語学学習に書く行為は必要か

タイトル、めっちゃデカいんだけど、時々思うんだよね。言語を勉強するときに紙と鉛筆で書く作業が必要なのか?または効果的なのか?結論を言ってしまえば、学習者それぞれである。人はそれぞれ、いろんな才能があるから、その自分の得意とする才能分野を使って、勉強すれば効果的なんだと思う。例えば、聞いて覚えられる人は、ひたすら聴けばいいし、書いて覚えられる人は書けばいいし、実際にどんどん話して間違いを繰り返して覚えていく人は話していけばいい。

私が中学生とか高校生の時の勉強で、何かを覚えるときは、書きながら、口に出して言ってた。手で書く、その書いたものを目で見る、それを読んでその音を聞くという作業。当時はこの勉強法が進められていたような気がする。あと、理解を進めるには自分なりに、大切なことを自分のメモも含めて、ノートにまとめていた。

じゃ、中学、高校の英語の授業でどうだったかというと、やる気なしだったね。もうね、中学1年の時の2回目の授業でやる気がなくなった。テスト、テスト、テスト、文法、文法、文法で、私がやりたかった「話す」という練習がなかった。いわゆる暗記するだけだった。確かに、覚えることも大事なんだけど、当時はそんなこと知る由もなく、やる気をごっそり抜かれたので、英語は苦手科目だったわ。

大学に入って、必須科目で授業をとったとき、日英文化比較を英文で読むとか、会話中心だった。そこから、「これこれ!私がやりたかったこと!!」って英語が好きになって、話したい!という意欲を思い出したね。それで、文法をもう一度勉強して、単語を覚えていった。テープを聞いて、繰り返し読むことをやってたなあ。そこから、地味〜に英語をちょこちょこ勉強し続けてた。

それでね、なぜ今回このでっかいテーマにしたかというと、日本語学習について考えたのさ。最近はアプリがたくさんあって、Youtubeもあって学習方法の選択肢が多くなって、書いて勉強する人は少ないんじゃないかな。そして、私たち日本人も手で書く機会がめちゃくちゃ減っている。会社の資料なんかもパソコンで作るし、大学で勉強するときもパソコン持って授業に入る学生もいるんじゃないかな?だから、私もいざホワイトボードの前に立ったとき、漢字が思い出せない・・・ってことがある。日本語教師として、やばいじゃんっていう人もいるかもしれないけど、「書かないとこうなる」を実証しているわけで、辞書を使って正しく書く。そこは、ご愛嬌ということで。

じゃ、日本語学習者も「書く」という作業をしなくていいのか?というと、私はやっぱり書いたほうがいいと思う。もちろん、その学習者が言語を勉強する目標にもよるけどね。日常会話に困らない程度話せたらいいのであれば、アプリとか聞いたり話したりして勉強してもいいと思う。でも、JLPT(日本語能力試験)N2、N1を受験するレベルを求めるのであれば、書く作業は必要だと思う。やっぱり、漢字の数は増えるから、それぞれの漢字の違いを認識しないといけない、それには書いて一画一画確認する必要があると思う。最近、漢字学習のアプリで、指で書かせるものもあるよね?これは、すごいと思う!筆順も覚えられるし、きれいな漢字が書けるようになる。

それから、これはパソコンでもいいんだけど、自分で文を作るという作業をしたほうがいいと思う。日記を書くとか、作文を書くとか。これを初級からやっていないと、初中級レベルになって、ヘンテコな文を作ってくる。JLPTの問題で言うと「文の組み立て」です。正直、この問題ができない学生は、文章が読めないと気づいた。だって、文の構成がわかっていないから、連体修飾とか理解できず、文を理解できない。誰が、誰にと言うような行為をする人、受ける人なども理解できていないケースが多い。

つまり、日本語学習者は「試験を受ける、中上級レベルを目指すのであれば、文を作る、書く、漢字を書くと言う作業をしたほうがいい」というのが私の今の考え。でも、学習者に押しつけはしないよ。あくまでも、学習者の選択だし、ま、最初にも言ったけど、個人差があるからね。見ただけで、正しく覚えられる生徒もいたし、たくさん聞いて話すだけである程度話せるようになった生徒も知っているから。

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