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占いについて #06 完結

「全てに理由がある」と先輩は言った。「因果応報ってわかるか?」
 上から目線で訊かれて、今度はぼくの方こそ過剰に反応してしまった。仏教のこの言葉は、時には亡くなった方々の尊厳を傷つけるものではないのか、少なくとも、ぼくはそう受け取った。
 とうとうその時が来たのだ、稲荷山先輩と対決する時が。
「ええ、わかりますとも。因果応報とは、たくさん食べると太る、運動しないと太る、嘘をつくと信頼を失うということです」
 ちらりと顔色を窺うと、驚いたことにまったく動じていない。聞きたくないことは、完全にシャットアウトできるというスーパーパワーの持ち主であることを、あろうことか、ぼくは忘れていたのだ。
「それにカップ麺を三個食べると……」どうなるというのか。少なくとも、体に良くないだろう。
 ここで稲荷山先輩は実に嫌なため息を吐いてみせた。「馬鹿だなあ」
 何の戦略もなしに、感情に任せて立ち向かったのは、ひょっとしたら失策だったのではないのか。だからといって、諄々と諭すことが通用する相手とも思えないが。深呼吸して、かつて付き合った占い好きな女性たちの顔を思い浮かべる。
 たしかに、煙草を吸うと癌になるとか、過度な飲酒が肝硬変を引き起こすとでも言っておいた方が、まだ説得力があったか。しかし、稲荷山先輩はそのどちらも嗜まず、実のところ、ぼくの方がヘビースモーカーであり、大酒飲みであったのだ。考えてみれば、いや、考えてみるまでもなく、カップ麺より体に悪い習慣である。文化人類学や認知心理学のテキストを紐解くまでもない。
「ぼくはね、占いで長命と出ているんだ」
 これだ、大の男が科学的になんの根拠もない全くの絵空事を、自信満々に、しかも上から目線で口にする。そして如何なる反論も受けつけない。この愚鈍なる頑迷さが、ぼくには耐えられないのだ。
「中古だけどマンションを購入したよ。20年ローンでね。まあ、投資のつもりなんだけどね。融資を受けるのに生命保険に加入しなきゃならなかった」
 この野郎、あと何年生きるつもりなんだ!
「それじゃ、亡くなった方々はどうなんです? 占いで今年亡くなると出ていたんですか? 占いなんて何の役にも立たないじゃないですか」
「いや、ぼくの人生では、占いは全部当たったし、アドバイス通りにやればうまく行ったし、満足してるし、幸せだし」
 まともに歩くことすらできず、成人病の総合デパートのくせに治療も受けず、ボロマンションのローンを組んで、昼にはカップ麺を三個食いする人生が、幸せだと。
「そういえば、去年すごく体調が悪くて寝込んだことがあったけど、今思えば死者に引っ張られていたのだなあ」
 おーい! いきなり何を言い出すのか。
「ちょっと、それ会社に報告しましたか? PCR検査を受けたんですか?」
「もしかしたら、誰かの黒魔術だったかもしれない」
 この未開人め! 人としての務めを果たしやがれ!
「あの……占いなんて、大震災もパンデミックも予言できなかったじゃないですか。なんですか、津波で亡くなった人たちは皆、水難の相が出ていて、新型インフルエンザに罹患しても無症状だった人の生命線は、くっきりして長いとでも言うつもりですか?」
「いや、ぼくの人生では、占いは全部当たったし、アドバイス通りにやればうまく行ったし、満足してるし、幸せだし」
 蒙昧の闇の沼へと引き込まれゆく、この感覚。
 そもそも初めから同じ土俵に立っていない者同士が戦うことが、果たして可能であるのか。占いが啓蒙の限界であるならば、無知蒙昧な人間とは議論が成り立たない。
「人は皆、年をとって病気になって死んでゆくのです、もし事故に遭わなければの話ですが。戦争や大地震がなく、犯罪に巻き込まれなくても、ただ老いぼれて耄碌して死ぬんです! だから占いには意味がない!」
「君は……」肉に埋もれた目がじーっとこちらを凝視してくる。「なんだか、ちっとも幸せそうじゃないね」
 ギクリとした。

 飛躍的な医学の進歩によって次々と難病が克服され、画期的な政策により世界から貧困と紛争が無くなり、理論物理学が宇宙の神秘をとうとう解き明かしたとしても、占いはなくならないんだろう。それが適応というものである。占いを信じている人は、聡明だからという理由ではなく、それどころかその愚鈍さゆえに、信じていない人より長生きしてより多くの子孫を残す可能性がある。統計を取ってみれば良い。これから稲荷山先輩が結婚して、子どもをつくったとしても、もはやちっとも驚かないんだから。そうして、ぼくの方は独り身のまま老いてゆくのだろう。
 だから、ダイエットも運動もせず、医者にもかからず、とうとう虫の息で死の床に就くことになった先輩に、「占いは外れましたね、まあ、当たらぬも八卦と言いますから」とでもその耳元で囁くことが、いつしかぼくの念願になってしまった。
 だけど近頃、ぼくは不安にかられている。連続して亡くなった同僚の三人はいずれも健康に気を使い、運動して体型を維持して、煙草どころかカップ麺すら口にしない人たちだったのである。ひょっとしたら、稲荷山先輩はぼくよりずっと長生きするかもしれない。飲酒と喫煙の習慣はじわじわと確実にぼくの健康を蝕んでいることだろう。それは偶然でも、不条理でもない。
「全てには理由がある」と、ぼくの葬式で先輩は嘯くことであろう。そして、不摂生が原因であるぼくの死を、占いを信じなかった不信心の「因果応報」と受け取るかもしれないのである。
 たまらんなあ。
 ほんの少しでもいいから、稲荷山先輩より長生きしたい。禁酒禁煙は当然のこととして、他にどうすれば良いのか、ひとつ占ってもらうことにしよう、こっそりとね。

(了) 

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