占いについて #03

 稲荷山先輩は成人病の総合デパートみたいな人である。高血圧、高血糖、痛風、メタボリックシンドローム、肝脂肪、高脂血症、糖化……髪は白く薄くなり、実年齢の十は上に見える。
 健康診断はいつも要再検査だけれど、絶対にそれを受けない主義で、薬は一切服用していないし、主治医もいない。しかし、主占い師がいて、稲荷山先輩の長生きを保証しているという。しかし、占うまでもなく(そして診断結果を待つまでもなく)、彼の姿形を一目見ただけで、今すぐに食事療法と運動療法を薦めるべきだと思うのだが。
 太りすぎてスラックスの前のフックがかからずいつも開きっぱなし、耐えられぬほどの負担が脚にかかり、立ち姿を後ろから見ると、膝から下が内側に歪曲している。そのためか歩幅が狭くヨチヨチ歩きしかできず、少し歩いただけで息が切れ、異様に汗が噴き出してくる。
 最寄駅から会社までぼくの足で十分足らずのところを、途中で休憩を取らないと来られず、スーツの上を脱ぎワイシャツの前をはだけ、全く無関係なビルディングの前の植込みのブロックに腰かけて、携帯扇風機を上気した顔に当てて涼んでいる姿は、かなり異様である。その様を見れば、占いの「う」の字を知らぬ人でも「あなた死ぬわよ」と告げることだろう。

 稲荷山先輩の不健康を支えるのは、徹底的な運動不足と破綻した食生活であることに間違いない。
 あれだけ太っているから運動が億劫になるのは仕方がないかもしれないけれど、ぼくのウエストのあたりをしげしげと見つめて、「最近太ったんじゃない? ジムに行った方が良いよ」などとのたまうのだから恐れ入る。
 決して階段を使わない。階段を上っているところを見たことがない。最近では電車通勤で立っていることもできなくなり、とうとう会社で禁じられているバイク通勤に切り替え、ますます運動しなくなった。なぜそんなことまでぼくにわかるかと言うと、①汗まみれの出社姿が見られなくなった。②守衛の守山さんが、稲荷山先輩がスクーターに乗って通り過ぎる姿を見かけた。「サーカスの熊が自転車に乗ってるみたいでしたよ!」③退社するところを尾行して、近くの大学病院の駐輪場にスクーターを停めていることを確認し、携帯電話のカメラで撮影した(尾行までするなんてますます思春期の片恋みたいで、ぼくもけっこう病んでいるのかもしれない)。
 しかしながら、運動不足よりもずっと大きな問題はその食生活にある。先輩は昼にカップ麺を三食分食べる。最寄りのコンビニで買ってくるのだが、四個買うと(三時休憩にもう一個食べるのである)割り箸が四膳ついてくるから、一日で合計二膳余る計算で、デスクの抽斗が箸で溢れんばかり。
 稲荷山先輩がぼくの隣でカップ麺三個食いしていることは、色んな意味でストレスとなる。高血糖で高血圧の先輩が、糖質と塩分と環境ホルモンと化学調味料しか摂取していないことが気になって仕方がない。噛まずに、麺を飲んでいる、たまにカップ麺に飽きたのかパスタにすることもあるけれど、そのときも麺を飲んでいる。消化に悪いんじゃないかと、ハラハラしているぼくがいるのだ。
「これ以上太りたくないから、砂糖は摂らないことにしている」と、甘いものを避けている先輩が、昼食(そして間食)に大量の糖質をズルズル吸引していることに何の矛盾を感じていないのは、一体どういうわけなのか。
「ラーメン一杯の糖質は、角砂糖二十個分もあるらしいですよ」などと、ネットで仕入れた情報をやんわりと告げてみたりもする。
 返事もしないし、相槌も打たない。都合の悪い情報は全てシャットアウトされているようなのだ。顔色ひとつ変えず、ズルズルやってる先輩はもはや糖質吸収マシーンと化している。
「あの、野菜とか食べないんですか? タンパク質も重要ですよね」
 聞いているのか、いないのか、何の反応も返ってこない。
「サンドイッチなら、簡単に野菜やタンパク質も摂れますよ」
「嫌い……サンド……イッチ……」ズルズルの合間に切れ切れに呟きがもれた。
 ひょっとしたら糖質、食物繊維、タンパク質について何も知らず、ただ砂糖の摂りすぎは体に悪いと(そのこと自体は間違っていないけれども)頑なに信じているだけなのだろう。
 それにしても、そもそもなぜぼくが先輩の健康を気にかけなければならないのか? 恩人だからか? いや、もうそんな義理はないはずで、むしろ放っておいて、健康が蝕まれるままにしておけば良いはずだ。
 そうだ、ぼくは先輩のことを心底、生理的といえるまでに嫌っているはずなのに、なぜ心配しているのだろうか? それとも、心の奥底ではその死を願っていて、そのことに無意識のうちに罪の意識でも感じているのだろうか。それとも、占い信者の先輩に占い嫌いのぼくが「あなた死ぬわよ」と面と向かって予言できないから、間接的そのことを伝えようとしているのか。いや、ぼくの内面のことなどどうでもよろしい。問題は、先輩の方にある。
 この稲荷山先輩は、一体どこの出身で、どのような親に育てられ(いっぺん親の顔が見てみたい)、どのような遍歴を経て現在に至るのか、そして実のところ、朝と夜には何を食っているのか(まさかカップ麺ということはないだろう)、更にはどのような性生活を営んでいるのか、何ゆえ占いを信奉し、占い師を目指しているのか。改めてぼくは先輩のことをほとんど何一つ知らないのだと気づいて、愕然としたことであった。

(続く)

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