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元気・氣をもらえるって実はそんなに意図されてないんだ

体重計に乗ってヽ(=´▽`=)ハッ!となったのもつかの間、家の猫さん分(5キロくらい)の体重が抜けていたことに気付いた。クーラーをつけずに過ごしていて、胃腸も不調でカチコチ、玄関にあった観葉植物が自分を投影してくれたかのようなシナシナな感じの最近だった。

あんまり食べないと、本当に元気ってなくなっていくんだなと思った。

この土日、元気が湧き出てくる感覚があったので記しておきたくなった。昨日や今日の日をまた思い出したくなったから。

3つ、4つくらい元気のタネがあった。

1のタネ🌱料理教室の体験に行った。
小学四年の女の子と、私の彼…になりそうな方と3人対 先生で進める。
彼女の料理がやってみたい!という気持ちは「お母さんがお熱の時に思った」んだそう。

健気さと、だけど料理教室にはお金がかかってしまうという母や家族への申し訳なさとを持っているその子と一緒だった。
材料を手分けして測ったり、ハンバーグを皆でペチペチして、チーズをギュッと包み込んで、焼いてひっくり返したり、玉ねぎ混ぜ混ぜをお願いしたり。

その間に、彼女に話しかけながら私達二人も擬似的に娘が出来た感覚もそれぞれに感じながら彼女が怪我をせず、私できた!って思えたらいいなと思って、一緒に楽しんでいた。

「母への力になりたい、喜んでほしい」という思いに、私が元気をもらった。

嬉しかったのは、彼女が私と同じ長女だろうということがわかったけど、全部遠慮してしまうことなく「母と二人で来て体験ができたこと、何で😤😤?!と怒る表現は母に出せていたこと」
彼の話しかけ方も言葉は聞こえなかったけど、温かさが伝わったし、私も「いいじゃんいいじゃん」と彼女の自信になれたらとできたこの空間の温かさが最高に、思い出しても泣けそうなくらい心がジワーンとした。

元気のタネ2🌱そのままできっと良い方に行く、と信じてもらえてる感覚
スタバに寄る。カブリピーチ🍑という桃を丸かじりしたような感覚のフラペチーノ(フラペチーノは10年ぶりくらい?!)

筋力的に背筋もヘナヘナだったので、ずっと机にこめかみを付けて話させてもらった。

自分一人で居るときより、頭に何もないクリアでいい意味で空っぽな感じがした。

何を喋っても「私は話して、自分で見つけて選んでいける人だ」と信じてもらっているような感覚をずっと感じていた。

こうなったらいいのに、こう考えたらいいのに、という意図も感じられず、そう思ったんだ、まあ無理だけはしないようにね、という感じで聞いてくれていた。

感じたこと、感じたままに、それがあなたの今だね、という感じで聞けることに私の聞き方との違いを感じた。

私は「相手の話を聞いてあげなければ、相手は落ち込んでしまう、変な方へ行ってしまう(どこ)(自覚なし)」と思っていたことに気付いた。だから、何か言って気づかせよう、聞いて晴れさせよう、一つ残らず👾😎とチャンスをずっと伺いながら話を聞いていた。それがまたエネルギー消費の多いこと。

自分の影響力の出る幕をずっと探しているような、「私の力で!」みたいな力みはずっとあったと思う。

そんなに力まなくても、人は自分で気付いていけるよなって思えた。

元気のタネ3🌱とうもろこし🌽生かじり!
父が農業ボランティアに行ってきた。
無農薬夏野菜や朝採れとうもろこし等たくさん貰って、今日しかできない🌽の生かじりをしてみた。

ジューシー。ジュースみたいに甘くて、大地の氣が詰まった塊を取り込めた。
この元気チャージの希少性たるや。ものすごいパワーだった。
父が汗かいて摘んできて、父と出会った農家さんはこの何ヶ月も前からずっと育ててきたり、失敗も成功も味わってきたんだなと思いを馳せたらさらにパワーチャージになった。

元気のタネ4🌱私のために色んなものを考えて買ってくれた
資源ごみ運びや散歩用の帽子、熱中症にならないための温度計。あれこれ探して一緒に買ってくれた。決めるまで待ってくれた。

帰り際、一緒にスーパーに行って売られている昨日採った🌽の姿も見ることができたのも、言葉はなくとも二人共大きな嬉しさになっていたと思う。

「元気にさせよう」「自分がなんとかしよう」「こう考えればいいんだ」これは全部力みで意図が入りすぎているんだとわかった。

力みもありだ、だが私はもうこれからはしなくていいと思った。

どう選ぼうが、むしろ選ばなかろうが、見つけなかろうが、彼らは勝手にどこかのタイミングで掴んでいく。

私が利用者にしたくなかった「楽しませる」という目的が謎の仕事は、きっと私が力まなくてもどこかで利用者は掴んでいくはずだ。

と思った。

なにか言わなくても。







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