僕が自身である瞬間
自身‥他の何ものでもなくそれみずからの意で、他の語に付けてそれを強調する語。そのもの。自体。
他の何者でもなくみずからの意で、他の語に付けてそれを強調する場面は、クライミングや山に居る瞬間だと思う。
人生は判断の連続だ。
朝アラームをかけるか、何を着るか、何を食べるか、いつ寝るか。僕達は無意識的に判断を永遠と繰り返している。その結果が、今の僕達であるし、それ以上でもそれ以下でも無い。その結果を僕達は受け入れ、例え無意識的であったり、意識的であったりしても次にどうするかを常に考えているはず。しかし、判断の結果が返ってくるのは、人生のどのタイミングになるか分からない。
クライミングや山は判断の結果が直ぐに帰ってくる。
正解か不正解か分からない判断をし続け、それが例えどの様な結果だとしても、僕はその結果を受け入れるしか無い。この自身の責任で何度も判断し、結果を直ぐに突き付けられる感じが、人生を生きている感があって楽しい。だからこそ、僕が自身であると認知出来るのは、クライミングや山に居る瞬間なんだと思う。
もし、この瞬間が無くなってしまったら、僕はどう自身であると認知出来るのだろうか?
カエル
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