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じゅうよんさい全盛期の記憶

 エッセイを書くのがどうにも苦手だ。なぜならば、私は記憶力が非常によくないからである。 
 辞典を引いてみると、「筆者の体験などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想などをまとめた散文」とその定義が示してあるが、さてではその体験したことを思い出してみようとすると、アレ、となる。

「あのとき、あの人はなんて言っただろう」

「おとといは買い物とスポーツジム、どちらに先に行っただろうか」

「えっと、この間読んだ本の名前、なんだったか……」

 思い出せない。

 大事な私の生活が、思い出せない。

 そんなわけで、エッセイを書くにも書けないので、仕方なく私はエセエッセイを書こうと思う。実際に起こったことではないかもしれないけれど、なんてことないさ。事実の何が大事だろうか。自分以外誰もいない場所で起こった事実は幻と変わりない。生まれてずっと誰とも会ったことのない人間は「確かに生きていた」と認めてもらうこともできない。死んでいるも同然である。

 加えて、エセエッセイというのは語感がよろしい。口に出してみると、かけ声のようだ。「わっしょっしょい」のごとく、祭り感があってめでたい。

 そんな感じで書いていこうと思う。

 本日の思い出

 私が中学生の頃、学校でリストカットごっこというのが流行った。実際に刃物で手首を切るのではなく、切り傷を「作る」遊びである。具体的には、赤いボールペンで手首の筋に切わり傷風の線を描く。そして友人に見せ、「リストカットしたんだー」「えー、嘘じゃん」などと言って笑う。それだけである。

 不謹慎極まりない茶番だ。誠実で健康な読者諸氏は「笑えない」「最近の若者はどうかしている」「日本の現代社会は病んでいる」とお怒りになるだろう。ごもっとも過ぎて返す言葉もないが、まあ少し待ってほしい。聞くところによると「人間と他の動物の違いは福祉の心の有無である」そうだ。弱者をいたわる心を持ち、互いに支え、支えられて生きていけるのが人間なのだと、在りし日の健康な偉い人が言っていたようだから、少々辛抱できるようならばしてもらって、心の健康を失った可哀想な病人の声を聞いてほしい。

 私たちの世代は、生まれてからこのかた上向きな社会というのを経験したことがない。我が両親はいわゆるバブル世代というもので、その頃の様子を繰り返し聞いてきたが、幼い頃から新しい家電製品やら見たことのない食べ物やらが身の回りにだんだん増えてきて、何とはなしに「これから日本はどんどんよくなるんだ」という希望を持っていたそうだ。

 対して我々の世代はどうか。生まれる前にバブルは弾け、リーマンがショックを受ける。「世界終焉予定日」は二度来た。テレビは、日本が、世界がいかに危機的状況であるかを訴えかけ、親は社会がどうなるかわからないから安定した職に就きなさいと言う。

 安定を求められ、自分も安定を求めなければならないのだとおぼろげに信じていた。失敗は許されない、恐ろしいものと考えていた。
 一方で、良くないこともしてみたかった。でも大人に言われることや社会のルールを破ると、報いがくる。他人を傷つけるのはダメだ。そして、痕が残るものも。
 リストカットごっこは、あくまで「ごっこ遊び」。しかも描いたものは長袖で隠せる上に、洗えば消える。だから誰も傷つかない。
 勘違いしないでほしい。社会のせいで自分は不健康に育ったのだと、全面的に責めたいわけではない。同年代を見れば、不況に負けず毎日明るく戦う企業戦士もいるし、きっと明日も大丈夫と楽しく子作りに励む学生もいた。結局のところ個人次第だ。
 皆、どの世代であろうと、個人なりのやり方で楽しもうとしている。中学生の頃の私たちも、一応楽しもうとしていたのだ。

 ちなみに私は「リストカット作り」が上手かった。赤いボールペンに加えて茶色のゲルボールペンを使うと現実感が増すのである。私の作ったリストカット痕は、当時の友人たちをして「びっくりした」「本物っぽくて心が痛い」とまで言わしめた(当然その後、交友関係が続いている者は一人もいない)。

 心に痛いところがあるなど自覚しなかった頃の、案外楽しかったけど繰り返したくはない記憶である。

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