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一本目 『ドイツで初練習』

というわけではじまりました『ドイツ柔道部物語』略して"DJM"。
"DJM"これから浸透させていこう。

どのような経緯で今の立場や状況になったのかということをわかりやすくするには時系列で書いていくのがいいのかと思ったので「○本目」みたいな感じでなるべく時系列通りに書いていこうと思います。(多少の前後はあしからず。)

でもいつも他人の経歴ばっかり見せられんのも「これ誰が興味あるんですか!?」状態になりかねないのでその辺はうまくバランス取れるように違うネタも組み込んでいこうと思います。

それでは「はじめ!」

そもそもなぜドイツに来たの?

「俺はドイツに行って柔道で一旗揚げて柔道界に革命を起こすんや!」

みたいなことは微塵も考えてなかったのでご安心ください。そもそも大学の4年間は柔道すらしてなかったです。だからドイツ行きが決まった時も柔道衣をスーツケースに詰めていくかどうか悩んでたくらい。

というより何がどうなってドイツに行くことになったのか。海外に憧れがあったわけでもなく、言語が得意だったわけでもない。
そう、なんとなく。

ていうのも初めての職場がデュッセルドルフ日本人幼稚園やったわけですが、これは大学の時に受けてた器械体操の実技授業の担当教授が紹介してくれました。当時体重が100kg近くあった僕ですが、柔道やってたおかげで器械体操めちゃめちゃできたんです。あとプロレス同好会に所属していたのですが、その教授がプロレス好きで印象に残ってたみたいで声をかけてくれました。頼んでもないのにパッチギで有名な大木金太郎の自伝を貸してくれたりもしました。(誰がわかんねん。)

そんなわけで特に大学卒業してから自分の進路について何も明確なものを持っていなかったのもあって、ドイツで体育教員の枠空いてるから2年契約で行かへんかという誘いに乗ってなんとなくドイツに来たわけです。なんか2年間ドイツで仕事してましたみたいに言えたら箔がつくなくらいにしか思ってませんでした。恥ずかしながら実に浅い男ですよ。

新社会人への洗礼

6月初旬、仕事をはじめて二ヶ月が過ぎたころでしょうか。急激な腹痛に襲われ仕事中立ってられなくなり病院に行きました。ストレスによる胃炎だった思います。

職場が幼稚園ということもあり男性が僕と理事長しかおらず、女性だらけの慣れない環境、初めての一人暮らし(しかも海外)、そして体育教員が何の社会経験もない自分一人しかおらずどのように仕事を進めていけばいいのか、誰に頼れば良いのかわからない手探りな状況によるストレスが原因だったのでしょうか。100キロ近くあった体重が気付けば85キロくらいになってました。(ある意味健康体に戻っただけとも言えますが。)

これはやばい。なにか息抜きや趣味みつけなメンタルが壊れる!

「そうだ 柔道、行こう。」

てなわけでデュッセルドルフにある柔道クラブを探しました。そこで見つけたのが今もコーチをしている『Judo Club 71 Düsseldorf e.V.』でした。

4年ぶりの柔道

この時ほど柔道衣を持って来てよかったと思う日はありませんでした。さっそく連絡を取り練習時間や場所を聞いてみると練習場所は複数箇所あり、競技の目的によって練習場所が異なるという。

ん?競技目的???

僕がイメージしていた柔道の練習といえばめっちゃ簡単に言えば
「打ち込み、投げ込み、乱取り!」でした。

でもドイツでは競技スポーツ(Leistungssport)と生涯スポーツ(Breitensport)とでコースが分けられています。ざっくり分けると選手としてガンガン乱取りとかするのが競技スポーツ、形や受け身などの技術中心の練習をするのが生涯スポーツのコースです。だから一概に柔道の練習といっても乱取りのような激しい内容だけを指すわけではないんですね。

そんなこんなでアポを取り水曜日の夜に仕事を終え道場があるHildenというデュッセルドルフの隣町まで足を運びました。慣れない英語で柔道の練習をしたいという旨を伝えると、コーチも選手も「日本人柔道家が来た!」みたいな感じでめっちゃウェルカムな雰囲気を出してくれてました。

そして4年ぶりの柔道の練習。準備運動に回転運動などを終え、寝技の技術練習、寝技乱取り、打ち込み、立ち技乱取り、最後スピード打ち込み、みたいなメニューだったと思います。久々の柔道でボロボロになりながら、軽量級にも投げられながらではありましたが、練習を終えた時の爽快感というか満足感はたまらなものがありました。

柔道というコミュニケーションツール

初日の練習を終えて感じたこと、
「言葉そんなに話せへんけど、めっちゃコミュニケーション取れたな。」
でした。(この頃はドイツ語能力ゼロ)

いろんな選手がなんとかコーチが言っている内容を伝えようとしてくれたり、僕自身も身の上話をしたり、技術練習の内容でわからない部分を聞いたり、逆に乱取りした相手からどうやって技に入ってるとか聞かれて教えたりといろいろなやりとりが生まれました。

これはどのスポーツにも共通することだと思いますが、はっきりとした共通言語がなくても人と繋がれるのが柔道です。しかもちゃんとわからないからこそ理解しようと頑張ります。そうかこれが能動的学習かと。その練習時間中は脳がフル回転していたような感覚がありました。

その日は、身体は疲れているのですが、頭はやけにすっきりしていたのを覚えています。なにか新しいことを経験することは脳にとって最高のリフレッシュになるんだなとしみじみ思いました。

新しい環境で新しいことをするのは恐怖心もあるかと思いますが、案外やってみればなんとかなるものです。むしろ楽しいことの方が多いかも。皆さんも海外で柔道してみてください。いろんな価値観を持った、異なったスタイルの柔道家、コーチがたくさんいます。今は状況的に難しいですが柔道衣を持ってヨーロッパ周遊なんかも楽しそうですね。

ぜひドイツにも寄って江口を訪ねてください。全部ドイツ語で対応します。笑
自分でなんとかコミュニケーションとってみてください。

それまで。ではまた。

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