回遊する!

高山建築学校2020参加者募集

時間と空間の中を人は複数人と出会いながら動く。
「モモ」は、モノ、コトを見るのが好きで、社会的な振る舞いを避けた。
「社会的」ではなく、それぞれの世界を大切に思った。
時間を運ぶことに、何よりも価値をみた。

マルチタスクという言葉に回収されない、時間の重層性や通奏低音、それぞれの声、音、それが時間。鳥の声、カエルの合唱。
実験よりもコトの表れは、カンとアティテュード。
変化は結果、始まりは出会い。
触れるどころか、胃袋にまで届く、いっしょにごはんたべたい。
仕事って、死後ともつながる寝起きの時に始まる。

梅雨入りし、草は、みるみるうちに成長する。熱中症気味だった体には、雨の音が心地いい。雨が切れたところで、畑に出ると虫たちも元気で、あっという間に蚊やブヨに囲まれる。虫よけを付けるより、何かそのままで外にいたいという気持ちから、立って座ってを何度も繰り返す。ハエをよけるために、走り続けるカリブーがこの星の上に居る。星野道夫も、満員電車の中でも、カリブーの群れが今、どぅど、どぅどと大地を駆けていることを想像することは大事だと、多分「旅をする木」の中で書いていたと思う。

カゲロウの群れを見た。昇っては、空気に身を任せ落ちてくるを繰り返す群れを見て、今西錦司は近代の西洋知の「意識は人間にしかない」という常識に、群れへの意識は虫にもあるということを提示しようとしたと、読んだ気がする。

高山建築学校とは、一体なんであるかは、結局行ってみなければ分からず、毎年違うテーマを掲げている。今年は、「回遊する」。

モノ作りをどこまでも素材から考え、朽ち果てるまでの時間を想像し、暮らしの全てに実践を展開する。もはや、ビルドすること、建築、の領域は、この星をつつまんとする。でも、出来ることはわずかだ。不安になることもある。でも、でも、もし、立場や専門に分化した自分の閉じた世界に風穴が開けば、そこに仲間がいるってことあるんじゃないかな。
「期待で気体を満たす」は高山で聞いた言葉だ。インターネットと行動追尾システムが私を取り囲むのと、私や過去の参加者が、もしくは、初めて参加するヒトが、高山建築学校に辿り着くのはどちらが速いか。
草や虫の意識の中を遊び回って、参加するヒトの為に場をひらく。


高山建築学校2020参加者募集

はやしごうへい(高山建築学校10年生くらい)
2020年6月14日 飯豊山 岩倉

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