。そんなことを頼んだ覚えはないし、知らないところで占われているのは気持ちの良いことではないけれど、そもそも信じてもいなければ、価値を置いてもいないのだから、放っておけば良い、という風にはならない。なぜか。それは坊主に憎けりゃ袈裟まで憎いで、ぼくが占いを嫌悪するようになったからである。
 稲荷山先輩研究にあって、絶対に重要なのは、未だ神秘のヴェールに包まれている彼を形作った過去(出身地や家族、幼年期〜思春期の出来事)という物語ではなく、彼の一切の思考の基盤であり、価値判断の基準であり、更には価値そのものの源流である占いについて明らかにすることなのである。
 そもそも占いとは何なのか、かくも非科学的で原始的な、全く根拠のない、あるいはまるでデタラメな根拠(生年月日、干支、氏名、星座から、果ては飲み干したコーヒーのカップに残った染みだの携帯電話番号まで)に基づく未来予測が、なぜなくならないのか、いよいよ本格的に論じるべき時が到来した。

(続く)

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