実家帰省7日め~「生きてる」って奇跡の連続なんだ

朝散歩16日め
今日も、曇り空を仰ぎ見ながら散歩

今朝の朝陽も
雲の合間からまばゆい光を放ち

大地を照らしていました

今日のお散歩時間は45分
途中、セブンイレブンで
アイスコーヒーを買いました♬
スマホの歩数計は4062歩でした♬

今朝の朝陽も大きなエネルギーを放っていました



今日のお散歩は
目的地を決めていました

母が、最期を迎えた病院です

一昨日、母を送ったお寺の先に
その病院はあります

この奥に見える納骨堂に、母やご先祖様の骨を安置しています



この町でいちばん大きな病院ですが
若い人や重病の人は
隣の市にある大きな総合病院に行くので

この病院は、老人病院化しています…



二年前の秋
母の介護に疲れてしまった父が
「もう面倒は見れん…」と言って
この病院に入院させました

そのとき、特にどこかが悪かった
というわけではないのですが

認知症はかなり進んでいて…

特に丁寧なケアをしてくれる訳ではない
この病院に入院したことで

結果的に
母の死期を早めた…と思っています

けれど、もしもあのまま
父が自宅介護を続けていたら

いつか、父が母を殺めてしまうかもしれない…

そんな風に思っていましたので


結果論としては
「これでよかったのだ」
と思っています

プライドの高い母が
あのまま認知症がどんどん進行し
私たち家族のことも
わからなくなって
「ただ息をしている…」という状態で
生かされ続けるのは

耐えられなかっただろう…と思うので

母は自ら
自分の命にピリオドを打つ時期を
決めて逝ったのだと

そう思っています



私は、この町の病院ではなく
隣の市の総合病院で
60年前に生を受けました

7か月の早産で
産まれた時の体重は
1250グラム…

もしも、この町の病院で生まれていたら
私は、死んでいました…


隣の市の総合病院でも
「99%助かりません」
医者に宣告されていた命

当時、その病院に
たった一つだけあった保育器に
運よく入れてもらえたおかげで

私は生き延びることができたようです



私が今、生きているのは
紛れもなく、この奇跡があったから

もしも、別の赤ちゃんが
保育器に入っていたら

私は死んでいた…ということらしいです



とてつもない強運を持って
この世に生まれ出てきた私ですが

今から27年ほど前のこの時期
実家でほぼ寝たきり生活を送っていました…

この話は、長くなるので
また後日、書きたいと思います


この町に流れる川は
二つあります

町の中心部近くを流れる「中元寺川」
実家のすぐ下を流れる「泌(たぎり)川」



私が子どもの頃
この地域で採掘された石炭を
川の水で洗っていたため
特に上の川は、相当汚かったのですが

今は、かなり綺麗になっています

地元のために尽力している
たくさんの方の努力に感謝です

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