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喜びの世界(スリードッグナイト)

The three dog night をロックバンドと呼んでいいのかどうかは微妙な感じがします。
 デビューの際のレコードレーベルは グラスルーツ と同じダンヒルレコードだし、もともとは3人組ボーカルユニットだったのを、演奏メンバーを加えてバンド編成に仕立てた、という経緯を見ても、「まずはギターありき」のロックバンドとは全然,成り立ちや趣が違います。
 作詞作曲も外部に委託していたようですから、日本で言えば 歌謡曲寄りのバンド、青い三角定規 みたいな位置づけになるでしょうか。

 でもスリードッグナイトが流行ってた頃(1970~1973あたり)の日本では、ソウルミュージックもフレンチポップスもニューロックも全部一緒くたにして「洋楽ヒット曲」として扱っていたから(ミュージックライフという洋楽専門雑誌を読み返すと、ミッシェルポルナレフとレッドツェッペリンとバッドフィンガーが同列の扱いで記事にされていたりする)、サル少年も「スリードッグナイトはかっこいい洋楽グループのひとつ」という認識で、カセットテープにせっせとラジオ番組から流れてくるヒット曲をラジカセに録音しておりました。

 彼らのアメリカ本国での最大のヒット曲は Mama told me (not to come) とJoy to the world ですが、日本では Old fashioned love song が一番売れました(この曲には邦題がありません)。この曲なんぞ、もはやロックとはとうてい呼べなくて、ムード歌謡曲の趣ですね。

 Joy to the world は邦題が「喜びの世界」となっているのですが、これだとなんか、どっかの新興宗教の勧誘ソングみたいです。
正確に訳せば「喜びを世界に(届けよう)」てな感じです。

 ベトナム戦争やってるくせに何が能天気に「喜びを世界に届けよう」だよ!と、当時の反戦運動家はきっとあきれ返ったかもしれません。

(8) Joy to The World (Hoyt Axton's song) - Three Dog Night 和訳 - YouTube

 曲の中にひとつとしてマイナーコードが出てこない、能天気に明るい楽曲です。
 当時の日本人がアメリカという国に対して持ってるイメージは「とことん明るくて楽しくてお金持ちな国」。この能天気さはとてもじゃないが、気恥ずかしくてマネできなかった。

 バブル時代、この「とことん明るくて楽しくてお金持ちな国」になれたような幻想を日本人は一瞬だけ持ったのだけれど やっぱりそれは幻想にしか過ぎず、あっという間に 泡のように消え去ったのでした。

 今の若い子らにとっては韓国も中国もフィリピンもタイもアメリカもイタリアも、脳内やTIKTOKでは一緒くたに存在してる感じですし、私が若いころの「アメリカは上流階級、アジアの国は貧乏」なんていうステレオタイプはそもそも無いようです。素晴らしいことです。

 さて、全国高校軽音フェスティバルという高校生のバンドの大会が6月2日(日曜日)にあります。場所は森ノ宮の大阪城音楽堂。

 この大会は「楽曲の多様性」が重視されているので、選曲面で他のバンドとは違う個性がないと なかなか出場できません。
 たとえば、国内カバー部門予選では、今一番流行っている「緑黄色社会」とか「マカロニえんぴつ」の曲でエントリーしてくる高校が結構な数あるんですが、この中で本祭大会に出場できるのは1バンドだけです。

 競争相手が少なそうなジャンルの楽曲を選曲して、なおかつクオリティの高い演奏を披露する必要があります。

 私が外部指導顧問を任されているA高校。今年はスリードッグナイトの「喜びの世界」でエントリーしました。部活動内の雰囲気も明るいし、歌唱力の有る部員も複数いるので、面白いんじゃないかと思った次第。

 演奏的には、難しいギターソロがあるわけでもないし、リズムが複雑な曲でもないです。でも、あの70年代初頭アメリカの能天気さの象徴みたいな「喜びの世界」を円安の衰退日本で高校生が演奏することは、それなりに意義があるんじゃないか、と思うのです。

 「ビジュアル面でもサウンド面でも、とことん明るく楽しく演奏することを心がけてね」という私からのアドバイスに部員達も応えてくれました。

 見事、予選を通過して本大会への出場が叶いました!

原曲の通りのテンポで演奏すると、すごくまったりした感じに聴こえます。でも逆に シンプルなエイトビート は今の若い子たちの耳には新鮮に聴こえるのではないでしょうか。

 というわけで、50年以上の時空を超えて、6月2日に大阪城音楽堂でスリードッグナイトが蘇ります。

 お時間あればお越しになってご覧になってください。入場無料です。

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