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寄り添い、そして成長


監督就任


リリースがありました通り、2020年シーズンより、国際基督教大学男子サッカー部(以下、ICUFC)監督に就任いたしました、泊寛太と申します。


はじめに、ICUFCのみんな、ならびに活動をサポートしてくださる保護者の皆様、これまでの歴史を築いて下さったOB・OGの皆様、弊部スポンサーの白潟総合研究所株式会社の皆様、そして弊部を少しでも気にかけてくださる全ての方々に感謝申し上げます。
ICUFCに関わる全ての皆様が誇れるようなチームになれるよう、全身全霊をかけて仕事を全うして参ります。

現在、弊部は東京都大学サッカーリーグ4部に所属しており、東京都所属の大学サッカー部の中で一番下のリーグとなります。昨年は同リーグで、2勝6敗1分、10チーム中8位でシーズンを終えています。歴史を振り返っても、最高成績は3部昇格。
「監督を雇う」ということについても、チームとして初めて試んだのが昨年。結果としても、満足なものとは言い難い結果で終わっています。(そのような中で実績もないような自分に対し、「監督として雇う」という決断を再びしてくれたチームのみんなに、改めて感謝します。)

以上の事実を並べても、僕たちはこれからさまざまなものを積み上げなければならないチームであるといえます。まだまだ未熟です。
と同時に、何にも縛られることのない「真っ白な」チームであるともいえます。つまり、伸び代です。
未熟と伸び代。未熟ゆえ伸び代とも言い換えることができるかもしれません。

部員たちと共に、さまざまなことにチャレンジし、発信していきたいと思っています。どうぞ宜しくお願い致します。


さて、僕個人の話に移ります。

僕はなぜ大学サッカーの監督、そしてお世辞にも強いとはいえない大学の監督に就任したのか。


人生自粛


進路(手段)を選択する上で、自分はどこに行きたいのか(目的)を明確にすることは、選択の助けになります。目的が決まれば、手段が見えやすくなるからです。しかし、人生において「どこに行きたいのか」を明確にすることは、死ぬほどムズい。
Google Mapsのように、目的地が決まり、行き方に迷える段階にきたらもうゴールしたも同然で、人生において目的地を定めることが何より難しいと認識しています。同じような感覚の人、いませんか?

ご多分に漏れず(ご多分側なのかどうかはさておき)、僕はサッカー指導者としてこうなりたい、このステージに行きたいという目的地(夢・目標)はありません(見つかっていません)。
ですので、「”監督として”世界に勝ちたい」だとか「ワールドクラスのサッカー監督になりたい」などという野望もありません。(世界に勝ちたいとは思っています)

目的地も見つかっていない、強烈な意味を持たせることもできない僕ですが、そんな僕でも自分の中で一つ明らかになっていることは、「サッカー指導者として成長はしたい」という純粋な思い。それだけはある。
では、そのような思いがあっても、猛烈な掻き立てられるような夢や目標を持てない僕のようなサッカー指導者は、成長できないのでしょうか?

僕はもともと、指導者として海外挑戦をするつもりでした。渡航予定であったこの夏に向けて、大学を卒業した今年の3月から半年間、語学と金銭面の準備を進めようと考えていました。
この決断の理由には、ある方との出会いとその影響を受けてのことでしたが、長くなるので今回は触れません。ともあれ、当時の私にとって海外挑戦が「指導者として成長したい」という僕の欲求を満たす、最善の決断でした。

そんな中、世界中を襲ったパンデミック。多くの皆さん同様、3月末から家にて自粛生活に入りました。有り余る時間がある中、渡航に向けた語学の準備を進めていましたが、なぜかその準備に前向きになれませんでした。
ポジティブな取り組みが行えていない中、明らかに精神的に健全な状態ではないことがわかったので、そこで全ての準備を一旦やめ、数ヶ月の「人生自粛期間」に入りました。社会的・経済的に生産をすることなく、ひたすた自分と会話し、思考を深め、整理することにしました。その期間に、体重は8kg増えたのは内緒です。(さすがに自分でも引いたので、1ヶ月で6kg減量しました笑)

はじめに、「僕にとっての幸福とは何か?」という問いから思考をスタートさせました。そこから、「もともとなぜ海外挑戦を選択したのか?」と過去の自分を疑う作業に入り、最終的に「サッカー指導者として成長するためには?」という問いに辿り着きました。考え、沼にハマっていきながら、何となくわかったふりをしていたものを、分解に分解を重ねました。

思考の整理に多くの時間を費やした「人生自粛期間」は、一歩ずつ確実に、僕を前に進めました。
そして、「サッカー指導者として成長するためには?」という問いに対して一つの答えを出した時、僕は海外挑戦の選択を完全に取り消し、ICUFCの監督に就任させていただく決断に方向転換しました。


指導者の成長に必要なのは、「寄り添い」である



『指導者の成長に必要なのは、「寄り添い」である』


「寄り添う」とは、鬼木さんが自粛期間の夕方にやられていたインスタライブ、通称『ONKの部屋』で常々おっしゃっていた「寄り添い力」「ホスピタリティ」と呼ばれるあれです。

僕は、サッカー指導者が成長するためにはどれだけ寄り添えるかが重要であると考えています。というよりも、寄り添えない指導者に成長はないと考えています。「指導者」を「教育者」と言い換えても良いかもしれません。

では「寄り添う」とは、どこに寄り添うのか?指導者が成長するために、必ず「寄り添い先」が存在します。その「寄り添い先」はいくつも考えられますが、成長するためには必ず一つの終着点に辿り着き、ここに辿り着かない指導者に成長はないと思っています。


寄り添い



「チーム(≒選手)」


広義、狭義問わず、この一点に辿り着きます。
つまり、「自分がこうしたい」「こうなりたい」という、寄り添い先が「自分」になっているサッカー指導者は、結果的に上にはいけないのではないかと思っています。
寄り添い先が「サッカー」になっている場合も同様です。もちろん、「サッカー」を学ぶことは必ずセットであり、先にサッカーを理解し、チーム(≒選手)に還元するという考え方もあります。
しかし、「サッカーに正解はない」という前提に立てば、サッカーはあまりにも深すぎるし、解釈の方法は千差万別です。雲を掴むような作業は、明らかに効率的とは言い難く、成長スピードは明らかに落ちます。
よって、「サッカー」"だけ"に寄り添う指導者に、その先はありません。僕の中で最も重要な考え方であり、これは「卵が先か、鶏が先か」論ではないと思います。

※あくまで私がさまざまな指導者の共通点を整理した結果の私論であり、指導者ライセンス、人脈等の環境的影響は含みません。


この考えをもとに、僕は方向転換の決断をしました。僕にとって、海外挑戦は「サッカー」だけに寄り添うこととなり、成長に限界が見えたからです。

対してICUFCの監督就任は、寄り添うことができ、成長ができると思ったからです。


ICUFC


僕は、ICUFCのためなら、選手、マネージャーのためなら、死ぬ気でサッカーを学びます。死ぬ気でサッカーを理解します。
彼ら、彼女らが試合に勝つためなら、声が枯れるまで叫び続けます。
彼ら、彼女らに寄り添い、勝利を目指す日々は必ず僕を成長させてくれます。
これが、僕がICUFCの監督に就任した理由です。


僕たちは、大学サッカーで何ができるのか。そして、僕たちは大学サッカーで何がしたいのか。


「勝ち」
の先にある本当の「価値」を、彼ら、彼女らと共に表現していきたいと思います。








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