努力家と承認欲求



私は親からずっと、「努力家だね」と言われ続けてきた。夏休みの宿題は計画を立てて7月中にやり切るコツコツタイプだったし、大学の時には苦手なピアノの授業に向けて家で猛練習していた。




自分でも努力家だと自負していた。出来ないことは出来るまでする。そうやって逆上がりもダンスも微分積分も英語もクリアしてきた。英語なんて留学にまで行った。もちろん自分で留学費を工面して。




何事も努力を怠らなかった。自分は努力家だから。






そう思い込んでいた。







母は、とにかく褒める人だった。何をしても「すごい、さすがだね」と言ってくれたし、髪を切ると、「かわいい!似合ってる」と言ってくれた。


母から否定された事は、覚えている限りでは1度も無かったと思う。




こんな褒めてくれる人を前にして、いつしか、自分の努力の向かう先が褒めてもらうことに変わっていた。




社会人になり、気を利かせても、努力しても、褒められることは特に無くなった。代わりに、気を利かせなくて、努力しなくて、怒られることはあった。沢山あった。







いつの日か、努力しなくなっていた。






最初はわからなかった。自分が努力しない理由が。性格が変わってしまったのだろうと思った。





しかし、ふと気がついた。自分は努力家なんかじゃない。ただ、褒めて欲しかっただけなのだと。自分の承認欲求を満たすために努力していただけなのだ、と。



私は、人のおかげで努力できていたようだ。




このことに気がついてから、周りに、「褒めて!」と要求するようになった。みんな笑って適当に褒めてくれる。それでいいのだ。適当で。褒められることで満たされているのだから。







私は努力し、褒めてもらう以外で、承認欲求の満たし方を知らない。