ひとつのコードでどこまでひっぱれるか
いわゆるゴールデンウィークというものが終わり、本日は世間が通常に戻ろうとする一日です。
晴れから穢へ戻るわけで、当然、ほとんどの人にとっては心がしんどい日でしょう。
ひと昔前は「5月病」とかいう言葉で表現していました。新しい環境での生活が4月から始まって、最初は緊張感でアドレナリンも満開、何とか2週間ほど夢中で頑張るんだけど、その無理から来るストレスが連休中に一気に反動で噴き出して、連休明けに「戻りたくない」というマイナスな気持ちが充満してきて、それぞれの人の行動に現れます。
命を絶つ、という極端なとこまで行く人もいれば、不登校になってしまう学生もいる。そこまでいかなくても心が重たくなる人は多いはず。
長年教員をやってて感じていたことですが、なんでこの国のカレンダーはこんな時期に祝日を集中させて、せっかく新しい環境でリズムに乗りつつあった学生たちのペースを崩すのか。
学校の現場の感覚でいうと、祝日というのは邪魔な存在です。これに関してはいろんな方面から批判が来ることは承知の上ですが。
学習というものは一定のペースで行われるのが一番効率がよい。
小泉首相の時に推進されたハッピーマンデーなんぞ、学校にとっては最悪に迷惑なもので、3連休明けの火曜日の朝は毎度グダグダ。
それに月曜日の授業が少なくなった分、結局それの代替をどこかでしなくてはいけない。
じゃあ、「来週の金曜日は月曜日の授業に変更」ということをやったらいいじゃないか、と皆さん思うでしょうが、曜日変更したところで、非常勤の先生が来れなくて、結局自習だらけになってしまう、というのが現実(現職の教員ならわかりますよね)。
もし私が文科省大臣ならば、中学高校に関しては、公立、私学を問わず、「土曜日曜は休校。月曜日と水曜と金曜は午前中で授業は終わり。祝日はカウントせず。夏休みは8月1日から31日まで。冬休みは12月26日から1月3日まで。」を強制しますね。
2年前にA首相のツルの一声で 全国一斉休校 なんて乱暴なことができたんだから、これくらいのこともツルの一声でやれるんじゃないですか。
そんな妄想はさておき、
高校生に楽曲を創作することを勧めると、1小節ごとにコードが変わっていく曲を作る子がほとんどです。C D Bm Em といった循環コードがずっと続くような曲。まるで判を押したように。
「頻繁にコートを変えないで、ひとつのコードでもっとねばったほうがいいよ」というアドバイスをしますが、なかなかピンとはこないようです。
ひとつのコードでねばり続ける曲の例として、FACES の MISS JUDY'S FARM を紹介します。
FACES は SMALL FACES から発展したイギリスのバンドで、1970年から1973年まで活動してました。 ボーカルはロッドスチュワート、ギターはロンウッド(現ローリングストーンズ)。山内テツという日本人が在籍したこともあります。
中学生の時、「マギーメイ」という曲がヒットしてロッドスチュワートというシンガーを知ったのですが、彼が在籍するバンドが新しいアルバムを出した、というのでFM大阪の ビートオンプラザ という夕方のラジオ番組で紹介してました(ビートオンプラザの思い出はまた別の機会に)。
そのアルバム「馬の耳に念仏」の1曲目が MISS JUDY'S FARM です。
ロンウッドのDm のギターリフで始まるんですけど、その曲にはコードチェンジというものが基本的になくて、ずっとDmのコードで全員ほぼアドリブで演奏しつづけるんです。
これが実にスリリングでかっこいいわけです。
(17) THE FACES & ROD STEWART - Miss Judy's Farm (1972 UK TV Appearance) ~ HIGH QUALITY HQ ~ - YouTube
ロックのかっこよさの原点は3コードなんだけど、ワンコードでひっぱるかっこよさ というのは令和の時代には存在するのでしょうか。
逆にこういった曲は終わり方が難しくて、スタジオ盤ならフェードアウトしていけばOKですが、ライブだと最後グダグダで終わる、なんてこともあります。
「さあGWです。行楽地はみなさんすごい人出で賑わってます。さあ、遊びましょう!」なんていうメディアの同調圧力なんかガン無視して、1年じゅう同じペースを貫き通すロックな学校って生まれないものでしょうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?