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Reboot

 諸事情があって休筆していたが、7月からチームメイトに恵まれて悪化していた持病が、多少改善したので再起動することにした。
(休筆に至った経緯を書こうとしたが、何度も人に話すようなものではないと考えたので、割愛する。興味のある人は、はてなブログのGjallarhornを見て欲しい。) 
 ただ、持病の改善には投薬治療が欠かせず、その副作用として発想力、想像力、理解力が格段に低下してしまった。既に再起動して第3稿まではてなブログに投稿したが、「説難」に比べると、明らかに語彙力がなくワードセンスが壊滅的だ。ユーモアもキレもオチもなく、無駄に文章が長い。
 それでも今回再起動に踏み切った心境を、令和風の歌詞で表現すると「孤憤」ってやつが光り輝くから、好きなことに向き合うことは楽しいだけじゃないことはわかっているつもりだが、透明な自分でいる事にも限界が来て、名文を書けなくても、宿命に抗うことにした。てとこかな。
 「孤憤」とは、「五蠹篇」と並んで、いわゆる秦の始皇帝をして、「この著者に会えることができたら死んでも構わない。」と言わしめた、韓非子88篇でも、傑作中の傑作である。
 その意味は簡単にいうと、「自分ひとりではどうしようもない世間の仕組みなどに、一人憤りを覚えるさま。(Weblio辞書)」をいう。
 私は、管理職にもなれなかった木端役人だが、ありがたいことに幹部候補生として教育を受けた経験がるため、周囲の同僚が気にも留めない国家の裏の考え方に気づくことができる。(まあ、それを国民に平気で語ろうとするから上層部に疎まれているのかも知れないが、出世しないのは、性格の問題だろう。)
 「説難」では、そういうやばい話はあまりしなかった。エビデンスもなく偏った意見を言うと、批判されたとき反論できないし、万が一炎上でもしたら、処分の対象になるかも知れないなどと考えていたからだ。でも、なんのことはない。市井の木端役人のブログなど誰も興味を持たない。もうちょっと言いたいことを言っても良さそうだな、と確信を得た。
 よって、今回はもっとBLACK kannpisi になって、どぎつい話を言葉を選ばず語っていこうかと考えている。どうせ、語彙力が壊滅して、言葉を選ぶ余裕も無いし。

 では、読む人知らずともなぜ書き遺すことにしたのか?
 本編でも紹介しているが、2002年、中国湖南省龍山県の古城跡から、秦の時代のものと思われる3万5千枚の竹簡(書物)が発見された。『里耶秦簡』(りやしんかん)と言われるこれらの文献は、基本的には行政文書で、役人の記録なのであるが、かなり日誌に近い形式で記されており、当時の世情や生活様式を如実に表していると言われている。
 市井の木端役人の遺したなんでもない日々の記録であるが、のちの漢帝国400年の基礎となる、中国史上最も整備された法治国家といわれた秦がなぜ15年で滅んだかを示す貴重な資料となり得ようと、研究が進んでいる。
 不吉なことを言って悪いが、ことの次第によっては、令和という時代は、20年そこそこで、日本国が他国の支配下に置かれるという形で、終焉するかも知れない。そうなると、私のこの小論も、2000年後には、貴重な資料になるかも知れない。
 
 日本が滅亡する?
 「わしの一族を見ろ! みんな小さくバカになりつつある。 このままではわしらはただの肉として人間に狩られるようになるだろう」(もののけ姫に出てくる乙事主)。
 かつて、アジアで唯一西欧列強に対峙し、負けてもなお世界第二位のGDPを誇るまでに上り詰めたこの国の民は、過去の財産をアップデートせず、他国の様子ばかりを伺う奸臣(政治家や行政府)の言いなりで、真珠湾攻撃よりも格段劣る愚策に向かってまっしぐらである。
 中国、韓国、インド、シンガポール、いずれはベトナム、マレーシア、フィリピン、インドネシア。食い物にしてきた国々の肉として狩られる立場にならないと誰が断言できる?
 知り合いの建設業従事者は言う。「そんなことは、明日の仕事、生活に不安のない人間が考えることだ。俺には、地球儀を見る余裕はない。」
 確かに衣食足りて礼節を知るという(これも韓非子の出典ね)。
 しかし、世の中には、職業を自由に選べられる国の方が少ない。彼が、その職に就けている時点で彼は恵まれている。しかも、もしその職業で仕事がなくなったら、ある程度生活の面倒も見てもらえる。彼はそれを受け入れるような性格じゃないけどね。
 いずれにしても不安定な生活をしているからと言って、政治に無関心になれるほど、憲法は国民という主権者を甘やかしていない。十分な権利と生活の保障の対価として、国民は最低限政治に関心を持ち、国家の進むべき道を選択しなければならない。国家の抱える諸問題を他人に任せることが許されないのが、民主主義と独裁主義の違いだ。もし、この国が進むべき道を間違えたら、それは国民全員の責任だ。
 太平洋戦争は、国民全体に責任があるとは言えないが、少なからず、他国を蹂躙することに満悦して、アジアの星となっていい気になって、国民は熱狂していた。軍部はその圧力に押されていた点も歴史は証明している。
 しかし、今の行政府は、軍拡路線を含め、あらゆる面で、小さくバカになった(愚民化した)国民(本来この国を統べる主権者)を欺いている。我々を舐めている。私の孤憤は、そこにある。

 前編は、オーソドックスに、「起承転結」を意識した四章構成だった。
 本編は、出来るだけ踏み込んで、「奇想天外」の四章構成を考えている。
(ちなみに、次編は、前2編の感想等を参考にして、諸問題の最終的解決策を綴る「起死回生」が書けたら良いなあを望んでいる。)
 諸般の都合で、逐次更新は、はてなブログ(スフィンクスをクリック)で行い。一章完成のタイミングで、こちらにアップする予定である。

https://kanpishi.hatenadiary.com/archive


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