圧倒的正義

「圧倒的な正義」なんていうことがある。

正しさが圧倒する様とはなんだろうか。

「正義」とは

「人間の社会的関係において実現されるべき究極的な価値」であり、

「善」が個人的な道徳的価値なのに対して、

対他的社会的関係の規律に関わる法的価値である、と。

「正義」はさらに二つに分けられるらしい

一つ 「正義」を実在するものと考える、客観的絶対主義的正義

一つ 「正義」を主観的確信と考える、主観的相対主義的正義

つまり「圧倒的正義」とは

そういうものだからと

絶対的正義として未分の地を制圧して飲み込んでいくようなのとか、

こうあるべきでしょと

大多数的主観的正義が少数派に圧力をかけて黙らせるようなものか。

日本において

死刑は絶対的正義としてあるようにみえる。

世界からは

日本の主観的正義として批判されている。

日本からすれば絶対的正義を振りかざされてる、ともいえる。

でもよくみると

日本でも絶対的正義としてあるのではない。

死刑に反対する人たちは結構いる。

僕もそう。

日本でも

死刑は絶対的正義ではなく主観的なものだ。

しかし

正義は圧倒する。

社会の中で圧倒的多数派が少数意見を駆逐する。

「正義」とされたものは怖い。

「圧倒的正義」に抗うのは難しい。

正義のために人が死んだり殺されたりする。         

けれども、

「圧倒的正義」に抗う勇気を、

僕はいつも持っていたい。

僕は死刑制度の廃止を求めます。

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