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自己紹介 趣味編


私は来年、還暦を迎えます。

暦を一回りするにあたり、どんな趣味を楽しんできたかを
振り返って見ようと思います。


1 幼少期

私は幼稚園から小学校1年の頃に図画教室で図画を習っていました。

父も母も絵心は全くありません。

私もなぜ図画を習っていたのか、両親に聞いた事もなく、未だに不明です。

しかし、あの頃の体験が私の人生に大きく影響を及ぼしている事は確かです。

私の少年時代は今のようにサッカーがあまり知られておらず、スポーツと言えば野球の一択のみでした。

同級生は放課後に少年野球で練習をしていましたが、私は野球をする事が苦手だったので、放課後は帰宅して再放送のアニメばかりを見ていました。

2 思春期

中学1年のときに、鳥山明さんのDr.スランプと出合い、アニメ好きと幼少期の図画の習い事の影響でイラストを描くことに楽しさを見い出しました。

さらにイラストを描くことが好きな友達に出会ったことも大きく影響しています。

一時期は漫画家になろうかな、なんて事も考えましたが自分の才能のなさを知り諦めました。

高校に進学してからは、体操部に所属し、
毎日、バク転、バク中の練習に明け暮れました。

なぜ体操部なのかと言いますと
当時、トシちゃんやマッチ、少年隊が全盛期で、バク転ができたら女の子にモテるんじゃないかなんて思った…
ただそれだけのことです。

結局、女子の前でバク転を見せたら…
「猿みたいや」と言われた事は未だに忘れてません。

また、これも友達の影響なのですが、
イエローマジックオーケストラや、忌野清志郎のRCサクセションをよく聴きました。

もう皆さんお亡くなりになられました。
御冥福をお祈りします。
(あっ、細野さんはご存命でした。すいません。)

学校の成績はと申しますと
勉強もせず、深夜ラジオばかり聴き、昼の授業がおろそかになり成績は下がる一方でした。

そのせいで大学受験に失敗し、高卒という学歴で社会に出ることになってしまいました。

3 社会人

社会に出てからは、バブル全盛期を経験し、その後バブルの崩壊、3度の会社倒産に会いました。
その間に結婚、子供の誕生を経て現在に至ります。

3-1 独身時代

車の免許を取得してからは友人達と週末によくスキーに出かけたものです。主に琵琶湖バレイへ行きました。
土曜日の夜中に地元を出発し、明け方に現地に到着、夕方まで遊び、9時頃に帰宅。翌朝また会社に出勤というハードスケジュールで遊びました。
よくまあ寝ずにこんなに遊んだものだ。
今では考えられませんね。

夏は和歌山県南部へ友人達とキャンプに出かけました。
これまたスキーと同じくハードスケジュールで遊びました。

家では、格闘ゲームが好きで、ストーリートファイターⅡや餓狼伝説などをしょっちゅうやっていました。
あと、当時F1がブームでレースゲームもよくやりました。

そんなこんなで28歳で結婚するまでは良い友達にも恵まれ、いろんな事に興味を持ちました。

3-2 結婚後

結婚後は家族のためにあちこちへ出かけました。
独身時代に培った遊びを子供たちにも体験させてやろうと思い、夏は和歌山県へ海水浴やキャンプ、冬は滋賀県へ雪遊び
春と秋はお弁当をもって公園へピクニックに行きました。

やがて子供たちが思春期を迎え、成人し接する機会も少なくなっていきました。

次第に妻と二人で出かけることが多くなり、歴史好きの妻の影響でいろんな城巡りをするようになりました。
姫路、高知、彦根、岐阜、名古屋など
NHK大河ドラマが放映されている年に行きました。

3-3 コロナ中~後 

コロナ中に父親が他界し、コロナ後にSNSをはじめました。
Xから始めて、アメーバブログも数十カ月ぶりにやり始めました。
次にインスタグラムも始め、同じころにこのnoteも始めました。
どれもこれも中途半端ですが、今は一番の趣味になっています。


5 最後に

ざっと興味を持った事を紹介しましたが、他にもまだいろいろあります。
そのことはまた今度として、今回はこの辺にしておきます。

浅く広く、多趣味の私はこうしてできたのかも知れません。

ご視聴ありがとうございました。

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