違和感が確信に変わった瞬間④2度目の流産
1週間後の診察の結果は
けい留流産。
前回の診察で
エコーを見た瞬間から、覚悟していたとはいえ
2度目の流産の現実を受け止めるのは
あまりにも辛い出来事だった。
1週間後に子宮内容物除去術をするまでの
記憶がほぼない…
ただ…“逃げずに病院に行かないと”と
自分に言い聞かせていたことだけは覚えている。
当日は夫も仕事を休んで病院で
付き添ってくれている中
処置が行われた。
眠っている間に夫は一旦帰宅していた。
麻酔が覚める時に、術後せん妄なのか幻覚なのか
とにかくここから逃げないと…という
強迫観念にとらわれて
耐えきれずに助産師さんにわがままを言い
『早く家に帰りたい!』と訴えた。
産院にいるとどうしても聞こえてくる
赤ちゃんの可愛らしい泣き声が
その時の私には、拷問のように突き刺さり
想像を絶する苦しい時間がとてつもなく
長く感じられていた。
助産師さんが連絡を取ってくれて
予定より早く夫に迎えに来て貰えることになった。
しばらくの間は心を無にする事を意識して
過ごすようにしていた。
それから1週間後…子宮内容物の病理検査の結果
部分胞状奇胎だったと聞かされた。
本来なら1週間後に再度
子宮内容除去術をするらしいが
キレイに除けていたとのことで
確か再度の除去術はしなかったように思う。
術後の注意事項や
今後の検査の事、生活の事…
説明を受けて定期的に
検査を受けることになっていた。
その後…経過は順調で
夫とショッピングに出かけたりする
気持ちの余裕も出てきた。
その時に買ってもらった
サマンサ タバサの赤色のダイアリーは
今でも使えるくらい綺麗な状態で
大切に持っている。
続きます▶️
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