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Chill the weekend代表Jojiどす。自己紹介①

はじめまして!!
Chill the weekend代表のジョージです!

4月からは自分のブランドも運用しつつ、

Retty株式会社で働かせていただいております!
(といってもGW明けまで自宅待機なのですが..)

このブログで僕は学生時代の経験を活かして、

・海外生活(留学)について
・学生起業について
・就職活動について
・自己分析について
・その他マインドセットについて

このあたりを書いていこうと思います🤤
他のクリエイターもかなり面白いので要チェックです!
(また紹介できたらいいな✌️)

これを読んでくれている方は学生が多いと思うので、
今日の記事は僕の大学時代について書いていこうと思います!

(就活とか、マインドセットについて語る前にお前だれやねーん!状態を無くしたいのでw)

【サッカーとコンビニ夜勤の永遠サイクル】

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入学と同時に体育会サッカー部に所属しました。
毎日しっかりと朝練して授業受けて、コンビニ夜勤。
(部活やってたらバイトする暇ないから夜勤しかなかった)

高校サッカーでは試合に出れずに悔しい想いをしていたから大学サッカーでは1年生から試合に出れるように必死でした。

ファミマの夜勤は楽ちんでファミチキ食べて寝て
「てれれれれれーん て てれれれれーん♪」って音が聞こえたらレジして。って感じでした。

【リーグ降格と同時に始めた英語の勉強】

サッカーとコンビニ夜勤のサイクルだった1回生でしたが、11月のある日転機が訪れました。

Aチームが、リーグ降格したのです。自分もこの時にはAチームに入ってベンチ入りさせてもらっていたのですが、このとき、ある疑念が生まれました。

「このままサッカーだけやっていていいのか?」

この時点で自分がプロサッカー選手になれるという気もしていませんでしたし、他の大学の学生と出会い始めて自分とのレベルの差を強く感じていたからです。

なんかしたいなぁぁと考えていた時、ふと浮かんだのが

「英語できる人かっけえ...!」

こんな単純な思考で英語の勉強を始めました。(笑)

【人生で初めての勉強。大ハマり】

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恥ずかしながら、これまでの人生で勉強したことがなかったんです。
(高校入試はスポーツ推薦でパス、授業中もずっと遊んでた。。大学は指定校推薦)

なので勉強の仕方がわからない!というところからのスタート。笑

色んな先輩や先生に相談しまくって、勉強を始めたのですが、
試行錯誤していく中で、ある勉強方法に出会ってそこから大ハマり。

5ヶ月でTOEIC250ぐらいから600ぐらいまで伸ばすことに成功しました。
(完全初心者から普通に話せるぐらいかな?またニーズがあれば記事にしようかな!)

【サイパンで教育実習!?】

英語の勉強にのめり込んでいる時でした。
(この時はまだサッカー部に属していて、コンビニ夜勤も継続中。)

後の恩師となる教授に出会いました。その教授に

「英語の勉強始めたんですよねえ〜〜」

「じゃあサイパンに行くぞ。」

「え?」

って感じでサイパン行きが決まりました。

これは大学の海外研修のひとつで、

サイパンでホームステイをしながら子ども達に日本文化を教える

というものでした。

【悔しかったサイパン研修】

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このサイパン研修は3月の頭に行われました。
これまでしっかりと準備をしてきたつもりだったのですが、

「全然英語伝わらねぇぇ。聞きとれねぇぇ。」

めちゃめちゃ悔しかった。

けど、喋れないなりにどうやったら伝わるかをひたすら試行錯誤するのは面白かったんです。

ここで、「英語が喋れないから伝わらない」と思考停止するのではなく、どうやったら伝わるかを考え、試行することが大切!そしてビビらず喋り続けることが大切とわかった。

ただ、勉強してたのにまだまだ伝わらないことがわかったから、帰国後めちゃめちゃ勉強しようと決心できたのがこのサイパン研修でした。

【古川十豊との出会い】

サイパンの1週間後、僕はまた関西国際空港にいました。
ネパールという国に行くためです。

1ヶ月前。大学内である出会いがありました。

もう春休みに入っていたのですが、僕は英語を勉強するために大学へ向かっていました。

行きのバスの中で、大学パンフレットをぱらぱらーっと見ていました。

その中である記事を見つけました。

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「ネパールの子ども達にサッカーを通して笑顔を届ける!?」
「ネパール総理大臣賞受賞!?」

こんな人がこの大学にいるのか、すげ。。

なんて思いながら大学につき、いつも勉強しているところへ行くと、

なんと

「あのネパールの人いるううううう!!」

思わず声をかけてしまいました。

「あのー、はじめまして。。僕英語勉強してて、海外とかにも興味あって。。」

「おー、そうか!ほなネパール行こか!」

「え。」

こうして、この変人「古川十豊(しゅーとくん)」と出会い、ネパールが決まりました。(ネパールってどこおおおお)

【竹中俊との出会い】

空港で荷物を預ける為に列に並んでいると、
「あ、しゅーとくんお疲れっす」って眠たそうな人に声をかけられました。

この人が「竹中俊(しゅんくん)」。
instagramフォロワー1万人越え。全国で講演をしているらしい。。

他の人も行くと聞いていなかったけど、、、。
後から聞くと、この人がしゅーと君の相棒らしい。

また変な濃い人と出会った。。

【価値観をぶっ壊されたネパール】

ネパールでは本当にたくさんの驚きがあった。

・クラクション鳴りまくり、交通ルール無視
・信号機の電気ついてなくて、その下で警察が手信号
・使えなくなった電線を道に放置


・ずっと笑ってるネパール人
・やたらと美味しいネパール料理
・やたらと安いレイバンのサングラス

さらに

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・農村部の教育委員会との打ち合わせ
(e-educationの三輪さんとかもいたw三輪さんの名プレゼンテーションはこちら↓)

「なんで俺こんなところに同席してんの!?この人達どんだけすごいの!?」

本当に刺激的で目が回るような1週間でした。

【サッカー部を離れると決心した孤児院での3時間】

そして、しゅーとくんと俊くんに連れられて、
NYCDSという孤児院に連れて来てもらった日のことです。

着いた瞬間、

「Brother!! Let's play football!!!!!」

って手を引かれてサッカーをすることになりました。

グラウンドはボコボコでボロボロのゴールに僕が持って行ったボールで試合は始まりました。

裸足で転けまくりながら、本気で汗を流しました。

気づくと3時間程が経っていた。

「初めて出会ったはずなのに。」

「知らない国なのに。」

「年齢も違うのに。」

「英語もろくに話せないのに。」

3時間も一緒にボールを蹴って、本気で仲良くなってた。

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この時強く感じたのです。

「サッカーって、どこでも誰とでも仲良くなれる最強の武器じゃん」

「これ、サッカー部にこだわってプレーする必要ないな。。」

そして、後からしゅーとくんと俊くんに教えてもらった。

「ネパールにはまだカースト制度(生まれや家柄によって就ける仕事が左右されること)が残っていて、彼らは本気でプロサッカー選手を目指すことができない。」

僕は、

人工芝で、スパイクを履いて、毎日練習ができて、試合も毎週ある。
にも関わらず悩みながらダラダラとサッカーをする日もある。

これが物凄く恥ずかしく感じた。

「本気でなんでも目指せる環境に生まれたのだから、今本当にやりたいことを本気でやろう」

今本当にやりたいこと。

それはサッカーではなくて、英語の勉強だった。

そして、帰国後、サッカー部を辞めることを決意した。

【英語の勉強再加速!留学行くぞ!!!】

帰国後、サッカー部を辞めると両親に電話。

うちの両親は、「自分のことは自分で決めなさい、サポートはするから。」
という教育方針で、本当にここまでの人生で自分の選択に口出しをされたことはなかった。

電話越しで

「サッカー部を辞めようと思っている」と伝えると、

「自分で決めたことなら頑張れよ」と言ってくれた。

けど、このメッセージには多くのことが詰められている気がした。

・本気でサッカーを姿をまだ見たかった
・公式戦で活躍してる姿を見たかった

まだ、大学の公式戦でプレーしてるところを両親に見てもらってなかった。
高校サッカーでもトップチームの公式戦には出れなかったし。

僕自身もめちゃめちゃ悔しかったし、本気でサポートしてくれている家族も同等以上の悔しさがあったと思う。

だから決めた。

「サッカーに注いでいたエネルギーを全て英語に注ぐ、そして交換留学に行く!!!」

これが2年生が始まる直前の3月の話。

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次の記事では2年生の時の自分について書いていきますねーん🤤✌️

Joji


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