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リミナルスペース座談会

※この記事は、「第三十四回文学フリマ東京」(2022年5月29日(日))にて頒布予定の『感傷マゾvol.07 仮想感傷と未来特集号』に掲載予定の「架空のノスタルジー座談会」の中から、「リミナルスペース」に関する部分を抜き出したものです。

 Twitterのリミナルスペースbot(@SpaceLiminalBot)が投稿した画像を見ると、「一時的に立ち寄る無人の場所」から懐かしさと不気味さが共存した感情を覚えます。深夜のオフィスや閉店後のデパート、もしかすると子供の頃に見た夢の中で似たような場所を歩いたことがあるのかもしれません。この言語化が難しい不思議な場所について、今回はノスタルジーに詳しい三人の方と座談会でお話させていただきました。


「架空のノスタルジー座談会」では、その他にも面白いお話がされており、現在、編集作業中です。
「もしも、生まれつきVR機器が手元にある世代にとっての思い出となる体験が、基底現実より仮想現実のものが大半を占めるようになったら、ノスタルジーも現実に対するものではなく架空のノスタルジーが大半を占めるようになるのだろうか。その場合、感傷する行為はどのように変わるのか?」というテーマを主軸に、様々な分野から「未来における感傷」を探るのが、感傷マゾvol.07のテーマです。
「架空のノスタルジー」以外にも別の分野の座談会や豪華な原稿などの収録を予定していますので、本誌の頒布の際はぜひともよろしくお願いします。

感傷マゾvol.01 『四周年記念座談会』
https://note.com/kansyo_maso/n/n365a0a449a89


座談会参加者
※座談会本文では敬称を略します。

・木澤佐登志さん(@euthanasia_02
・動物豆知識botさん(@ykic_bot
・にゃるらさん(@nyalra
・わく(@wak


◆リミナルスペースとは


動物 そもそも、リミナルスペースとはどういうものなんでしょうか。

木澤 通路とか廊下とか駐車場みたいな、交通の中で一時的に立ち寄る場所のことで、一番特徴的なのは「誰もいない」という点ですね。人が通るためだけに作られたアーキテクチャから人が抹消されたときに発生する不気味さや不安さ、あるいは懐かしさに対してリミナルスペースというムーブメントが発生したんです。(追記:ちなみに、この座談会を行った後で、 FNMNLでリミナルスペースについて解説した記事を書きました(https://fnmnl.tv/2021/11/16/139203)。そちらも併せて読んでもらうと、より理解度が上がるかもしれません)

(リミナルスペースbotの投稿画像より)

動物 リミナルスペースのムーブメントが出てきたのはいつ頃からなんですか?

木澤 だいたい2019年くらいじゃないですかね。2019年8月にレディット(注:アメリカの掲示板)にリミナルスペースのサブレディット(注:レディットにおいて、2ちゃんねるの「板」に相当するもの)ができています。でも、バックルームはもうちょっと前なのかな。

動物 バックルームというのは何ですか?

木澤 これもリミナルスペースと似たようなものなんですけど……見てもらった方が早いので、「Know Your Meme」のバックルームのページを貼りますね(https://knowyourmeme.com/memes/the-backrooms)。文字通り「裏部屋」です。『早稲田文学』2021年秋号に載った廣田龍平さんの「ノスタルジック・ホラー」でもバックルームについて詳しく論じられていますが、元を辿れば何かズレていて不安になる画像を投稿しようというスレッドが4chanに立てられて、そこにこの、小売店のバックヤードを写したと思しき、誰もいない空間の画像が貼られたのが2019年の5月でした。その後にいろいろ物語が追加されていって……。

画像1
(バックルームの画像。「Know Your Meme」より)

動物 物語を追加する?

木澤 そうです。まず、この空間は現実世界の外側に存在していて、ゲームの透過モードのようにこの現実空間から向こう側にすり抜けると、バックルームに入ってしまう、という文脈が与えられました。そこからSCPのようにどんどん物語が付加され、やがて脱出方法やこの空間に出てくるエンティティと呼ばれるクリーチャーのような存在が追加されていきました。もちろんバックルームの画像はこれだけではなく「Backrooms Wiki」にはいろいろな画像があります。

わく すみません、バックルームの部屋の構造ってどうなっているんでしょうか。すごく広い部屋に塀みたいなものがあって一時的に仕切られている印象を受けるんですが、そういう構造のものがバックルームと呼ばれているんでしょうか。

木澤 wikiには「ランダムに区分された迷宮」といった説明がありますね。もっとも知られているバックルームであるLevel 0: "The Lobby"は、バチバチと音を立てる蛍光灯、黄色に染まった壁、古いベージュのカーペットという3つのミニマルな要素だけで成り立っていて、その他に家具、道具、武器といった様々なアイテムや前述のエンティティが存在するとされています。それらがランダムに組み合わさって反復生成されるという感じでしょうか(ただし完全に同じ部屋は2つとないとされてます。差異と反復!)。ゲームで例えると不思議のダンジョンシリーズ、ただしこちらは3Dという違いがありますが。

動物 整理すると、まず部屋の画像が貼られて、「この部屋には実はこういう設定がある」とコメントで盛り上がって物語が作られていく。そうやってバックルームっぽい画像をいろんな人が貼るようになったと。

木澤 そういう流れです。で、いろいろなバックルームができていって、それぞれに物語や出てくるエンティティが加わっていきました。SCPの空間版のようなものです。「Backrooms Wiki」の「Level」というのが部屋の名前で。

動物 ゲームのダンジョンっぽいイメージなんですね、これは。

木澤 完全にゲーム的な想像力から出てきている感じですよね。そもそも、この現実空間からバグでバックルームに行ってしまうという発想がとてもゲーム的です。現実世界をデバッグしていたら急に現実世界の空間の裂け目が現れて、そこに落ちちゃった、というような。

動物 バグったダンジョンみたいな感じですね。一階、二階と降りていくと全然違う部屋があらわれる。

わく バックルームのレベルが1から999までいくのが、ダンジョンゲームの地下何階というのに近いのかな。

動物 ここから不気味さや懐かしさがある空間というつながりでリミナルスペースが登場した?

木澤 そういう側面もあると思います。

わく 最初に貼られた一枚の画像だけ見ると、人がいないのとなんとなく不気味なのとで共通点がある気がします。

木澤 バックルームはSCPのように二次創作的な物語を付加していくものですが、リミナルスペースはそういうものがなく、単純に画像一枚だけという受容形態の違いはあると思います。

動物 画像がポンと置かれて、それに対して物語を付与するというのは考古学っぽいですね。遺跡があって「こんなことがあったんじゃないかな」と考えるような。

木澤 そうですね。あとはARG(代替現実ゲーム)とか、あるいはクリーピーパスタといった都市伝説的なトーンもあります。海外の有名なインターネット都市伝説=ネットロアであるスレンダーマンも、もともとは一枚の画像から発生した都市伝説ですし。念のため説明しておくと、スレンダーマンは2009年6月、ウェブフォーラム「Something Awful」に、Photoshopで「超自然的」な画像を作り出そう、という趣旨のスレッドが立ったのが始まりです。その数日後、子ども達の背後に怪しげに立つ、この世のものとは思えない長身の男が写っているモノクロの画像が投稿されました。これがスレンダーマンの発祥とされます(奇しくも、これとほど近い時期、2008年の8月、日本のインターネット上で、やはり長身を特徴とする異形の女にまつわる都市伝説、「八尺様」が誕生しています)。スレンダーマンがウイルスのようにサイバースペースを回遊するにつれて、多様な要素が付け加わっていき、スレンダーマンは変容と生成変化を遂げていきます。やがて、彼の周りにひとつの「神話」のようなもの(=体系)が形成されていったのです。スレンダーマンにまつわる神話体系を形成する上で、2009年から2014年にかけてYouTube上で断続的に投稿された映像シリーズ「Marble Hornets」はその主要な役割を担ったと言われます。ファウンド・フッテージを基調とするフェイクドキュメンタリーのスタイルを採り、断片的な動画群に散りばめられた手がかりが解釈のプロセスを誘発させる。「Marble Hornets」は、フェイクドキュメンタリーと代替現実ゲーム(ARG)の要素を巧みに取り入れることで、現実と虚構の境を曖昧にし、いやが上にも没入感を高めることに成功していました(ちなみに、ヴェイパーウェイヴのオリジネーターのひとり、Vektroidはインタビューのなかで、自己形成する上で自身が影響を受けたカルチャーとして、深層WEB、ビデオゲーム、今敏などと並んで、「Marble Hornets」を挙げています)。2014年5月には、ウィスコンシン州において十二歳の少女二人が、森の中で同い年の少女を包丁で滅多刺しにして大怪我を負わせるという事件が起きています。少女たちは、スレンダーマンに対する忠義を示すための生贄を探していたといいます。虚構の存在は虚構の次元に留まることを許されなかったのです。

◆リミナルスペースと廃墟


動物 僕はリミナルスペースってなんか廃墟っぽいなと感じて、廃墟ブームを思い出しました。

木澤 リミナルスペースには廃墟も含まれると思いますね。

動物 かるく歴史を振り返りますと……日本の廃墟ブームはだいたい2000年前後の流行です。2000年以前は個人サイトが廃墟探索者たちの間でほそぼそと行われていました。代表的なサイトは「廃墟Explorer」で、このサイトを運営していたのは後に「廃墟の歩き方」を刊行される栗原亨。テレビなどにも多数出演されて、廃墟ブームを牽引します。

わく なるほど。

動物 1999年11月25日に刊行された『萬』って雑誌があるんですが、これが日本で最初に廃墟ブームを扱った雑誌でした。最初というと語弊があるかもしれないんですけど。もともとこの雑誌は昭和レトロや戦前建築などの懐古趣味をあつかう雑誌でしたが、99年にウェブで廃墟来訪を発表している人のムーブメントを取り上げます。廃墟趣味と昭和レトロってそんなに乖離したイメージはないんですが、このときの序文を読むと「昭和レトロの雑誌が廃墟を取り上げるなんて、裏切りにも等しい行為でしょう」と書かれていて、当時は感覚的に距離があったことが分かります。寄稿者は博物学の荒俣宏、18世紀ヨーロッパの美術・英文学を専門とする高山宏。 

『萬―懐古文化綜合誌 (臨時増刊号)』


わく 昭和レトロからはじまってるんですね……。

動物 この後に軍艦島の写真集が出たりして廃墟ブームが生まれ、その後2005年12月20日に『ワンダーJAPAN』が創刊されます。表紙には「城、のようなもの 地下霊場 大仏・巨大観音 戦争遺跡 巨大な地下神殿 珍スポツアー 萌える工場 古墳 給水塔 B級ツーリング日記」。創刊号の時点でもう材料は揃っていますね。初期は年2回刊行で、2号は2006年6月20日刊行。特集は「さようなら軍艦アパート」で、軍艦島以外の「軍艦」と呼ばれる建築群にスポットライトをあてています。軍艦島はすでに代表的なスポットで2006年に世界遺産への登録を目指した動きもありました。2007年1月1日刊行の3号では軍艦島を扱っています。2007年7月1日刊行の4号から季刊化。勢いを感じますね。『ワンダーJAPAN』は巨大建造物に関してははっきりと「バブルのノスタルジー」と言っています。ノスタルジーに駆動されているんですね。

『ワンダーJAPAN vol.01』

わく ちゃんとノスタルジーの話だったんですね。

動物 2008年7月25日に先ほどの栗原亨「廃墟という名の産業遺産」が発売され、ジュンク堂でトークイベントが開催されています。イベントの共演者である田端宏章は『萬』の編集長です。この頃にはもう廃墟ブームがいったん落ち着いていたそうですが、ふたたび盛り上がって2010年以降が第二次廃墟ブームのようです。佐藤健寿『奇界遺産』は2010年1月20日ですね。第二次ブーム以降でいちばん知名度があるのは「工場萌え」ですね。もう完全に廃墟ではない。潮目が変わりましたね。これが廃墟ブームの流れなのですが、この流行の中で「廃墟の捉え方」にも変化があります。

わく 捉え方とは?

動物 「廃墟Explorer」というサイトの管理人である栗原亨さんのインタビューを読むと、彼が最初にやっていたことは心霊スポット訪問だと語っています。そのうちに廃墟も訪問するようになり、廃墟の写真をアップしはじめたという流れ。

わく 心霊スポットはSCPやバックルームに近いものを感じますね。

動物 近い気がしますね。ひとがあまり訪れない場所、ちょっと気が引ける場所にいってみる。つまり最初は探訪だったんです。廃墟探訪を取り上げた『萬』の序文は博物学研究者である荒俣宏が寄稿している。昭和レトロを収集する雑誌ですから、廃墟の探訪に収集として、その収集を博物として取り上げようとしたのが『萬』だったんじゃないかと思います。

わく 探訪としての廃墟、それを収集として解釈した博物としての廃墟。

動物 そして次の段階が観光としての廃墟です。『ワンダーJAPAN』は「身近なワンダースポット」がテーマで、実際に行ける場所にこだわっています。見出しを眺めてみると「フツーの旅にはもう飽きた!」とか、グルメ情報もありますし、旅行カタログ的な別冊も出しています。そして最後が「映え」です。「工場萌え」や『奇界遺産』と『萬』ではずいぶん雰囲気が変わってますもんね。前述のインタビューでも廃墟ムーブメントは2010年くらいになるとどうも被写体の「映え」ばかりを気にする空気に違和感を表明されていました。廃墟とは危険なところであって、美しい場所ではない、と。

わく たしかに普通に危ないですよね……。

動物 流れを整理すると最初に探訪があり、それを収集の観点から博物として注目した人がいて、観光に変化して、被写体としての廃墟が生まれた。ちなみに廃墟と「工場萌え」についてはテクノスケープの研究者である岡田昌彰の『テクノスケープ 同化と異化の景観論』が景観同化と景観異化という言葉で説明しています。

わく リミナルスペースにはどう繋がるのでしょうか?

動物 リミナルスペースも、これと同じ流れで生まれたように感じるのですね。デザイン雑誌『アイデア』2014年9月号はポスト・インターネット時代のアートを取り上げています。さっき木澤さんが挙げたバックルームにも通じるような、昔のウェブやインターネットを題材にしたアート、デザインの特集です。2014年くらいにはそういう表現がだいぶ増えてきていたわけです。90年代インターネットを若い作家が題材とする。おおざっぱに言えばヴェイパーウェイヴっぽい感じです。

わく Windows95とかドットであるとか昔のゲームであるとか。

動物 そうそう。このポスト・インターネット/ヴェイパーウェイブ的な感覚が、オールドインターネットを知らない若い世代によるインターネットに残された遺物の収集のように感じられたんです。

わく 遺物の収集?

動物 18世紀ヨーロッパの貴族にグランドツアーと呼ばれる大旅行をして各地の遺跡などを回って教養を深める流行があったのですが、これに博物学者が同行することも多かったのですよね。『萬』が廃墟探訪を博物学として注目したのはそういう観点だと思います。これと同じことがインターネットで行われているのではないか?と。

わく 同じこと、とは?

動物 収集。具体的にいえばtumblrが大きかったのではないかと。今ならPinterestかな。前述の『アイデア』を引用しますと「ディレクトリ型よりロボット型を、カテゴリよりハッシュタグを、整理より乱雑を選んだアンチモダンな姿勢」で実践されるコレクションの感覚です。この価値観を把握しておくとpost-Y2Kや、今のインターネットで起きている軋轢がわかりやすくなる。ディレクトリ型って、今だと説明がないとわからない言葉かもしれませんね。

わく なるほど、それでインターネットの遺物収集、と……。

動物 ウェブのデザインは当然ながら、どんどんキレイになっていきました。解像度もあがりましたし、iPhoneの登場もあった。マテリアルデザインなどの新しいフレームワークが作られて画一化な道を辿った。発展的に、直線的に整理されていくインターネットに対して、ポスト・インターネットの表現者らはカウンターを行ってるように感じるんですね。ちなみに『ワンダーJAPAN』の2007年4号に、『「悪い景観」と呼ばれて』という特集があります。「美しい景観を創る会」というものができて「悪い景観100景」が発表されたんですが、それに対して「映画『ブレードランナー』の広告が氾濫した街並みを美しいと感じた私たちにとって、この日本橋のカオスな景観はそんなに悪いものには思えなかった」と反論している。廃墟ブームは健康的で清潔で、道徳的な秩序ある景観を「よい景観」と定義する人々に対するカウンター活動でもあったんですね。

わく 廃墟ブームもカウンターカルチャーだったんですね。

動物 アーツ・アンド・クラフツ運動を逆向きにしたように見えますよね。『下手ものの美』を発見した柳宗悦の民藝運動の方が似てるかしら。収集、美学の発見、実作という流れも似てるし『美の法門』は景観同化っぽさを感じる。

わく 似たような流れはあちこちにあったんですね。

動物 博物学には古代ローマへの憧れがありました。グランドツーリズムによって自分たちの国と地続きの文化、ユートピアとしての古代ローマへの憧れから博物学は盛り上がっていくんですが、結果として起きたことは貴族による遺跡の所有です。「この遺跡は俺が見つけたから俺のものだ」と。このような態度への批判は博物学に対するありがちな批判の一つなのですが、インターネットとコレクションの話をすると、現代美術がNFTに注目するのは最新技術としての視線だけでなく、それが所有権の話でもあるからですよね。あらゆるものがコピー可能なインターネットに所有、固有の概念を生み出した。一点もの、少数生産、大量生産の道が逆進している。やがて到来するトークン資本主義のインターネットに向けて我々はロックとルソーを読み直す必要がある。

わく たしかにmemeはいったい誰のものなのか、と言われると難しいですね。

動物 インターネットが当たり前となったデジタルネイティブ世代にとってはWeb2.0、つまりウェブアプリケーション単位で独立した領土があり、それぞれに育まれた文化と住人がいるという「たくさんの国がある」ような状態で、人間はたくさんの国に同時に住んでいるような状態です。その外側にはプラットフォームではないWeb1.0、原始オールドインターネットの遺物が蓄積しているという世界観。好景気な時代を含むインターネット以前を架空のユートピアとして、その遺物を収集する。それに見出した美学の実作としてリミナルスペースやヴェイパーウェイブ的な表象とその歴史、神話を作り出している。『萬』的なtumblr、『ワンダーJAPAN』なゲームとVR、そしてインターネットは映えていく。博物学は英語だとnatural historyつまり自然史といいますが、この様相はデジタルネイチャー世代によるdigital natural historyと言えるのではないでしょうか。このダジャレが言いたかったんだ!

わく すごく面白いですね。博物学とデジタルネイティブによるオールドインターネットの収集のつながりはよく理解できたのですが、博物学と廃墟の関係について、もう少し詳しく教えていただけますか? 廃墟ブームの最初の楽しみ方であった探訪というのは、収集とは少し違いますよね。例えば探訪記録を収集するといった、探訪と収集のつながりもあったのでしょうか。

動物 旅とは情報の収集です。山だの川だの廃墟だのは持って帰れませんから。情報として世界を所有すること、発見による支配、詳細な地図で世界を掌握したい欲望。実際、貴族のグランドツアーに博物学者がお供することもあったみたいですね。『萬』の高山宏「廃墟のパラドキシア」は貴族の権力とは所有によって示されるもので、廃墟を絵に描くことで所有しようとする欲望を指摘しています。17、18世紀には貴族が廃墟の前で楽しそうにピクニックをしている絵がありました。昔は写真がないので記念撮影ができないんですね。VRChatでアバターが記念撮影しているみたいでかわいいですね。

わく 本当にそのままですね。

動物 古代ローマを持ちだしたりすると、ヴェイパーウェイブの大理石の胸像なんかともつながってきちゃいますね。こじつけですが。

木澤 仰るとおり、デジタルネイティブによるオールドインターネットの収集は近年における「コアの美学」ともダイレクトに繋がってると僕も感じてます。たとえば、Aesthetics Wikiに、その名もOld Webという美学カテゴリーを見つけることができます(WebcoreやInternetcoreと呼ばれることもあります)。これは1990年代半ばから2000年代後半にかけてのインターネット文化へのノスタルジーを特徴とする美学です。Old Webの美学がどんなものか知りたい向きは、百聞は一見にしかず、Cameron's Worldというサイトを訪れてみるのをおすすめします。このデジタル考古学プロジェクト・サイトは、1994から2009年まで存在していたホスティングサーバGeoCities上に作られた無数のホームページののアーカイブからサンプリングされたテキスト、GIFアニメーション、MIDIサウンド、ピクセル・グラフィックスの断片的コラージュによって成り立っていて、つまり文字通りWEB2.0以前の古き良きオールド・インターネットの共同墓地であり遺跡なんですね。ネット時代における遺物収集とグランドツーリズムがここでまさに可視化されているわけです。ところで、アメリカのサブカルチャーにも廃墟趣味ってあったんですか?(追記:この点については、まだ目を通せていないが国書刊行会から最近出版された『ゴーストランド: 幽霊のいるアメリカ史』という本が面白そうである)

動物 アメリカはわからないなあ。ゴスがありますけど、あれもルーツはヨーロッパだし。ハリー・スミスもそうですが、ルーツ収集はありますね。アメリカはフォークロアというか、おばけの話が多い気がします。ダークツーリズムも盛んですし……。「私たち以前に栄えたユートピアの痕跡」が存在するかどうか、なんじゃないでしょうか。あんがいUFOのオカルト話あたりがアメリカにおける廃墟趣味みたいなものなのかもしれません。

わく UFOが廃墟……。

動物 グランドツーリズムが生まれたのは1700年辺りで、主にイタリアなどに旅行に行って、その過程で歴史や自然史などの教養を叩きこまれるんですが、その辺の話は『kotoba』44号(2021年秋号)の特集「人間拡張はネオ・ヒューマンを生むか?」と関連していますね。服部桂「人間拡張の原理を超えて」がメディアの分野から近代の発展を論じていますが、グランドツーリズムや博物学的なものにも少し触れられていたと思います。16世紀前半に宗教改革が起き、17世紀には信仰から実証へと科学革命が進み、18世紀には百科全書派による啓蒙主義が影響力を持ち、産業革命で一期に近代化が進んだ、と。博物学は時代的には18世紀の百科全書派の頃のもので、産業革命より前なんです。さっき木澤さんが、バックルームに対して物語を付与しようとしていると指摘されていましたが、それは当時の人々が古代ローマに思いを馳せたように、オールドインターネットに対する歴史、神話、民間伝承を想像して楽しんでいるのかもしれません。

木澤 ヨーロッパでは廃墟に行ってそこで絵を描くという文化があったんですね。ヨーロッパの廃墟というとゴシックや廃教会のイメージが強かったので、描画の舞台としての廃墟というのは面白いです。

動物 廃墟派というのが絵画の一流派としてありますね。その中には無人の建造物を描く人がいて、その流れは写真に至るまでありました。

木澤 日本においては、廃墟趣味や悪い場所を肯定する論理の影響源には赤瀬川原平もいるのではないか、とお話を聞いていて思いました。赤瀬川はネオダダの前衛芸術家で、ハイレッド・センターという団体を1960年代に結成して東京の路上でハプニング的な芸術活動を行ったりしました。千円札を模した作品に端を発する「千円札裁判」は有名で聞いたこともあるかと思います。そんな赤瀬川は街中に存在する無意味な建造物や物体をトマソンと呼んで、それを収集するプロジェクトを行っていました。たとえば無用階段という、もともとは階段の先に扉があったけど設計段階でのミスや変更で扉がなくなり、登った先に壁しかない無意味な階段などがトマソンの代表例です。トマソン収集は廃墟趣味や悪い場所の収集に影響を与えているのではないでしょうか。

◆リミナルスペースとゲーム

動物 今リミナルスペースが流行っているのには、コロナ禍も関係してますよね。人がいない都市の風景写真を撮るのは大変でしたが、コロナで街から人が減って簡単になりました。撮影の面でも、今は誰でもスマホで写真を撮ってエフェクトをかけられますから。

わく 元旦の繁華街、銀座とかって人がいなくなるじゃないですか。そこで写真を撮るような感覚ですかね。そういう風景を収めた写真集に中野正貴『TOKYO NOBODY』がありますが、あの中の通路などがリミナルスペースに近いのではないかと思います。

動物 元旦のような特別なときしかありえなかった無人の風景が、緊急事態宣言などで一般化しましたね。廃墟趣味とリミナルスペースを比べて違って感じられるのが、不気味さの有無です。工場萌えなどの廃墟趣味は、不気味な不自然さもありますが徐々に「映え」の方向に向かっていきました。普通にきれいな写真も多いんです。一方でリミナルスペースっぽいものは、どこかに必ず不気味さがある。

木澤 不気味さと同時にノスタルジーも同居していなければならない。この二律背反と、先ほども話題になったゲームっぽさがリミナルスペースの特徴です。ゲームでいえば、『スーパーマリオ64』がいまネットでノスタルジック・ホラーとして再文脈化されていますが、皆さんやったことありますか?

一同 あります。

木澤 僕はやってないんですけど、『スーパーマリオ64』を「リミナルスペース」などの言葉と一緒に検索すると、リミナルスペースとの比較や、クリーピーパスタをはじめとする都市伝説や陰謀論と絡めて解説する動画がたくさん出てきます。その原因の一つが、このゲームに出てくるステージの「みずびたシティー」です。街が水没しているステージで、背景はスペインの実在する街が水没している謎の光景で、「なぜこの街は水没しているのか」「住人はどこに消えたのか」といった考察を誘うんです。当時のゲームは容量が多くないのでオブジェクトをあまり入れられず、索漠とした雰囲気があって孤独感や不安感をあおる世界観を漂わせているので、ノスタルジック・ホラーとして注目されています。64のグラフィックののっぺりしたテクスチャはPS1でもPS2でもできない、オブスキュアでアブストラクトな絶妙なものです。あのローファイさはどことなくマグリットっぽいのと、あと外部のない箱庭感があります。

動物 『ウォーキングシミュレーター』感がありますよね。

木澤 そうです。実際にVRChatでも『スーパーマリオ64』を模したマップが作られたりしてますね。

動物 VRChatで過疎ってる変なワールドにいくと、ゲームのような空間で無人というVRリミナルスペースを体験できるんですよね。そういった無人の場所を探検するのは割と好きなんですが、わくさんが鄙びた温泉宿に行くのも似たような感覚なのかも?

わく 似てますね。VRChatはユーザー同士で話すために使う人が多いですが、人と話したくないときはあえて誰もいないワールドを探してログインする、そこで旅行する、っていう。ただ、誰も行かないであろう鄙びた温泉に行くのとVRChatでの旅行には違いはあって、VRChat旅行は本来なら人がいるであろうショッピングモールなどにも無人のときに行けるので、VRChat旅行の方がリミナルスペースには近いですね。

動物 コロナでどこにも行けなくなったけどどこかに行きたい、という今の需要とも一致します。旅行とはいったい何なのかを現在から考えるのはきっとおもしろい。サイバースペースは今や人生、体験になっているのでノスタルジーの対象たりえます。昔あったウェブサイトを訪問するのも、デジタルネイチャー世代のノスタルジーのあり方なのかもしれません。

わく 学校の校舎など現実の場所だと、再開発などで行けなくなってしまうことで記憶と現実に齟齬ができ、ノスタルジーが生まれますが、ネットだとアーカイブがあれば過去に探訪していたサイトにいつでもアクセスできます。そうなるとノスタルジーは「もう手が届かない」ものに限られなくなるのでしょうか。

動物 ノスタルジーには「失われてしまった」という感覚は必須だと思います。実際に存在しないかどうかはともかくとして、それが終わっていること、「404 Not Found」がある、更新が停止していることでノスタルジーを感じる。「Archive.org」や散逸したログを通して失われたサイトを見ることはできるけど、思い出して「Archive.org」を通すという作業自体に意味がある。古い写真や歴史書、語りを経由した参照に相当するような。

わく 確かに。ウェブサーバ上のサイトは消えて、それぞれのユーザーの脳内にサイトの記憶が残る、と。

動物 歴史とは研究によって常に更新されるものですから、想像、偽造、捏造は歴史の記述そのものであるとも言えます。そのインディーズが神話、伝承、噂、怪談なわけで、SCPやリミナルスペースはそういったものなんじゃないでしょうか。インターネットは時代の変遷が早いので、90年代のネットを体験している自分は古代ローマの生き残りです。これからは出身地を聞かれたらローマ帝国って答えるようにします。

◆ゲーム的ノスタルジーの質感は変わっていくのか


木澤 わくさんに提示いただいた「ノスタルジーの対象が、チップチューンなどのゲームボーイのピコピコ音からPS1に移ってきているのではないか」という論題と同じことは、リミナルスペースでも起こっています。PS以降、ゲームは2Dから3Dに空間化したわけですが、それに伴ってリミナルスペース的なノスタルジック・ホラーの要素がゲームにも出てきている。実際いまのインディーズホラーゲームのシーンでも、初期のPSを彷彿とさせるグラフィックを使ったものが沢山出てきています。たとえば日本国内だと、『事故物件』や『夜勤事件』を制作しているChilla's Artがすぐ思い浮かびます。他にも、『No Players Online』(とそれに影響を受けて制作された『Connection Haunted』)というゲームは、サービス終了して無人になった古いFPSゲームのオンラインサーバーに「何か」が棲みついている、というバキバキにリミナルスペース脳が刺激されるノスタルジック・ホラーです。

動物 『事故物件』と『夜勤事件』はVTuberが実況しまくっていたゲームですね。あのパブリッシャー、昔は知る人ぞ知るという感じでしたが、今はVTuber実況でめちゃめちゃ勢いありますよね。

木澤 不気味さにはローファイなテクスチャが似合うので意図的に解像度を落としてるのだと思います。

にゃるら 最近だと『Walk 散歩 』というゲームもありました。

木澤 Kazumi gamesの作品ですね。これも日本のインディーズホラーです。

動物 にゃるらさんはゲームの実作者でもいらっしゃいますが、最近ゲームでホラーブームがあるという実感はありますか?

にゃるら ホラーというよりは、木澤さんのいうようなローポリのリバイバルを感じます。それに伴ってPSの独特な雰囲気のホラーも、という感覚です。

動物 にゃるらさんが作っているゲーム『NEEDY GIRL OVERDOSE』もレトロな雰囲気ですよね。あれは流行をキャッチした感じですか。

にゃるら そうですね。ヴェイパーウェイブをゲームでやりたいとは思っていて、それが今のレトロ系の流行りとも近かったんです。

木澤 そういえば、昔PSに『LSD』というカルトゲームがあったじゃないですか。DOPEな3Dポリゴンの空間をひたすら歩いて、ウィアードで不気味なオブジェクトと遭遇していく、というゲーム。ある意味で、バックスペースにも通ずるものがありそうです。

わく 「ゲームじゃない」と評されていたやつですね。

木澤 あれはある意味、当時から既にリミナルスペースとして完成していたと感じます。

わく PS1やニンテンドー64のゲームって、ローポリだからこそ現実の光景と距離があって、それが不気味さにつながっていますね。それに比べると今の3Dゲームは現実と大差ないフルCGだったりしますが、それは後に不気味さと結びついたりするんでしょうか。

動物 それを消費した世代が作り手となる時代が来れば……。

木澤 ローファイなノスタルジックホラーの感覚が絶対的なのか、世代によって相対的か、という話ですよね。

動物 にゃるらさんがレトロゲーを作るにあたっては、自分の趣味と世間のトレンドが合致しているという感覚はありますか?

にゃるら それはすごくあります。ヴェイパーウェイブの流れって、90年代後半のネット文化のアートなので気に入っているんですよ。僕もギリギリそれを体験できなかったので、あの時代に対する憧れがあるんです。今20代の僕らはそれを面白がってヴェイパーウェイブ的な消費をしていますが、それをゲームでできたらすごく面白い体験だろうなと。

動物 にゃるらさんにとってのヴェイパーウェイブのような感情をPS5に対して抱く未来のクリエイターが作るものはかなり変わった様相になりそうですね。

にゃるら 僕らがヴェイパーウェイブ的なものを再現するのは、技術的にインディーズでもできることなんですよ。ただ、20年後にPS5の質感を素人が再現できる環境があるかというと、なかなか想像するのが難しいです。

動物 なるほど。インディーズで作られるものの質感は制作環境の影響が大きいですよね。少し前にプロが使っていた機材や気合を入れて作ったけど不発に終わった機材が中古で安く流れた、技術発展でソフトウェアが安くなった、違法コピーが流通した、エトセトラ、エトセトラ……。

にゃるら 逆にPSや64などのローポリの再現をインディーズが少人数でもできるようになったからこそ、今の再ブームが来たのだと思います。

動物 「Unreal Engine」が今、プラットフォーム戦争をやっていて結構すごいテクスチャをタダで配りまくってますが、開発環境のリッチ化が10年20年と続き、安価でハイクオリティな質感を表現できる制作環境があったらクリエイターはそういうものが作れるようになる。インディーズはいつだってお金がなくて、情念でモノづくりをするものだから……。

わく 個人的な思い出ですが、PS1が出たときは3Dのゲームは初めてプレイしたので、すごくリアルに感じました。

木澤 2Dから3Dに、次元が一つ上昇しているわけだから当然といえば当然ですけどね。あそこで私たちは一種のアセンション(!)を経ているわけです。

わく 当時これはすごいと思ったんですが、今見ると結構ローポリなんですよね。

木澤 もう一つ次元を上昇させて4次元ゲームを作れば……(笑)。そういう意味では、PS以上のブレイクスルーは今後登場しえないのではないでしょうか。

◆昨今のローファイブーム

木澤 リミナルスペースやホラーに限らず、今はヒップホップなどでもローファイが流行っていて、ローファイ症候群と言っていいほどだと思ってるんですけど。例えば音楽だと、ヒップホップ以外でもザ・ケアテイカーとか、アナログレコードのクラックルノイズを意図的に音楽に組み込んだローファイ表現が近年流行っている理由には興味があります。

動物 ローファイがノスタルジーの雰囲気というニュアンスになっていますよね。現在的なローファイ概念が行き渡る以前に音楽でローファイという場合、ローファイヒップホップみたいな音は指さないんです。ローファイはラジカセで鳴らしたようなスカスカの音。ソニック・ユース、ハーフ・ジャパニーズ、ダニエル・ジョンストンとか、リッチではない宅録感とアウトサイダー感。でもローファイヒップホップの音は完全にハイファイなんですよね。共通しているのはスタジオでの録音ではない、という物理的環境の一致でしょうか。この現代の感性はナウスタルジアとか言われていますね。

木澤 ローファイも一種の美学のようになっているのではないかと、お話を聞いて思いました。音楽を作る時でも、ローファイでもハイファイでも曲を作ることができ、それがアップロードされる先がYoutubeでもSpotifyなど一緒なのだとすれば、その違いは美学的なスタイルなのではないか、と。実際に録音状態が悪いわけでなく、それを意図して行うスタイルは結構真似しやすいのではないかという印象を受けました。

動物 真似しやすい、でいうとダンスミュージックは「このbpmで何拍目にこのキックが来る」といった構造で分類されがちなのですが、定義があるから真似できる。反対にロックはアティチュードでカテゴライズされますから「音はフォークだけど精神性はパンク」など分類がよくわからなくなりがちで美学に近い。しかしなぜか様式の反復に陥りやすいのはむしろロックなのですが……。ローファイヒップホップはローファイが美学でヒップホップが様式なのかもしれませんね。ヒップホップはロックに近い定義概念ではありますが。

木澤 「○○コア」というときのコアという言葉が、そもそも音楽のジャンル由来です。

動物 由来になっているハードコアはパンクから来たもので、精神性を指します。マイクロジャンルの○○コア、○○ウェイヴは様式よりも美学寄りですよね。インターネットは人間の精神拡張ですから、多様な美学が生み出されるのは納得感がある。

木澤 ローファイつながりで余談ですが、TikTokで最近、ケアテイカーがめちゃくちゃバズったんですよね。どんどん記憶がなくなっていくアルツハイマー型認知症をテーマにした『Everywhere at the end of time』というコンセプト作品がケアテイカーにあって、「認知症六部作」とか呼ばれてるんですけど……。

わく 確か再生時間がすごく長い作品ですよね。

木澤 それです。全部で6時間半あるんですが、それのリスニング・マラソンを敢行する「ケアテイカーチャレンジ」というのがコロナ禍にTikTokで流行ったんです。

動物 さすがに6時間全部の動画をアップするのではなく、「1時間後」「2時間後」などで切って次第にTikTokerが「耐えがたい」という顔になっていく様子を楽しく見るというものですよね。ケアテイカーがTikTokで流行ってること自体がおもしろくて一時期よく見てました。

木澤 「ケアテイカーチャレンジ」は精神を崩壊させるとか自分自身が記憶喪失の症状に陥る可能性があるといった流言が飛び交ったりして、それでまた興味本位でチャレンジに参加する者が増えるという。さながらヴィレッジヴァンガードで平積みされている『ドグラ・マグラ』のような消費のされ方をしているんです。

わく 記憶喪失の症状に陥るという流言は面白いですね。どのような記憶が失われるのかまで演出した動画が出てくると、「ケアテイカーチャレンジ」後のチャレンジャーの末路を見れて楽しそうです。

動物 山崎ハコの『呪い』がニコニコ動画で「聞いたら呪われる音楽」として流行ったようなものですかね。

木澤 でも、ケアテイカーもノスタルジーや記憶がテーマなので、ある種のアクチュアリティはありますよね。

わく 他にもそういう耐久チャレンジができる作品ってありそうですね。イギリスの映画監督のデレク・ジャーマンの遺作『ブルー』は、監督本人がエイズの合併症の末期症状でほぼ盲目の状態で作ったんですが、画面が最初から最後まで80分くらいずっと青いままなんです。画面は変わらないまま、散文の朗読と音楽は流れているんですが、見ているだけでは物語が感じられません。デレク・ジャーマンのオールナイトに行くとだいたい最後に『ブルー』があるんですが、みんな安心して始発まで寝られる時間になっています。それを見ながら寝ないチャレンジとか、他にも想像はできそうです。

木澤 TikTokerがそういう前衛映画をたくさん見るようになったら面白いですね。

動物 消費の仕方として、ケアテイカーみたいな分かりにくいものを面白おかしく消費しようという反文化的なものは感じます。

わく 作品を理解しようという動きにはつながりませんもんね。

動物 正しい消費はしないぞ、という。でもそれってカルチャーの基本スタイルではあって、ダンスミュージックでもベースマシンの変な使い方から新しい音が生まれています。いつだって清く正しく消費しないこと、勘違いすること、遊ぶことで新しいものが生まれてくる。

◆リミナルスペースとジャンル生成の未来

わく 最初にリミナルスペースを知ったとき、定義が正直よく分からなかったんです。なんとなく、終着点でない境界的な場所で人が全くいない、ちょっと不気味だけど懐かしさを感じる場所というのが定義ですが、リミナルスペースを集めた画像botを見ていても「これってリミナルスぺ―スなの?」と疑問を感じるものもあって。色々な画像から解釈していく作業をして定義を探っていきました。それがコンピュータではなく人間が画像認識をしているような感覚があって、もしかすると今後、複数の画像から様式を抽出したり、Spotifyのリストに既存の曲を入れて見出された共通項から新たなジャンルが生まれたりと、画像認識のような形でジャンルが生成されていく、文字よりも画像や音楽がその流れを担っていくのではないかという印象を受けました。

動物 音楽の話だと、ハイパーポップというジャンルはプレイリストから生成されました。そもそもハイパーポップという音楽があったわけではなく、リスト作成者が「これがハイパーポップだ」と思った音楽をプレイリストに入れ、それを聞いた人たちがなんとなく共通項を見出して成立したジャンルなんですが、それが自動化されたらおもしろい、という話ですかね。

わく もしくは多くのユーザーが人力で行うとか、そういう流れでジャンルが生成されていくことが一般的になったら、ジャンルの誕生に気軽に立ち会えるようになりますね。

動物 そういうウェブサービスを作ったらちょっと流行るかもしれないですね。好みの画像とかを大量に集めて放り込むとAIが共通項を出して、「君はこういうのも好きじゃないかな」とレコメンドしてくれる。美意識や知の放棄のような気もするけど、素材自体は自分で集めているし……と不思議な気持ちになりそうです。

◆感傷マゾとリミナルスペース

木澤 感傷マゾ的に言うと、学校の放課後の無人の廊下などもリミナルスペースに含まれますね。

わく 放課後の廊下ってノベルゲームやアニメだと、無人だけど下駄箱のところで気になっている女の子と会うとか、そういうタイプのリミナルスペースを作ってVRChatで体験できたらいいですね。

木澤 窓の外から吹奏楽部の楽音が聞こえてくるとか。

動物 それは面白いですね。今あるリミナルスペースは人が絶対にいなさそうだし、出会うとしても異質な何かだと思うんです。感傷マゾ的な、誰もいない学校の廊下というのは、「ひょっとしたら会えるかもしれない」空間ですね。それは好きな人や同級生や友達だったり。誰もいないけれどもひょっとしたら会えるかもしれないという感情がある。リミナルスペースはとても会えそうにない。この違いはあります。

わく 間接的な人の痕跡が必要ですね。おそらく、感傷マゾ的なリミナルスペースは不気味さよりも懐かしさに少しだけ寄ったものになると思います。木澤さんが仰ったような窓の外から聴こえる吹奏楽部の楽音とか、校庭の野球部の練習の音などの人の痕跡はある。けれども、そこにも自分以外に誰もいない。それは、中学校や高校を舞台にした個人制作のノスタルジックなVRゲームの手触りに近い。もちろん、ゲーム制作の予算や人員がいれば、学校にいるモブキャラクターを全て再現することができると思うのですが、個人制作だとそこまでできないじゃないですか。だから、人がいる痕跡をBGMで再現する。その人間の省略の仕方が、「もしかすると、探せば誰かがいるのかもしれない」という妄想力を掻き立てられる。感傷マゾ的なリミナルスペースがありえるとしたら、存在しなかった青春ではなく、存在しなかった誰かを探したくなる懐かしい風景になると思います。日本の夏の田園風景を巡るウォーキングシミュレーターの『NOSTALGIC TRAIN』や、インディーズゲームクリエーターのaiminoさんが制作した『The Scent of Summer』は、僕が考える感傷マゾ的なリミナルスペースに近いし、とても面白いのでオススメです。後者は、「ある初夏の夕方、同じ塾に通う仲の良い女の子と下校する」という体験を行うVRソフトです。その反面、ネットで見かけるリミナルスペースの風景は、探しても人がいないように感じますね。

(旅行先で感傷マゾ的なリミナルスペースっぽいなと感じた情景。音割れした童謡『夕焼小焼』の時報が流れる中、「烏と一緒に帰りましょう」というメロディが流れるも、私以外誰もいなかった)

動物 リミナルスペースは完全に失われた感じがしますよね。人に会えそうな感じ、しますか?

わく しませんよね。仮に何かがいるとしても、バグ空間に存在するSCP的な怪物なのでしょうね。今後、人の存在を仄めかした感傷マゾのリミナルスペースが増えてくると面白そうですね。

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