行き止まりの夜

 一緒に寝る夜は特に酷い喪失感に苛まれる。抱きしめたぬくもりが腕の隙間から零れ落ちるような、あるいは私がシーツの繊維の目から滑りおちるような、どちらともつかない不確かさが全身を包む。そして毎回、このまま寝なければ、一生朝なんて来ないんじゃないかという夢想に揺蕩いながら、私の意識は国道を走るトラックの音に溶けていく。
 今日もまた目が覚める。朝というには遅く、昼というには気が早い時間。昨日より減った牛乳とシーツの皺が、彼女が今日も仕事に出たことを告げていた。

 社会人と大学生では生活のリズムが随分と違う。というか、生きていくステージの中で、大学だけがやたらと遅い時間で動いていた。私は彼女と付き合うようになってから、殊更それを実感していた。私が起きるころには彼女はとっくに会社に着いていて、彼女が夕飯を食べ終わったころに私はやっと帰路に就いている。一度私が帰宅するまで彼女が夕飯を待っていてくれたことがあったが、あまりの申し訳なさに一回でやめてもらった。普段無表情な彼女が、無表情なままひもじそうにしているのはちょっとかわいかったが。

 「女の子とは結婚できないのよね」
 カーテンの隙間から差し込む月明かりの中、彼女は唐突に呟いた。
 「そうですね。だから私と貴方は結婚出来ない。不満ですか?」
 「いいえ、ちっとも。むしろ喜ばしいくらい」
 私はムッとしたし、それ以上に悲しい気持ちになった。まるで私では彼女の人生の伴侶は務まらないみたいな言い草だ。だがそれを口に出来なかったのは、喜ばしいと言いながら、その実彼女が欠片も喜んだ顔をしていないからだった。
 「昔、付き合ってた男がいたの」
 彼女は私が一番苦手な種類の話を始めた。
 「その男とは大学の頃から付き合ってて、会社に入っても二年くらい関係が続いてた。親や友達からは「はやく結婚しないの」とかからかわれてたから、私もすっかりその気になってたんだけど」
 今ここで私とこうしてるってことは、つまりその男とは上手くいかなかったんだろう。
 「ある日突然ね、別れようって。まあ向こうからしたら突然でもなんでもなかったのかもしれないけど」
 奇しくもそれは、私が常に怯えていることと同じだった。鈍感な自分は何も察せずに、ある日突然捨てられる。そういう夢想で眠れなくなった夜は一度や二度ではないし、昼に突然思い至って身体が跳ね、動悸がする日もしょっちゅうだった。
 「その時思ったの。男の人相手だと、しばらく付き合ったら結婚して、結婚したら子ども産んで、みたいに関係をどんどん発展させなきゃいけなくて。男の人も、もちろんそれを前提に女の人を選んでる。ただ「貴方が好きなだけの私」は結婚のハードルを越えられない」
 いつもは無口な彼女が、いつになく饒舌だった。
 「貴方に告白されたとき気づいたの。女の子相手なら、結婚も子どもも関係ない。少なくとも、言葉の上ではそれ以上になれなんて誰も言わない。恋人になったらそこで行き止まりじゃないかって。そう思ってるのは、私だけかもしれないけど」
 私は自分の言いたいことが分からなくなって「そうかもしれないですね」とだけ言って、シーツを握りしめた。
近くの国道をトラックが通って、振動が伝わってくる。きっと朝は、私たちが眠れない夜の越え方を見つける前にやってくるのだろうと思ったら、なんだかひどく取り残された気持ちになった。臆病者が二人、行き止まりの前で立ち尽くしている。結局これはそういう恋なのだろう。
カーテンの隙間から見える信号は何度も青になっていた。彼女はいつまで私と一緒に取り残されてくれるのだろうか、と。私はそんなことばかり考えていた。

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