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四本目 『目指せブンデスリーガ~Mission2020~』

DJM『ドイツ柔道部物語』第四本目は前回に続きブンデスリーガについて書いていこうと思います。と言っても今回は僕自身がブンデスリーガで試合をするに至るまでの経緯を知ってもらおうという内容です。

それでは参りましょう。「はじめ!」

すべてはここからはじまった! -Bezirksliga-

Bezirksliga(ベツァークスリーガ)とは前回説明したように、デュッセルドルフ市とその近郊の町にあるクラブチームが集まって行う柔道団体戦リーグのことです。

参考までに前回の記事のリンクを貼っておきます。

つまるところドイツにある一番下に位置する第7部リーグのことです。

こういう地方のリーグは趣味で柔道をやっている選手や、若手(カデ)の選手が試合の経験を積むための登竜門的な存在になります。ですので年齢層も様々で、チームによってはそこまで勝ち負けにもこだわらず、みんな楽しそうに試合をしていたなあという印象があります。

試合や会場の雰囲気がわかるように過去の試合動画を貼っておきます。↓

この動画はちょうど最終節でリーグ昇格を決めた試合になります。動画の最後にもあったように試合後には会場でシャンパンやビールを飲んだりできるのも楽しみの一つですね!

別に昇格を決めたからというわけではなく、ドイツ人は事あるごとにビール飲んでます。(特にホームで試合をする場合)

ブンデスリーガの場合はクラブチームがドイツ全土に散らばっているので、移動距離などの都合で2チームのみが集まって同じクラブチームと2試合するのですが、地方リーグではクラブチームの距離が近いので3〜4チームが集まって、1日でそれぞれ2〜3試合裏表なしで試合をします。

この当時はだいたい11〜12チームほどが参加していて、決められた日程に各会場に3〜4チームが集まりそこで団体戦をしていました。それが合計4節あって団体戦の勝敗数によって順位が決められます。

団体戦勝敗数が同点の場合は得点差(一本10点、技あり7点)で順位が決められます。

このリーグ戦を毎年勝ち上がっていくことで6年後にはブンデスリーガへと到達するわけです。

Misson 2020

そもそもなぜ自分のチームがリーグ戦参加をはじめたのか、ここについて話をしていきます。

僕がドイツへと渡ってJC71 Düsseldorfに入会した年にクラブのオーナーが代わり、あるプロジェクトが立ち上げられました。それが『Mission 2020』です。

これは来たる2020年の東京オリンピックまでにクラブチームをブンデスリーガへと昇格させ、オリンピック選手を輩出できるようなチーム作りをしようという一大プロジェクトです。2013年に女子チームが、そしてその翌年2014年に男子チームが設立されました。

かなり長期的な計画なので、はたして実行できるのかという心配はありましたが、多額の資金を投入し女子チームは2019年にブンデスリーガ1部昇格、男子も2部へと昇格することができました。

またチームメイトでブンデスリーガ昇格に貢献してくれていた+100kg級のJohannes Frei選手(2020 Gland Slam Düsseldorf銀メダリスト)が東京オリンピックの内定も獲得しました。

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目標としていたブンデスリーガ昇格、オリンピック選手輩出は果たしたものの、大きすぎる出費でチームの首が回らなくなり、残念ながら男子チームは昨年解体されてしまいました。

というのもブンデスリーガで戦うためにはめちゃくちゃお金がかかるんです。助っ人選手の契約金や参加料などかなりの経済的負担がチームにかかります。(この辺のお金事情はまた後日詳しく記事にします。)

結果だけみれば大成功!と言いたいところですが、このチームの無謀すぎる出費のせいで当時チームのコーチをメインでやっていた時には給料の未払いや遅延が多発しており一時はクラブチームの存続自体も危うかった時期がありました。

お金がないと家賃やその他経費の支払いもできないので、マジで帰国しようかと考えたこともありましたが、なんやかんやでいろんな人に助けってもらって今の立場があるのでそれは感謝です。(そのなんやかんやもおいおい書こうかなと思っています。)

みなさんお金は将来を見据えて計画的に使いましょう!

リーグ戦での自分の立ち位置

ざっと『Mission 2020』について説明しましたが、ここからはリーグ戦での自分の立ち位置というか役割がどのようなものだったかについて書いていきます。

7部リーグから毎年勝ち続けて柔道ブンデスリーガ2部まで来たわけですが、それまでの道のりはけっして優しいものではありませんでした。

というのも僕自身は便利屋的な扱いを受けて来たからなんですね。本来-73kg級で登録していたのですが、ドイツに限らずヨーロッパって軽量級や重量級に比べて中量級の層が厚いんです。

なのでチームの-73kg級では一応一番強かったと自負していたのですが、僕の場合日本人なので僕を-73kg級で使ってしまうと、他にも使える選手いるのに2枠しかない外国人助っ人枠を使ってしまうことになるんです。

だからチームとしては中量級で使うよりも使える選手がいない-60kg級とか+100級とかで外国人助っ人を使いたいので僕は最初の方あまり使ってもらえませんでした。

でもお金がなくなってくると助っ人を呼べなくなるので僕を-81kg級か-90kg級で使うようになります。そして他の-73kg級の選手をその階級で使ってました。

当時はコーチの仕事に語学学校に深夜のアルバイトとかもやってたりしてベストな練習環境じゃなかったので体力的にもきつかった記憶があります。でも日本で柔道してた時は階級関係なく練習も試合もよくやっていたので、使ってもらえるのが普通に嬉しかったですし、実際チーム一丸となって挑む団体戦はめっちゃ楽しかったです。

結果ブンデスリーガ2部に昇格するまでの試合は一度も負けることなくチームに貢献もできたのでよかったです。でも2部ではまた助っ人呼ぶようになったりして結局1回しか使ってもらえませんでした。しかも+100kg級で。

ただの人数合わせで入れられて「棄権していいよ」と言われましたがようやくたどりついたブンデスリーガ(2部)の舞台。もう機会もないやろと思って試合しました。

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↑この試合始まって2分後に腰絞め極められて死んでました。だってドイツ人デカいんだもの。笑

絞まってるけど締まりのない終わり方でしたね。が、しかし自分としてはここまでやって来た過程には満足できたし改めて柔道の楽しさを感じることができて、本当に良い機会だったと思います。

自分が学生の頃は、学校自体がそこまで強くなかった(ギリギリ近畿大会出れるくらい)ので団体戦ってそこまで思い入れとかなかったんですが、ドイツ柔道リーグ団体戦でのチームの一体感というかみんなで少しずつ目標に近づいていってるそんな感じがとても心地よかったです。

残念ながら夢半ばで男子チームは解体となりましたが、自分の柔道人生のいい経験になりました。

みんなも団体戦でましょう!ってことで今回はこのへんで。

それまで。ではまた!

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