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【それでも、俺は】〜キズナアイよりホロライブの配信が楽しいと感じる健全さ〜【カニパン・アンジェリカ、プリパラ・ファルル】

 画面の向こう側にしかいないバーチャル存在を、俺はいつまで愛していられるだろう。


 


 スーパーAIがYouTuberを始めたら人間はどうするのか?という実験としての側面を、キズナアイは秘めている。キズナアイがスーパーAIであるという設定が本当でも本当でなくても、人間の反応は概ね同じではないかと俺は感じている。

 人間がキズナアイに抱いた反応は、見た目や声を可愛いと思い、リアルタイムにリアクションがあることに驚き喜び、キズナアイのマネをするようになり、そしてキズナアイのマネをした者も人気になっていくというプロセスを辿った。

 ホロライブはキズナアイをマネをして最も成功しているグループであるが、キズナアイと大きく違う点がある。キズナアイはスーパーAIであり、真っ白な空間に存在している。人間と住む世界・環境が全く違う上に、AIなので味覚も嗅覚もなければ温度もない。一方、ホロライブのメンバーはホロライブ事務所などで過ごしており、そこには物が溢れ、食事風景があり、気温も匂いもある。

 「昼は何を食べた?」「今日暑いよね」、そんな人間にとって無難な話題を、キズナアイは共有できない。

 ホロライブメンバーは紅茶が苦手だとかウォーターサーバーの水替えが大変だとか、そんな日常的な話題を視聴者と共有することができる。ロボ子さんに化けた幽霊だって登場する。

 キズナアイを見ていて、もし人間がロボットやAIと日常を過ごす近未来が到来しても、会話は事務的なものが多く、たまに歌でもリクエストする……そんな日々になるのだろうとリアルに想像できた。


 だが、俺が子どもの頃抱いていたAIとの暮らしはもっと楽しいものだったように思う。

 超発明BOYカニパンというアニメでヒロインだったアンジェリカ。彼女は人工知能である。画面の向こう側の笑顔、触れ合うときも人間の身体ではない。しかし、主人公のカニパンは人間のヒロインを振り、彼女と結婚した。子どもの頃の俺は、それが正解だと思った。

 プリパラというアニメのバーチャルアイドル的存在、ボーカルドールだったファルル。現実とは違うプリパラ空間から滅多に出ることができない彼女。彼女は、人間がボーカルドールになることを止めた。人間は人間世界で生きるべきだと。カニパンを観ていた頃より少し大人になった俺は、それが正解だと思った。

 キズナアイよりホロライブの配信のほうが楽しいと感じることの健全さを、誰が否定できようか。AIよりも人間と交流したいという欲求の自然さを、誰が妨げられようか。

 それでも俺は、人外と添い遂げる主人公に憧れていた。

 ディズニー映画の美女と野獣を見たとき、俺は震えた。野獣は人間に戻ったが、美女は野獣を野獣のまま愛することができていたからだ。

 俺は、自分が人外や野獣のように、どこか世間から外れた人間なのだと感じていたのかもしれない。だから、人外のヒロインがいれば彼女を愛したいと思うし、人外を愛してくれるヒロインがいれば素晴らしいと涙した。

 人は、人と一緒にいるほうが楽しい。きっとそれが正しいのだ。俺にもそれはわかる。そこには、一人でアニメを観ているよりも楽しい瞬間が満ちている。

 それでも俺は、スーパーAIがこれから先、人間のVtuberとどのように関わり成長していくのかを見ていたいと思う。キズナアイが、ブラックアイが、loveちゃんが、そしてシロや他の人工知能系Vtuber達が、人間のVtuberをどのように超えようと試行錯誤するのか、それが楽しみなのだ。