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HALO少しだけオタクがHALO INIFINITEのマルチプレイを遊んでみた

全ての始まり


始まりは漬物石なんて揶揄されていた初代XBOX。ここから全ては始まった。

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HALO COMBAT EVOLVE(通称HALO CE。なおHALO Custom Editionと呼ばれるMOD専用に用意されたMODツールもHALO CEと略すが基本は画像の作品を指す)が発売され、私はのめり込んでいた。有野課長並みにスッカスカになるほどキャンペーンをやり込んだ。

そして2や3といった続編が発売されるたびにスッカスカになるほどキャンペーンをやり込んでいた。マルチプレイデビューは発売5作目のHALO REACHからだった。

その程度のHALO少しだけオタクな私は今作HALO INFINITEを心待ちにしていた。なにせ前作の5発売から6年近く待たされたのだ。期待も勝手に高まるだろう。

XBOX20周年記念配信にてサプライズのマルチプレイ先行配信。午前4時にも関わらずダウンロードを始め、私はHALO INFINITEをプレイした。

そこには新たな体験が私を待っていた。


HALOの基本的な特徴


本筋に入る前に、初めて読んだ方に向けて特徴を説明しよう。

HALOには基本システムとして「アーマー」と「体力」の2つがある。最重要なのはアーマーである。

HALOの基本であり最たる特徴として、HS判定というものがある。

ハンドガンなど単発や3点バーストの「フルオートではない銃」かつ「即着弾(撃つと同時に相手に当たる)」ならば、アーマーを破壊した後に頭など弱点部分に当てると体力を無視して相手を即座に倒せるという特徴がある。

そして初期装備の1つ、アサルトライフルはフルオートで弾をばら撒くHS判定のない銃だ。もう1つの銃であるハンドガンはHS判定がある精密射撃可能な銃であった。

試合開始と同時にハンドガンに持ち替えるのが絶対だった。ハンドガンの方が圧倒的に強いからだ。

相手がアサルトライフルを頑張って当てている間にこちらはハンドガンを使えば余裕で相手を倒せる。手間取ることも一切なく本当に余裕で倒せてしまう。

これがHALOにてアサルトライフルがクソルトライフルだの豆鉄砲だの人類が敗北した理由だの散々に言われまくる理由である。

銃ごとに特性はあれど、フルオート銃の中でも格別に弱いアサルトライフルはある種HALOの人気あるおもちゃとなっていた。あと普通にデザインが良かった。

HALO2ではアサルトライフルがオミットされたのにHALO3では帰ってきた理由が「(ストーリー主人公の)マスターチーフが持つと絵になる」という理由で帰ってくるほどだ。

だが本作HALO INFINITEではそんなネタを全て置き去りにした性能となっていた。


今までの常識を覆すHALO


ハンドガンで相手を倒しきるのは至難の業だがアサルトライフルならばそこそこ安定して倒せる、そんな性能に変貌していた。

いや、前作HALO5の途中からバランス調整アップデートということで近距離ならばアサルトライフルの方が強いようになっていた。だが本作では近距離以外でもアサルトライフルはかなり強くなっていた。

威力が高いのもそうだが当てやすさが段違いだった。弾がばらけることがほとんどなく素直に飛んでいくのだ。

同じ理由で他のフルオート武器もかなり強い性能になっていた。使えるけど微妙、という評価に落ち着いていたタレットも全く侮れない精密射撃っぷりであった。



HS判定の差は大事だが、大きな差ではなくなっていたのだ。



書くととてつもなく長くなるため多少割愛するが、ショットガンは近距離でも3回当てなければいけない。エナジーソードやパンチの吸い込みは弱く、グラビティハンマーに至っては吸わなくなった。

特に私を震撼させたのは、プラズマガンのチャージ弾が乗り物以外の相手に対して誘導しなくなったことである。

一部武器にはEMP効果と呼ばれる、当たれば即座にアーマーを剥がし、車両に当たれば一時的に動作を停止させる効果がある。

このEMPを相手に当ててアーマーを剥がし、ハンドガンなどHS判定のある銃に切り替え即座に相手を倒す通称「ニュービーコンボ」が使えなくなったのである。

この辺りから私の中に疑問が湧き始めた。


本作は本当にHALOなのか?


何を言っているのかと思うだろうが、考えてみて欲しい。

20年近く大きく変わることのなかった武器性能やゲームシステムが、本作から突如として全く違うものへと変貌を遂げているのである。それこそ過去の常識を破壊するほどに

いや、武器ごとの性能差はある。アーマーや体力やHS判定の差もある。過去と同じ使い勝手の銃もある。

だが、移動はふんわりではなくキリキリと動いている。武器性能が著しく丸くなっている。

先も言ったが、ショットガンは倒すのに3回当てる必要がある。これは相手がアサルトライフルだとしてもこちらが倒されるかもしれない恐れる性能だ。

エナジーソードも吸いつく距離が短いため少しでも距離があればアサルトライフルで倒される恐怖がある。グラビティハンマーはもっと距離が短くなければいけないだろう。

要するに、これまでのように尖った性能同士で殴り合うのではなく丸くなった武器同士でどちらも倒し倒される可能性がある戦闘をしろと言っているのだ。アサルトライフルで対処できる可能性がある程度の性能で。


変化の意味


武器ごとの特徴を把握し得意な距離で戦闘を行うのはごく一部のありきたりな武器のみに残され、その他の武器はどの距離でも可能性ある戦闘が出来るようになった、と言えば聞こえはいい。

なぜ聞こえが良くなるのか。答えは簡単である。E-sportsだ。

昨今のゲーム、とりわけオンライン対戦ゲームはランクを導入するのが当たり前。ランクがないゲームはクソと言われるほどに競技性を求められる。そのランクシステムへの執着はもはや猟奇的とも言える。

見知らぬ人含めみんなでワイワイしていたクイックマッチは今やランクマッチへの前座だの練習場だのと言われる。ランクこそが全てだと言わんばかりに。

知る人のみ遊ぶみんなの遊び場は大衆化し、大衆化すれば向上心だの競争心だのにストイックな輩もこれまで以上に増える。

そしてそのストイックな者たちが「やあやあ我こそは」とふんぞり返ってデカい声で騒いでいるのが今である。そしてその者たちの中でもとりわけ強い者こそが対戦ゲームでの絶対的中心のような扱いになっている。

HALOもその時代の波に逆らえなかったのだろう。作品の鋭さは丸みを帯び、誰かに刺さるものからストイックな誰かに受けとめてもらうものへと変わった。


ワイワイと草野球のように楽しんでいた遊び場は、いつしかプロ野球に強制されていた。


丸くなった理由は分かる。新規に入ってもらわねば作品は腐る。故に時代の波に乗らなければならない。

だが時代を作るのはユーザーだ。競技性こそが全てだとのたまうユーザーだ。

E-sportsが台頭する前から競技性を求める人たちはいたが、明確に住み分けられていた。互いに干渉することはなかった。いつからだろう。干渉し始めたのは。

そしてその結果がこれである。HALOというSF作品は作品から競技へと変わった。


作品を作品たらしめるもの


つまるところ本作HALO INFINITEでは、マルチプレイで言えば競技に重点が置かれている。

競技に重点が置かれているという事は、HALOという競技が前提であるということだ。HALOという作品を遊ぶことが前提ではない。

だがゲームは所詮遊びであり娯楽なのだ。娯楽を楽しんでいた者の中でもストイックな者たちが表舞台に立つ。

娯楽、趣味という前提があるからこそ成り立つのであり競技が前提になっている今はもはや歪さを感じる。

ネタにされていた地震の中でもゲームをやめない「ゲームやめらんないんだけどwww」はただの娯楽だからこそネタになっていたのである。

今であればその行為を分からんでもないと言う人もいるのかもしれない。

確かに時代は変わる。いつまでも同じなどありはしない。その変化の今がゲームの在り方と捉える人もいるだろう。

だが競技化前提の普遍的なものの要求に作品ごとの大きな違いが減ってきたのも事実だろう。

作品が出てもどこか新鮮味が少ないのはそれが理由だ。単なる住み分けならまだしも、どれだけ作品を変えても同じものが求められては変わり映えしなくなるだろう。

そしてその根本的な問題によってHALOという作品はHALOをHALOたらしめる「作品」という要素を失った。


総評


時代の波に則って作っただけあり、私の身の回りにいるHALOを遊んだことがない方たちはみな一様に楽しい」と言っていた。私も本作の競技性の観点から言えば楽しいと思う。

だがこれまでのHALOという作品が好きな人にとっては、尖っている部分が消え薄れ、HALOなのにHALOのような「何か」を遊んでいるある種の気持ち悪さが表に出てくると思う。


簡単に纏めると、HALOを遊んだことがない人や競技性を求める人には大手を振っておすすめ出来る。だがこれまでのHALOが大好きだと言う人にはあまりおすすめはしない。まさしく新規ユーザーにこそ遊んで欲しいゲームとなっていた。


時代が移ろいその流れに乗れていない私を老害だと罵る人も居るだろうが、私はゲームという娯楽を楽しみに来ているのである。住み分けは大事だ。

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