ラッセルの幸福論を読んで

 ラッセルの幸福論を読んだので、感想を。
一言で言うと、素晴らしい本だった。人間について明瞭な指摘と、現実的な方針。「現実を捉えている人」というのは、まさしく彼のような人を指すのだろうと思った。定期的に読み返したいと思わされた1冊。

以下、要約。

一言でまとめると、ラッセルは「自己没頭ではなく、外界への興味が幸福にとって重要である」と説いてる。
自己没頭には3種類あり、罪人、ナルシスト、誇大妄想狂がある。
自己没頭を避け、人・物への関心を抱くことで、合一を達成できる。また、人類の歴史の中に自らを置くことで、時を超えたつながりを感じることも可能になる。
これらの思想のもとに、様々なことについて言及している。

まず、不幸の原因について話している。
不幸は、1種類の満足のみを追求した結果起きることが多いと述べている。
また、不幸をもたらす典型例を記している。具体的には、バイロン風の不幸、成功のための競争、退屈と興奮、疲れ、ねたみ、罪の意識、被害妄想、世評に対するおびえの8つである。

それぞれについて、まとめる。

バイロン風の不幸は、「一切は空である」という考え方を指す。自然の欲求がやすやすと満たされる環境で起きやすいと筆者は主張している。ので、そのような考えが生まれた時は、そういった欲求が満たされない場所に行くと良いと書いている。

成功のための競争とは、「成功している」と隣の人にアピールするための競争に専心することである。一定の成功感は、人生にあると良いが、それに囚われると不安に満ちた生活となる。
また、お金も生活の必要を超えた、「成功者」という記号のために欲されることが多いと書かれている。そもそも、お金を何のために欲しているのか、自分の中で言語化することは大切と感じた。

退屈と興奮とは、反復的な退屈を避けようとして、興奮・快楽に走ると、「達成」に心が向かわないという現象を指す。偉大なことは、退屈や反復から生まれる。よって、ある程度の退屈への耐性は必要。
快楽でも、<大地>との接触があるものは、刹那的ではなく、刺激が強すぎもしないので、良いと書いてある。

疲れ。心配によって神経的な疲れがくると書かれている。よって、考えることが役に立つ場合にのみ考えるのが良いと述べている。心配を解決したい場合は、理性的に心配に向き合い、その心配になじむまで考えるのが賢明であるとも述べている。(心配から目を背けるために、ほかのことに逃げるのは有効ではない)
また、神経的な疲れは興奮によってももたらされるので、頭に入れておくこと。

ねたみ。妬みは、自分の持っているものから喜びを引き出す代わりに、他人が持っているものから苦しみを引き出す行為。妬みの本質は、それ自体を見るのではなく、他との関係において見ることにある。他人と比較してものを考える習慣は致命的である。
解決策としては、本能を満足させるような生活を送ることである。

罪の意識とは、不合理な道徳観によって、生まれる罪の意識である。他人への不寛容をもたらすので、合理的ではない道徳・禁欲主義的な発想は持つべきではないと書いてある。

被害妄想。被害妄想は、自分自身への過大評価や慈愛が、現実と整合していない場合に起きる。
具体的に注意すべき点として、「私たちは、おのれ自身に対して感じている、あの優しい愛と深い尊敬を他の全ての人も感じてくれると思い込んでいる」がある。
また、被害妄想の予防策が3つほど上げられていた。
1. あなたの動機は、自分で思っているほど利他的ではないことを忘れない
2. あなた自身の美点を過大評価してはいけない
3. あなたが自分自身に寄せているほどの興味を、他の人も寄せると期待しない

そして、世評に対するおびえ。筆者は、精神の自由が幸福には不可欠と述べている。なぜなら、私たちの生き方が私たち自身の衝動に沿っていることが幸福に必要だからである。
そして、そのためには、環境が愚かであれば同調しないことが美徳であるし、必要以上に世論に耳を傾けすぎないことが良いと書いてある。

では、これらを踏まえて、どのように幸福を達成するのか。一言でいうと、人・物に対して友好的な関心を抱くことであると書いてある。具体的には、熱意、愛情、家族、仕事、私心の無い興味、努力とあきらめの6つが大切であると説いてある。

熱意について。まず、関心を寄せるものが多ければ多いほど、人生はレジリエントになると書いてある。人生に対する一般的な熱意があると良いとも。
熱意を維持するにはコツがあり、まず健康は大切である。
そして、忘却と熱意は異なることを念頭に入れる必要もある。1つのことの専心しすぎて、他の活動のバランスが取れていないものは、何かを忘却するための活動である可能性が高い。そうではなく、他の活動とのバランスを保つことが良いと言っている。
そして、熱意の消失は、主として自由を制限されることから始まる。これを乗り越えるためには、それ自体が面白いと思える仕事をもつ事が重要である。

愛情について。愛情とは、相互に生命を与えあい、対象の優秀さ・繁栄・楽しさを願う行為である。幸福を共有する共同体をもつことは、幸福にとって重要である。
我々は愛を与えることに用心深くなりがちだが、愛を与えることに関して用心深さは不要である。ただし、傷つくこともある。

私心のない興味とは、本務に関わりがないことへの興味である。関わりがないからこそ、緊張から解けて、真の休息になる。
また、私心のない興味は釣り合いの感覚をもたらすという点でも重要であり、「仕事への狂信」を防ぐ。同時に、物事がうまくいかない時の慰めとしても機能する。(人生、うまくいかない時が必ずある)

努力とあきらめとは、いわゆる中庸の概念を適用したものである。どちらも大切で、バランスが重要であるということ。
努力に関しては、幸福には「降ってくる不幸に対処する」事が必要なため、一定の努力が必要という意味である。具体的には、生活できるレベルでは、人類は働く必要がある。
あきらめとは、避けられない不幸に、時間と感情を浪費しないことを指す。また、「個人の活動は挫折することがある。」という考えを持っておくこともさす。しかし、このあきらめは絶望に根ざしたものではなく、「自分という個人が挫折したとしても、想い・道のりは次の世代に託すことができる。よって、大きな敗北にはならない」という希望に根ざしたものである。この種のあきらめをもつためには、活動が高邁で非個人的なものである必要がある。
また、"小さい不幸は雨降りの日ぐらいに捉えるべき"と書いてあったり、"自画像を複数持っておき、問題にふさわしい自画像を取り出す(少々滑稽な自画像であればなおさら良い)と良い"と書かれていたり、実践的に役立つことが多い章。

最後にまとめが書かれている。
人は、食・住・健康・愛情・仕事の上での成功・仲間からの尊敬があれば幸福を感じることができる。
情熱を外に向けて、自己中心的な情念を避けることが大切である。
幸福な人は、客観的な生き方をして、自由な愛情と広い興味を持っている。
客観的な生き方をするためには、訓練が必要である。

他、気になったワード

・仕事上の本格的な成功は、その仕事で扱う素材に本物の関心があるかどうかにかかっている
・虚栄心は、限度を超えると、あらゆる活動を純粋に楽しむ気持ちを殺す
・「将来に望みを託して、現在の意義は未来のもたらすものの中にある」と考える習慣は有害
・恋愛は歓喜の源であるばかりではない。それがないと、苦痛の源になる。
・私たちのすることは、私たちが考えるほど重要ではない。成功も失敗も、結局あまり大したことではない
・他の人が他のものを持っているからといって、自分の持っているものが楽しいものではなくなるということはない。
・何人も完全であることを期待すべきではないし、完全でないから不当に悩むべきではない
・真実がどんなに不愉快でも、きっぱりとそれに直面し、それに慣れ、それに従ってあなたの生活を築いた方が良い
・幸福は、同じような趣味と意見を持った人たちとの交際によって、増進される
・達成の喜びを味わうためには、あらかじめ、成功はおぼつかないと思われるような困難が存在していなければならない
・親切な行為の動機は、受益者にやすやすと見破られる
・ただ仕事がおもしろい場合は、単なる退屈しのぎより、はるかに高度な満足が与えられる
・不幸や疲れ、神経家老の原因の一つは、自分の生活において実際的な重要性のないものは何事にせよ、興味を持つことができないことである。
・私たちは、自分の職業だの、自分の仲間内だの、自分の仕事の種類に熱中する阿麻和利、それが人間の活動全体のどんなに微々たる部分でしかないか、また世界中のどんなにたくさんのものが私たちの仕事にまるで影響されないか、ということをとかく忘れがち。
・その目的においては、あなたは孤立した個人ではなく、人類を文明生活へと導いた人々からなる偉大な軍勢の一員なのだ。
・彼は、自分自身を、生命を、世界を、限りある身の許す限り、あるがままに見るだろう。
・真理はいつもおもしろいわけではない。
・競争的な世界にあっては、華々しい成功は一握りの人にしか可能ではないからである。
・真に重要な目的の追求にあたっても、あまりにも思い入れが強すぎて、もしかしたら失敗するのではないかと考えて、心の平和がたえず脅かされるのも賢明ではない
・必要な態度は、「人事を尽くして天命を待つ」
・毎日、少なくとも1つのつらい真実を、わが心に認めると良い。この種の訓練を何年か続ければ、あなたは最後に、ひるまずに事実を直視できるようになる
・「切手収集に夢中になれたら、幸福になれるんだがな」と自分に言い聞かせ、直ちに切手収集に取り掛かるような真似をしてはいけない。それがつまらない可能性も十分にある
・愛する人々の幸福を願うべきだが、私たち自身の幸福と引き換えであってはならない。

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