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家族って何だろう。

家族との別れは、いつかやって来ます。
そんな事を考えた事はありませんか。
今回は、還暦を迎えるにあたり
家族との別れについて語ってみたいと思います。


第1回  祖父母 編

1 祖父母

世の中には両親や方親がおられない方も沢山いらっしゃいますが、私は両親に愛されてこの世に生まれ、一昨年まで両親とずっと一緒に暮らしておりました。
そして、その両親を育てたのがそれぞれの祖父母です。

1-1 父方の祖父母

父方のおじいちゃんは、私が3歳の時に他界し、どんな人だったのか全く知りません。
知っている事は親戚の家にある仏壇の写真の顔だけで、私の父親と同じ顔をしています。
亡くなったのは50代だったと聞いています。

おばあちゃんは私が高校1年の時に亡くなりました。
近所に住んでいたので、よく行ってはお小遣いをもらい、駄菓子を買っておばあちゃんちで遊んでいました。
昭和なのに、いつも着物姿で口数は少なく物静かなおばあちゃんでした。
私は叱られた事もなく、かといって凄く可愛がられたという記憶も無く、空気のような存在の人でした。
亡くなる頃には私も大きくなり、おばあちゃんちである親戚の家にも行かなくなっていました。
そして、訃報を聞きお通夜とお葬式に参加しました。
思春期の私は「男子たるもの人前で泣いてはいけない」
そんな思いが強かったので、なるべく感情を抑えていた。
お葬式は淡々と進んだような気がします。
亡くなった年はセミの泣き声が止まない凄く暑い夏でした。
私にとっては初めての身内との別れでした。

1-2 母方の祖父母

母方のおじいちゃんは、父方のおばあちゃんが亡くなった1年後に亡くなりました。
癌に侵されていたようです。
定年退職後にヤクルトの配達をしながら、地域の人達に愛される社交的な人でした。
中学校入学のお祝いにもらった自動巻きの腕時計は、もう動かないけれど今でも大事に持っています。
同じ地域に住んでいたのですが、会うのはお盆や正月くらいで、会った時はよく「かんちゃん、かんちゃん」と世話をやいてくれたものでした。
おじいちゃんちは、かまどや掘りごたつが残っている昔風の家で、おじいちゃんちへいくのはいつも楽しみでした。
癌に侵されおじいちゃんは、日に日に衰弱していったようです。
訃報を聞き、お通夜に出た時
会ったおじいちゃんは棺桶の中で冷たくなった姿でした。
この頃も思春期の私はなるべく感情を抑えてお葬式に出ました。
一番私を可愛がってくれたおじいちゃんだったので、その夜、入学祝いにもらった腕時計を見ながら少し泣きました。
もういないんだなぁ…と思いながら。

おばあちゃんは17年前に亡くなりました。92歳でした。
こちらのおばあちゃんも口数が少なく、父方のおばあちゃんと同様に叱られた事も無く、凄く可愛がられたという記憶もありません。
しかし、私が42歳の時おばあちゃんが亡くなったお葬式で、私は今まで生きてきて、これほど泣いた事が無かったと言うくらい泣きました。
涙が止まらなかった。
空気のような存在のおばあちゃんだったのですが、あの止まらない涙はいったい何だったのだろう。
私も歳を重ね、もうこの人には二度とあえないのだということが分かる年齢になったのでしょうか。

2 最後に

こうして、私の祖父母は他界し、40代で全ての祖父母に別れを告げました。
ここまでは、もう二度と会えない別れでしたが、次回は妹との別れを語りたいと思います。


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