京アニ事件 クリエイティブ症候群


 京都アニメーション放火殺人事件の青葉真司容疑者が逮捕された。まだ身体が回復していない状態での逮捕には異議を唱えたい。けれども取り調べるからには、医師や弁護士の立ち合いのもと人権に配慮した上で慎重に慎重を重ねた聴取が行われること、そして真相に迫ることが期待されるところだが、ここでは僕が想像するところの、事件の背景を語ってみたいと思う。

 というのも、僕自身のことに照らし合わせて、誤解を恐れずに言えば、青葉容疑者の心理に近いところに僕はいて、ある程度理解できるように思っており(容疑者本人からは全くの的外れと言われるかもしれないが)、事件の第一報に触れたときすでに、「ああやったか、こんなことがいつか起きると思ってた」と、考えるより先に口にしていた程、僕にとっては起こるべくして起きたと思えた事件だった。これからもこの事件のことはいろんな専門家や知識人諸氏が様々語られることだろうが、それは発言権のある立場をもった方々の見解であって、僕はいわば同じ敗者弱者の側から語りたいと思う。

 まず始めに、生育の社会環境から考えてみたい。青葉容疑者は42歳、僕より少し下だがいわゆるロストジェネレーションといわれる世代だ。ロスジェネについてはここでは詳しく触れるつもりはないけれども、関連している僕ら世代が受けた教育背景について触れてみたい。
 僕自身は1973年度生の、第二次ベビーブーマーであり、激しい偏差値競争をした世代である。僕は田舎で育ったので、高校に上がるまでは受験競争など意識してはいなかったが、小学校の頃から何か一方向に敷かれたレールに乗せられている感は持っていた。僕たちは気付かぬうちに得体の知れぬ圧力と競争にさらされていたように思う。その一方で、教育の現場では「個性」という言葉がもてはやされ始めてもいた。画一的な教育による偏差値を争う中での「個性」である。それは基本的には今も変わっていないかもしれないが、当時、やたら個性個性と言い出していたように思うのだ。

 個人主義とは何たるかを到底理解できない上に、人権感覚にも乏しい日本人がいう「個性」の中身は「人より秀でたもの」程度を意味するものでしかなかったと、今なら言えるのだが、子どもだった僕らはその画一な教育の中、みんな一緒で個性という要請、矛盾にただただ苛まれたのだと思う。そうしてお決まりには「夢」を語らされたものだった。
 当時、まだ社会は永遠に発展し続けると信じられていた。夢は実現するもので、僕らの親世代には三種の神器であり、マイホームであった。でも僕らが見た、または見させられた夢はそんな画一的なものでなく、「個性」に基づくものだった。つまり、人より秀でた何かになることを夢見たのだ。

 それでもとにかく僕たちは、受験競争を戦ったり、とっとと参戦しない道を選んだりした。後者は見た目にはっきりと分かる「個性」を発揮し、学校の内外で荒れ狂った。校内家庭内暴力の時代だ。
 でもどっちにしてもそこで芽生えたのは、社会に対する反発心だったように思う。個性個性といいながら出た杭は打たれ、よほど秀でた何か、それも一般的に理解されうる良いことでなければ評価されない社会。それを支える教育を受けることで、結果として「社会の優良家畜としての大量生産」に対して「社会のベルトコンベアーに乗ってたまるか」という思いが育ったのだ。当時はテレビCMでも「24時間働けますか、ジャパニーズビジネスマーン」やら「亭主元気で留守がいい」などがフツウに受け入れられる空気があった。社会は猛烈サラリーマンを求めていた。

 僕はそんなの絶対にやだ、いや出来ません、でもそうしないためには「個性」が必要だ、何か自分に秀でたものがあるのか、あるはずだ、あったとしてそれはどうしたら評価されるのか、やっぱり何もないか、ただの凡人か、やっぱり家畜になるしかないか、などが堂々巡りして、僕はひとまず受験戦争に参戦した口だ。一般的に「個性」は、ある程度は大学の名前で補えたのだ。だから何もない凡人でしかなかった僕らは、ひとまず名の知れた大学を目指した。

 しかし僕は就職戦線には乗り出さないことに決めていた。僕は大学の4年間で、何かを掴むつもりだった。何もなかったとしても就職活動はしないことに決めていた。バカバカしいと思うだろうが、それが社会に対する抵抗の一つだと思っていた。たとえ「個性」がなくてもなんとか生き抜くのだと。

 さて僕のそんな思いとは関係なく、在学中にはバブルが完全に崩壊し、就職期には不況風が吹き荒れていた。そしてフリーターなる存在がもてはやされていた。
 分かってもらえるだろうか。この状況。僕たちは「個性」を求められて「家畜」になるように教育されてきたのだ。そうして社会に出る時にこの状況。当時の社会は、不景気だからフリーターなんていって格好つけて、ただの非正規労働者を煽ったのだ。それを受ける僕らもフリーターになってまだ「個性」を見つける、磨く、そんな時期を延長(大学はモラトリアラムといわれた、その延長)できるってことで都合がよかったのだ。つまり双方の思惑が合致してしまったわけである。自由だと思って選んだフリーターという立ち位置さえ、社会の要請だったという悲喜劇がここにある。

 で僕は当然フリーターになった。フリーターになりたかったわけでは当然ないけれども、アルバイトしながらバンドやったり演劇したりした。僕の周りにも、作家だとか役者志望だとかバンドマン、デザイナーとか芸術家とか、ITベンチャー起業とか、たくさんの夢見るフリーターがいた。みんな就職しないで、「個性」、人より秀でるもの磨いていた。それは「才能」と呼ばれるものだった。みんな自分に才能があると思っていた、または思いたかった。そうして年をとることを恐れていた。若いうちが花だと分かっていたから。

 中には花が開いた人もいる。中には諦めて就職できた人もいる。でも中には諦めて就職できなかった人がいる、不景気で。働けてもそのままずっと非正規の人がたくさんいる。中にはひきこもった人がいる。僕たちの世代にはひきこもった人が本当にたくさんいる。初めから社会に出られなかった人、社会に出て躓いた人。おそらく、社会で立ち回れるのは「生産性のある家畜」か「個性(才能)のあるクリエイティブマン」か、そのどちらかしかないと、僕らは思わされてきたのだ。どちらでもなければ引きこもるしかなかったのかもしれない。
 そして僕たち世代を代表するスマップは歌った。ナンバー1にならなくてもいい、特別なオンリー1なんだと。でも僕らにはそんな自己肯定感はなかった。そして現実社会はそんな思考にはいつでも冷笑的だ。

 だからそう、オンリー1のクリエイティブマンになろうとしたのである。クリエイティブ、この言葉もやたらと持て囃されやしなかったか。僕ら世代はどこかで思ってやしないか。クリエイティブな職業に就きたい、クリエイティブでなければ価値がない、と。
 クリエイティブであることはどんな職業でも可能だ、いや働くこととはクリエイティブであるべきだ、というような声が聞こえてきそうだけれど、そんな全うなご意見はここでは置いておいてもらいたい。僕らはクリエイティブでかっこいいと評価されたかったのだから。そしてクリエイティブでありたいとバイトしながら30、40、50と年を重ね、クリエイティブでない価値のない人間だとひきこもり30、40、50と年を重ね、社会の底辺に落ち込み、人生どうにもならなくなっている同世代が、今たくさんいるのだ。

 僕はこれをクリエイティブマン症候群と呼ぶ。創造的な職業に就かなければ自分の価値を見いだせない。薄々「個性」も才能もないと気付きながら、いや気付かず、諦められず、それでいてなにも出来なくなってしまう、さらには評価されないのは相手が悪いと誇大自己妄想化してしまうところまでこじらせてしまう恐れがある症候群。突き詰めれば純粋ゴッホになれるかもしれないが、そもそもゴッホでいいのかという、人のクリエイティブ評でしか自分の価値を見いだせない症候群。大体死んでも評価されないだろう。

 でやっと青葉容疑者だ。彼もバイトしながら脚本かなんか書いており、それを京都アニメーションやその他にも送っていたのだろう。そしてある時、京アニの作品の中に、自分のプロットないしアイデアが使われているのを見つけたのだ。
 青葉容疑者を弁護するわけではないが、京アニに彼の考えた話があった(そう見えた)のは本当だと思う。多分彼も似たような話は考えたのだ。似通った話なら思い付く人はたくさんいる。それを本物の作品、多くの共感を呼ぶ面白いものに仕立て上げられるのが「才能」なのだろう。青葉容疑者には秀でた「個性」も才能もなかった、ただそれだけだ。

 そして青山容疑者は火を放った。36人亡くなったと聞いて驚いたようだが、ガソリンを使えば多くの人を殺害できると思ったと言っている。
 世間では、動機と思われる「小説を盗まれた」という逆恨みが、36人殺害33人重軽症という結果に釣り合わないということもいわれるが、批判を覚悟でいうと、青葉容疑者の思いはそれほどで、いやもっというと、世界なんか滅んでしまってよかったはずで、弁護していえば、青葉は人を殺害しようとしたのではなく、自分を評価しなかった会社、受け入れてくれなかった社会を燃やしてしまいたかったのだと思うのだ。そしてその気持ちが僕には分からなくもないのだ。今まで述べたように、僕ら世代には社会への反発や疎外感が根底にあり、うまく立ち回れずに、40代になっても社会の底辺で貧困で、「個性」を発揮できない、評価されない、受け入れてもらえない感が強くあり、なんだか生きにくさがある。それはただの甘えだと、世間は切り捨てるだろうか。そうだとすれば、後は刃が自分に向くか、家族に向くか、社会にむくかだ。

 僕は夢を諦めて、うまく就職はできたけれども転職し、正規非正規を繰り返しているような人間なので、一歩間違えれば同じところに立っていただろうという思いがある。「夢を叶えよう」「夢を諦めるな」とはよく言われるけれども、「夢の諦め方」や「夢を諦めた先」については誰も教えてはくれないし、語られることもあまりない。夢を絶たれた先の人生を僕らは生きていかなくてはならない。次の夢を追えばいい、と人は言うだろうか。評価してくれる場所、輝ける場所がきっとある、と。

 そもそも「個人」というのが掛け替えのない個性の持ち主で、人の評価を必要としない存在としてあることが認識しづらいのはどうしてか。そんな確固とした「個」が立っていれば、どう人生転ぼうが問題はないと思うのだが、僕らはそう教育されていないから、そこから出るのが難しい。

 クリエイティブな人間でありたい、そう評価されたい。この渦に陥ったら、最後は社会に向けて火を放つしかなくなるところまでいってしまう、そんな人間が出てきてもおかしくはない。個性というもの、その人そのものを受け入れられるか否かという意味では、家族内でもうさんざん事が起きている。この国の殺人の半分以上が家族内殺人だ。若者の自殺も多い。それはそれでもう悲劇としかいいようのないことなのだが、自分や、その家族という社会を飛び越えて、第二の青葉が出ないことを祈るばかりだ。
 

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