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私は今わたしのことが一番知りたい


「あなたの事、知りたいよ」

この言葉が「あなたのことが好き」に変換されて受け取られることがある。

知りたいと思う、これは好意そのものである

と、多くの人が思っているらしい。

私は勝手に人に判断されたり、私が特に何も感情を抱いていない人たちに「好き」「嫌い」の気持ちを向けられることに嫌悪感がある。

私の何を知ってるんだ、

と、言いたくなる、

勝手に判断して勝手に察してくれていいから
私の耳にだけはその認識入れてくれるな

なんて思っている。

一時期は、その「勝手に判断される」ことすら嫌だったが今は勝手にやってくれ、に昇華されている。 うん、昇華だ、私の中では。

私は、風を肌に感じることがすきだ。

だが私は風がどこから来るのか、風はどこに行くのか、なぜ風という名前なのか、風という漢字はなぜこの形なのか

ということは知らない。
知ろうとしたことも、この問いが生まれたことも今この瞬間以外はない。
そして答えを探っていこうと言うつもりもあまり無い。

だけど、好きだ。


そうだ。

私にも、何となく好きなものがある。

今、外へ吹き抜ける駅のホームで
風を感じてそう気付いた、なんかビックリした。

いいのか。知らなくても。

いいのか。

知りたいと思っても。知りたいと思わなくても。

表現できても。表現できなくても。


人が私に向ける感情も、きっとテキトーだ。
「なんか、そんな感じがする。」くらいなもんであろう

そこに「感情すら抱くな」「判断して分かった気になるな」「むしろ判断してくんな」「視界にも入れてくれるな」

そういう気持ちを抱くこと、それが人を操ろうとしていることなのだろう。

私は、人を操りたい。きっと。
本心かと言われるとそれは知らんが、きっと何かしらの欲求を満たす最終形として現れているんだろう。

(操るって漢字、るが送り仮名なんだ、意外と読めないわね。)

拒否されたくないから。
いかに拒否させないか、否定させないか。

間違ってる、と言われる事がとても耐え難い。
だから早いもの勝ちと言わんばかりに私が人を無意識に否定してしまう言葉も出るんだろう。

否定する言葉が出る自分が嫌だった。
今の否定したよなって思う時間が嫌。
でも、今はふとその言葉が顔を出す。
出てくるもんはしょうがない。

きっと根っこに何かあるんだろう
 


だけどな、そんな今

私は私のことが一番知りたいと思っている


私は、

なんか気心知れた友達には、あえて「クソムカついたんだよ〜」とか汚いとされる表現、言いたくなっちゃうし(※友達に向けた言葉ではない※🍙)

私も喋りたい、「言うてもどうもならん」みたいな事こそ言いたくなっちゃうし

え?なんで?って思ったら、どう言おうとか遠慮とかなく「え?なんで?」って聞きたいし、言葉も遠慮なくスッて出たほうが快腸感がある

パートナーには、雰囲気を優先するあまり、スッて言えることもあればウグッって言えない時もあるんだよね。

そしてそして、

こう思っている私は今の私であって

この先もずっとこうである必要もない、
こうである保証もない

この瞬間の私は絶えず変わっている、

あなた変わらないね、って言う人もいるけど、細胞は入れ替わってる、特に女性は月イチでも大きく脱皮のタイミングがあると思ってる

今の私に会えるのは、今が初めて。 

何が無意識に出てきて
何を瞬間的に感じて
何に引っかかって
何を見なくて
何を見たいか

出てくるもの、湧いてくるもの、じっくり見てみたい気分だねぇ。


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