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藤田端の公開討論を不毛なプロレスで終わらせないために・・・

先月くらいからTwitter上で続いているお笑いコンビ 藤田端 によるコントが遂に公開討論という形で直接対決となりました。

公開討論は、残念ながら議論の体をなしておらず、藤田氏の準備不足と議論スキルの低さが露呈する結果となり、非常に残念でした。

藤田氏の議論に向かう姿勢については、多くの方がTwitterやブログで批判されていて、論点としては出尽くしてる感があるので、別の角度からこの討論を考えてみたいと思います。

公開討論で浮き彫りになった「世界の見え方」の違い

田端氏と藤田氏の議論は終始すれ違い平行線をたどっていました。

その要因の一つは藤田氏の準備不足やスキル不足にあることは否定のしようがありませんが、それよりもむしろ、思想信条の背景の違いの方が大きかったのではないかと思います。

藤田氏の論は、確かに解像度が低くピントが合っていないが、藤田氏と田端氏が切り取っている世界のパースペクティブが異なっていたことがすれ違いの主因ではないかと思うのです。

両者のすれ違いは、この4つの論点への態度の違いが根本にあるように思い、その論点そのものは深めると面白いと思うのです。

1. 世界はゼロサム・ゲームなのか?

ゼロサム・ゲームというのはざっくりいうと、誰かが得をしたら誰かが損をする状態のこと。胴元のいないギャンブルをイメージするとわかり易いと思います。全員の収支を足すと必ずゼロになることから、Zero-sum-gameと呼ばれます。

ゼロサム・ゲームの世界では、誰かが得をする背景には、損をしている人が必ず存在します。

その前提で考えると、「金持ちであること」=「貧乏人から搾取している」という論理が成立します。

討論の中でも、椅子取りゲームのアナロジーでその対立軸が明確になっていました。

10個中4つの椅子が非正規雇用で、誰かがそこに座らなければならないとする藤田氏に対して、なぜ椅子を作ることを考えないかと反論する田端氏。

田端氏は、椅子は作ることができる、つまり、総和をゼロではなくプラスにすることができると考えています。

この前提が違うと議論は永遠に平行線なので、議論を前に進めるためにはこの前提を揃えるというステップが必要だったように思います。

2. 賃金は労働の何への対価なのか?

次に、賃金への考え方の前提も揃っていないように見受けられました。

頑張ってるのに報われていない人がたくさんいると言う藤田氏に対して、「まずいラーメン屋も頑張ってるから食べに行ってあげるべきなのか?」と反論する田端氏。

賃金というのを、労働のINPUTへの対価と捉えるのか、OUTPUTへの対価と捉えるのかの立場の違いが明確に出たやり取りだったと思います。

PROCESSが固定的で、INPUTとOUTPUTの価値がキレイに正相関するような領域では、INPUT量と報酬を連動させるのが最もフェアで効率的だと言えます。所謂ブルーカラーワーカー。

一方、PROCESSの自由度が高く、INPUTとOUTPUTの相関が小さいような領域では、INPUT量と報酬を連動させるとアンフェアや非効率が生まれます。所謂ホワイトカラーワーカー。

藤田氏は前者、田端氏は後者を前提としているので議論が平行線をたどります。それを混ぜこぜに議論してしまうと全く深まらず不毛になるのは必至でしょう。

藤田氏は、ブルーカラーワーカーへの利益還元が小さいと訴え、それ故に、非正規雇用の待遇改善という主張をしたかったのではないかと推察します。

そうであればブルーカラーワーカーへの待遇改善に論点を絞って議論すべきでしたし、その際の適正な待遇の明確な定義を模索する方向性で議論できると深まったのではないかと思います。

3. Risk-takeへの考え方

藤田氏は、株式投資によるリターンを不労所得と呼び、また、一代で財を成した経営者/資本家に対しては成功できる環境を与えられた恩返しとして、課税強化することを訴えました。

これに対して田端氏は、「業績が落ち込んでも従業員の給与を下げることは出来ない」という論旨で反論しました。

それに対して更に藤田氏は、「(大企業は) 国に守れて潰れないんだから、業績が良いなら、(業績悪化時に下げられないとしても) 給与を上げるべき」と反論します。

この議論の背景には、「リスクを取ることへの報酬設計」についての根本的な考え方が対立しているように思います。

明言はしていませんが、僕は、藤田氏の主張は、リスクを取ることへの報酬は不要で、取れた果実の分配のみを議論すべきだ、と訴えていると解釈しました (あるいは、根源的にリスクというものは存在しない/皆同等なので、果実の多寡は運のみで決まる)。

これは、宝くじを買って当選した人は運が良かっただけなので、宝くじを買わなかった人にも当選金額を分配すべきだ、というくらい暴論なように思います。

ピケティが問題提起しているような、資本所得と労働所得のバランス (≒ リスクを取ることへの報酬設計) が論点となるなら、それは意義深い議論になったのではないかと思います。

4. 搾取への臨み方

両者ともに、ブラック企業が存在していること、そしてそれは悪であるということには相違なかったように思います。違っていたのは、その搾取構造への向き合い方

藤田氏は、そういった搾取者には正面から対峙して闘うべきだと主張し、一方の田端氏は、労働者が搾取者を避けるべき (ブラック企業に就職しない、ブラック企業からは転職する) だと主張しています。

これは両者ともに共存し得る主張なのだから、対立する必要はないと思います。

不適切な例えかもしれませんが、売春する女性が悪いのか、買春する男性が悪いのかという議論に似ています。両方悪いから両方批判しましょう、以上、だと思うのですが…。

搾取側、非搾取側への対策を講じるにあたって、両者の施策がシナジーを生んで掛け算で効果が得られるようなHOWについて議論できると有益なのではないかと思います。

まとめ:藤田端のコントに第2回がもしあるなら…

藤田氏の主張は、「変化が小さく安定していて、その維持のみを目的として人々が経済活動を行う世界」においては、正しく機能すると思います。
しかしながら現代社会はそれとは程遠いところにあります。

とは言え、田端氏の主張するようなビジネスマッチョによるシビアなプロフェッショナリズムのみを要求するには、再分配機能を始めとするセーフティネットが弱すぎるというのもまた事実の一端ではないかと思います。

互いの主張をぶつけ合い、それを視聴者に晒したのが第1ラウンドだとするなら、第2ラウンドではぜひ、その差をどのように埋めることでより良い社会を作ることができるのかを論点に討論してもらいたい。

その際、どう好意的に解釈しても、藤田氏の、討論への準備不足やスキル不足は顕著だったので、その点は改善してもらいたいと切に願います。

(誤字修正)

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