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私が「世界史A」を嫌いになれない理由

皆さんは、『サン・ラザール駅』という絵画をご存じですか?

サン・ラザール

私は絵画について特に詳しいわけでもなく、絵を描くのも正直得意ではありません。だから、クロード・モネが描いたこの絵画作品(正確には連作のうちの一つらしいです)、『サン・ラザール駅』についても、どのような経緯で描かれることになったのか、どんなメッセージが込められているのかは今でもよく分かりません。

でも、この作品は、私にとっては、とても大切な作品なのです。

2年前のこと。

当時、受験勉強真っ盛りだった私は、刻一刻と近づいてくる大学受験本番に向けて、これまでにないほど勉強に熱中していました。受験勉強が生活の中心にある中、私の中でストレスだったものの一つに、高校の「世界史A」の授業がありました。

私は、社会科系の科目は「地理B」と「倫理・政治経済」を履修していたので、世界史は受験勉強では使わない科目でした。

「受験で使わない科目を授業で受ける」となると、受験生は途端にあることをし始めます。

内職です。

受験で使わない授業の間は、机の陰に隠れてコソコソと、他の科目の勉強をするのです。もちろん、自分が受験で使う科目の勉強です。私も例に漏れず、英単語帳をうつむきながら眺めることがよくありました。

正直、今振り返ると先生にはバレバレだったと思います。それでもあまり叱られることがなかったのは、先生の慈悲による部分が大きいと思います。お慈悲、感謝です。

しかし、「世界史A」は違いました。

「世界史A」の授業を担当していた先生は、「内職絶対反対精神」の持ち主でした。授業が始まるごとにクラス中の机の上を確認し、教科書とノート、資料集以外のものがあろうものなら、即刻晒し上げられます。

まさに、「悪・即・斬」です。

年配の方で圧も強かったので、私はこの授業では、内職をしないことにしました(クラスの中にはそんな中でも内職を続ける猛者もいました。私は尊敬の眼差しと共に、彼らを応援していました)。

とはいえ、教科書をただひたすら反芻するだけのこの授業は、私にとっては苦痛以外の何物でもありませんでいた。前日解いた模試を頭の中で復習したり、塾で何を勉強しようか考えたりしてどうにか時間を有効活用しようと試みましたが、頭の中だけでできることには限りがあります。

「はよ終われよ!」

授業の始まりから終わりまで、私の頭の片隅には、この言葉がずっと居座っていました。

そんなある日の「世界史A」の授業中、私はふと机に置かれた資料集を開きました。資料集は授業で使用しているものなので、開いていてもお咎めをくらうことはありません。

私は「地理B」を履修していたので、資料集に載っている世界地図でも見て、”合法的に”内職をしてみようと試みていました(こういうずる賢いところは、良くも悪くも私の性格と人生の原点だったりします)。

ぺらぺらと資料集をめくっていた私の手は、あるページのところでピタッと止まりました。

思わず開いたページには、西洋美術史の勉強のために必要な、ある年代の主な有名西洋絵画がまとめられていました。今はもうその資料集は手元に残っていないので確かめることはできませんが、ルノワールやモネの絵画が載っていたことは憶えているので、恐らく印象派についてまとめたページだったのでしょう。

前述のとおり、私は絵を見ること自体は好きだったので、ちょっとそのページを覗いてみることにしました。その時は、ほんのちょっと覗くだけの、息抜きのつもりでいました。

しかし、そのページの中に、グッとくる一枚の絵を見つけてしまったのです。それが『サン・ラザール駅』との初めての出会いでした。

別に、私が印象派が好きだったとか、汽車好きであったとか、そういうわけではありません。ただ、この絵の中の、駅舎の奥に広がる、蒸気に隠れて見えなくなってしまった街並みの風景がどうなっているのか、とても気になったのです。

それからの「世界史A」の時間は、この『サン・ラザール駅』の奥に広がる風景について、一人で考え続ける時間になりました。とはいえ、『サン・ラザール駅』は実在の駅なので、スマホでググれば一瞬でその風景が出てくるはずです。でも、当時の私はなぜかそうしませんでした。

『サン・ラザール駅』という題名は資料集にも書いてあったので分かったのですが、その場所についての歴史的な・文化的な知識がなかったので、私の想像する風景は、ほとんど「妄想」に近かったと思います。

あまり詳細には憶えていませんが、一番よく思い浮かべたのは、「マリオカート」に登場する、「キノピオハーバー」というステージの街並みです。何でこれが出てきたのかはよく分かりません。著作権が怖いのでここでは写真をお見せすることはできませんが、気になる方は検索してみてください。なんとなーく雰囲気は近いと思います。

何も知らずに一枚の絵について考えることは、一見、無謀で愚かでもったいない行為に思えますが、しかし当時の私にとっては、苦痛で仕方がなかった「世界史A」を少しだけ色づかせてくれた、とても大切な体験だったのです。

そして逆に言えば、『サン・ラザール駅』を発見させてくれたのは、紛れもない「世界史A」の授業なのです。

「世界史A」の授業は基本的に嫌な思い出しかありません。同じ授業を受けた当時の同級生に聞いても、十中八九同じ答えが返ってくると思います。

でも、その思い出の中に『サン・ラザール駅』がある限り、私はどうしても「世界史A」を嫌いになりきれないんです。あの時『サン・ラザール駅』をボーっと眺めていた時間が、今の自分を0.1%でも形作っているのだとすれば、人生には無駄な時間なんて少しもないんじゃないかと思えて、少しだけ心にもゆとりが生まれます。

今こうやってnoteを書いているうちにも、何回も「今の時間って、無駄じゃね?」と思いましたが、「人生は壮大な暇つぶし」という言葉もあるので、身の回りの環境のためにやるべきことはやって、あとは自分の好きなことをすればいいと思います。実際にずっとそう思うことは無理だと思いますけど。

でも、「世界史A」にも、意味はあったいうこと。それだけは忘れずに、これからも生きていこうと思うのでした。



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