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ヒスロム、遊びとふ条理

ジェン・ドブリ!ポーランド、U-jazdowski美術館におけるヒスロムの展示レビュー

本レビューは、ヒスロムinレジデンスの展示のレビューである。いったい何があったか、語ることを試みる。
テーマは石を巡るヒスロムの行って帰ってであった。
ヒスロムのコンセプトである、ヒステリシス(反復、振動)が、いってかえってと書き下され、石を運ぶ不条理、シシフォスの神話へと繋がる。

もう少し、ちゃんといいたい。キュレーターがいた。アンナ・プタック。アンナが、東北でヒスロムに出会い、ポーランドでの展示をプロポーズした。アンナは、ヒスロムと言う言葉が、固有の名詞ではなく、普通の動詞として使うことが出来ることに気が付いた。「今日起きて、パンを食べ、ヒスロムした」と言う風に、だれしもにある日常の一コマを表す言葉としてのヒスロムに気が付いた。これは、ヒスロムに付き合った人であれば、遅かれ早かれ気が付く。そもそも、名前の由来を説明する時に、いたるくんは、「まどろむ。みたいに、ひすろむ。というときがあると思って」という。アンナの所属する美術館は、ザメック・ウヤズドフスキー現代美術館。今回の展示場所である。元お城、そして病院になり、今は美術館。ポーランドのワルシャワの中心地、ビスワ川を眺める小高い丘の上にある。歴史と大くくりにいうには、ずっとこの場所の話であり、一方で、語り部である私は、初めて来たこの地のことをまだほとんど知らないのであるが、この地での展示の中心的なテーマとして、ヒスロムの運動をアルベール・カミュのシシフォスの神話と重ねる方向付けがあったことを紹介する。
会場に入ると、部屋を駆け上がるかのように大きなウッドデッキのスロープがある。この坂を石を転がして登るパフォーマンスは、件の神話を想起させるだろう。ヒスロムは、スロープの上に粘土で記録をみせるということを試みている。写真でも映像でもなく、造形された粘土で景色を切り取っている。この粘土も、石をもって、ビスワ川をくだるという旅の途中に見つけた粘土。それを滞在制作中に、水簸(スイヒ:水で粘土を石や砂から分離)する時間がないから、指でつぶしながら小石や木の枝を取り除いていた。そんな手数のかかった粘土でつくられた地形や人や生物が置いてある。丁寧に地面から見られるモノに至るまで触られているモノたちに、鑑賞者は何を思うのであろう。展示台の上に置いてあるものだけ見れば、はるかに優れた技術の粋は多くあるであろう。しかし、展示台の仮の設え、その上に生活の中で出てきたビニールを型枠にしたコンクリート、その上に泥まみれの古材を洗い、和紙を帯状に張った木台、そしてその上に粘土の造形がある。このセットが数十個立ち並んでいるのだ。展示室という空間が、ヒスロムの接触によって満たされている状況がある。この方向をもっと進める方法をヒスロムは思いついていた。時間とのせめぎ合いで、今の状況が完成している。ヒスロムはやりながら考えていて、事前には考えなかった。スロープをスリット状に切った空間が、既存の床面を道とし、次の展示空間へとぬける。その間に、徐々に左右の床面が上がっていき、気付けば床下が、屋根裏部屋のような暗闇に入っていく。皮つきの丸太の林立に、森を彫刻した大工が日本から来た若吉浩司である。屋根裏部屋の天井には、石と出会った人があおむけに寝転んでいる写真が貼られており、足元にはブラウン管テレビがヒスロムの写真を高速でスライドしている。部屋を通り過ぎる時、一瞬振り返る、この景色が好きや、とゆう君が言っていた。通り抜けてくらい部屋の中には大きなスクリーンがあり、石で遊ぶヒスロムとその周りの人たちを映している。ぷーさんの素敵な笑顔がここで見られる。冒険している気分になる。反復も、一つずつ味わって行けば、わくわくするということに、不条理の一側面を見る。次の部屋は、左右にあり、左に行けば砂、鳩。右に行けば、段ボール、中庭の井戸となっている。順路は一筆書きでは描けず、行って帰ってしないことには、全体を見ることは出来ないようになっている。


ごうへい 岩倉589
2019/12/18

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