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かののつれづれ ~あの夏の花火~

梅雨があけて、本格的な夏がきた。

子どもたちも夏休みに入って、ちょっとした非日常感に触れる日々。

海にプールにすいか割り。
カブトムシ捕まえに行ったり、かき氷作ったり。


そんな夏の風物詩のひとつ、花火。

今年はひさしぶりにいろんな制限のなくなった夏。

花火大会も以前の、いやそれ以上の盛り上がりらしい。


まっすぐに細い尾を引きながら昇っていって、
どーんと大きく開く色鮮やかな花。

花火大会もずいぶんショーアップされてきて、
音楽に合わせていろんな花火が次々に打ち上げられて、
華やかさ、壮大さが年々増している感じ。

それでも、

花火にはなんだかちょっとしたさみしさを感じるのは何だろう。




わたしの地元でも毎年花火大会がある。

小さな町のそれは、有名な花火大会とは一線を画していて派手さはないけれど、毎年のお楽しみ。

開催されるのは、お盆の8月16日。


この花火、慰霊の花火なのだ。

江戸時代に起源があるというこの花火大会は、寺花火といわれ、諸説あるものの、一揆で亡くなった若者たちの慰霊のためだったという。

毎年、開催日には町の青年団員で慰霊祭が執り行われる。

そして、その名残なのか、いまでも亡くなった人たちの鎮魂のために花火をあげる。

田舎の花火大会らしく、ひとつひとつの花火の合間がけっこう長い。

花火をあげるのは(技術的にあげるのはもちろん花火師さんだけど)、亡くなった方の家族や親族なのだ。

花火をあげるたびに
「〇〇さん新盆供養 △△町 □□□様」
と読み上げる。
(新盆だけでなく、回忌記念もある)

いつも自宅から見ていたから気づかなかったけれど、あるとき友人と会場でみてアナウンスを聞いて知った。

なるほど。
だからなんとなく間延びした感じがあったわけね。

そんな意味合いを知るからか、8月16日で休みが終わる感じと重なるからか、わたしのなかではなんとなく花火にはさみしさがつきまとう。


消えながら落ちていく火花。
空き地に転がる花火玉のかけら。
ちょっと鼻をつく火薬のにおい。
集まっていた人が三々五々散っていくさま。

お祭りの終わり。
夏の終わり。


じめっとしたさみしさというより、ちょっとぱさぱさした渇いた感じのさみしさ。

寂寥感。

これがぴたっとくるかも。


そういえば、むかし、ドリカムの曲に『あの夏の花火』ってあった。
あれも確かちょっとさみしい感じがあったような気がする。


まだまだ暑い夏は続くのに、夏の終わりをイメージするなんて…。

天邪鬼にもほどがある。


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