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“THE LAST OF US PART II”の物語構造・編集解析

*扉絵:コグニティブ・フォートトーク、ビジョンクリエーター生成
*ここでは“THE LAST OF US PART II”の物語構造と編集について解析した物を、7/21初稿の解析のまま提示する。後に翻訳に諸所問題を発見したため、『“THE LAST OF US PART II”に見る翻訳の難しさ』として提示する。

その上で、翻訳の問題を修正し物語構造と編集の解析から昇華した視点を、『“THE LAST OF US PART II”における倫理と救済』にて提示する。

以下、本文。

“THE LAST OF US PART II”はアビーを通してジョエルとエリーの関係を問う物語だ。アビーの物語に様々な意味が埋め込まれ、それらを重ね合わせてジョエルとエリーの関係を見た時に、作品前半の最後でクライマックスを迎えるエリーの物語と、後日譚として描かれるエリー単独の旅が違ったものとして見えてくる。
 結論を言ってしまえば、エリーもアビーも救われたと言える。悪夢やフラッシュバックに苛まれることが無くなり、復讐に駆り立てる情念から解放された二人は救われている。
 その救済の過程で様々な関係性が変化し生き方が激変するアビーの落とし処が定まらなかったり、様々なものを失ったエリーの報われなさを鑑みると、二人が「救われた」とは到底思えないかも知れないが、物語の構造や編集を解析することで読み解いていく。
 まず、筆者は重要な要素として「越境者」という視点を挙げたい。「越境者」となった人々の関係性が変化していく様を追うことで、この物語が理解しやすくなるだろう。また「越境者」は往々にしてマイノリティとして描かれている。マジョリティとして設定される規範や線引きの外に属するが故に、マイノリティは境を浮き彫りにして跨ぎ、彼らと関わる者は“Marginal man theory”よろしく境界に立たされる。
 アビーの物語で重要な「越境者」はオーウェンとレブ、そしてアビーだ。
 もともと訓練をサボる癖のあったオーウェンはWLFの拠点以外に水族館という隠れ家を持ち、小さな逸脱行為を繰り返していたが、ダニーを殺した疑惑によってWLFから追われる身となり引き返せなくなる。元ファイアフライの彼は「クソほど興味のない土地をめぐっていがみ合うのはもう嫌だ」と言って、ファイアフライ再結成の噂を確かめるためにサンタバーバラへ行くことを決める。
 アビーは、オーウェンが元彼であり、ダニー殺しの真相を確かめるために、アイザックの命令に背いて水族館に行く途中、レブに出会う。アビーはオーウェンによって境界に誘われ、レブと触れることで境を跨いでいく。
 レブはトランスジェンダーで、そうであるが故に禁則を犯すこととなり、所属する教団から追われる。そして姉のヤーラと共に、水族館に行く途中で襲われて半ば吊されかかっているアビーの命を救う。
 アビーにとっては対立する集団の子供たちに命を救われたことになる。ヤーラが負傷しているにもかかわらず、いったんは彼らを置き去りにするが、その日に不吉な夢を見たアビーは翌朝、二人を水族館に連れて帰る。
 ここで重要な要素の二つ目として夢の描写を見ていきたい。アビーは悪夢にうなされる。その徴が歯ぎしりだ。物語の導入部分でアビーパートに入る冒頭でも、歯ぎしりから目覚めるアビーが描かれている。そしてアビーのシアトル一日目が始まるシーンでも、彼女は歯ぎしりから目覚める。
 アビーのシアトル一日目は復讐を終えて帰って来てからなのだが、悪夢を見る。警報が鳴り響くSAINT MARY'S HOSPITALの長い廊下を抜けた先にあるオペ室の扉を開けて、血まみれの父が倒れている姿を見た四年前の回想を脳裏に、ゴルフクラブを握りしめてジョエルに最後の一撃を振り下ろした山荘の出来事が、歯ぎしりを伴ってアビーを苛む。
 この「病院の長廊下を抜けてオペ室の扉を開けた先の光景」という構図が繰り返されることで、アビーの情念がどのように変化しているかを読み取ることが出来る。
 自分の命を救った子供たちを置き去りにしたアビーが見た不吉な夢は、病院の長廊下を抜けてオペ室の扉を開けた先にヤーラとレブが吊された光景だった。「ったく世話がやける」と独り言をつぶやきながらシアトル二日目が始まり、アビーは命の恩人を安全な場所に移し、左腕が砕かれたヤーラを救うために、半ば脱走の身でありながら危険を冒して手術道具を取りにWLF支配下の病院へ行く。脱走がバレて一時拘束されるものの、アビーはノラに解放されて水族館に戻り、メルが執刀してヤーラの腕を切断すことに成功する。ヤーラが微笑み、アビーも微笑む。こうして二日目が終わる。
 シアトル三日目冒頭の夢は、悪夢ではない。病院の長廊下を抜けてオペ室の扉を開けた先に居たのは、真っさらな手術着を着て微笑むアビーの父だった。
 この一連の夢の変化をどう読むかが重要になる。ジョエルをなぶり殺して帰って来たにもかかわらず血みどろの記憶が蘇る一日目に対し、アビーとヤーラの間で互いに救い救われる関係を築いた後で安らかな父が姿を現す三日目となる。率直に読めば、復讐しても救われないが、他人を救って救われたということだ。
 このような意味の提示はなかなか野心的と言える。世界宗教が復讐を諫めるのは、復讐がありふれて人々を苛むからであり、風習や因習となっている場合もある。「復讐は問題を解決しない」というメッセージは、復讐に駆られた者でなくとも、生半可には受け入れ難いものだろう。
 なにより、プレーヤーはエリーと共に、アビーがジョエルをなぶり殺しにする場面を経ているのだ。エリーの目の前でジョエルは殺され、彼女は復讐を誓い、先に出たトミーを追ってディーナと共にシアトルに行き、追いかけてきたジェシーと合流しつつソルトレイク組を探し出し、前半最後のクライマックスを迎えることとなる。
 この物語をこのような構成にした理由の一端として、プロデューサーであり脚本を執筆した一人でもあるNeil Druckmann の“It's a game about empathy and forgiveness”(*1)という言葉が参考になるだろう。
 プレーヤーは当初、ジョエルとエリーの物語を期待してゲームを進めるだろうが、状況が判然としない形でジョエルが殺される光景をエリーと共に目撃する。勘が良ければ、前作の最後にジョエルがエリーを「救い出した」ことが関係し、エリーが真相にどう辿り着くかというプロットを期待するかも知れない。或いは、何故ジョエルが殺されたのかという問いと共にエリーの追跡をなぞっていく。
 いや、途中まではなぞっていると思わせるように作られているのだが、エリーとノラの会話が仄めかし、直後の幕間に挟まる回想で明確になるように、実はエリーがSAINT MARY'S HOSPITALで起こった真相を知っていた事実が開陳される。プレーヤーはここで初めて、ジョエルとエリーの関係が非常に微妙な関係になっていたことを知る。
 プレーヤーは同行するディーナに近い立ち位置で物語を追っていたことになり、編集の妙で少々裏をかかれた状態になる。そしてエリーとジェシーの会話を通してエリーの微妙な言い回し加減を理解し、物語の進行は水族館の出来事を経てクライマックスへと突入し、頂点に迫る。
 しかし最高潮にあと一歩のところで、プレーヤーは結末を取り上げられてアビーを疑似体験することになる。
 エリーの物語である前半は前振りでしかない。後半のアビーの物語こそが“THE LAST OF US PART II”の核となるのだ。その重要性は上述した通りで、特にレブの存在が鍵となってくる。レブに触れたアビーは敵対勢力の「スカー」を「セラファイト」として認識するようになる。この構図は同時に、プレーヤーに対して、復讐に燃えた「クソ女/雌ゴリラ」を「アビゲイル・アンダーソン」として認識するよう促す。
 アビーのシアトル三日目冒頭で、ヤーラとレブはオーウェンから一緒にサンタバーバラに行かないかと持ちかけられ、レブは母を説得すると言ってヤーラと口論になり、WLFの掃討作戦が近づく教団の拠点である島に一人で行ってしまう。アビーはレブを連れ戻すためにヤーラと島へ行かざるを得なくなる。
 島に戻ったレブは不可抗力で母を殺めてしまい、シアトルに留まる理由が無くなる。そこにアビーとヤーラが辿り着き、掃討作戦が遂行される戦火の中を脱出する途中、三人はアイザック一行と鉢合わせる。成り行きの中でヤーラは腹を撃たれ、アイザックはヤーラに撃たれ、その間隙を縫ってレブと共に包囲を突破したアビーは、大勢の前で「スカー」を庇いアイザック死亡の一因となった以上、引き返せない一線を越える。
 ヤーラの死に直面したレブが「あいつらアビーの仲間でしょ」と言うのに対し、アビーは「あんたがあたしの仲間! いい?戦って二人で生き延びるの」と腹を決める。恐らくアビーはレブの保護者として生きることを決めたと思われる。
 そして四年前のジョエルとエリーに見られた保護者と子供の関係性が、アビーとレブの関係性に埋め込まれるのだ。プレーヤーが期待した関係性が別の形で現れる。ただ、エリーはジョエルにとって護るために暴力を積み重ねる要因だったが、レブはアビーの安全弁として働くことになる。
 島から戻ったアビーとレブは、水族館でオーウェンとメルが死んでいるのを発見し、アビーは崩れ落ちる。そして残された地図を元に劇場を襲撃し、ようやく前半最後で中断していたクライマックスが動き出す。
 「見逃してやったのに、全部ぶち壊しにした」と怒りを爆発させるアビーの事情は以上の通りだ。エリーが、ディーナの頭を滅多打ちにするアビーに懇願するが、アビーは「そう」とにべもなくナイフでディーナの首を切ろうとする。その彼女を止めたのがレブである。レブに呼びかけられることで正気に戻ったアビーは、エリー一行を皆殺しにせずに去る。そしてこの行動が、結果的に彼女自身を救うこととなる。
 何とも言い難いが、アビーの視点でボスであるエリーと戦うことになる演出も含めて、アビーを徹底的に追体験させる演出は一貫しており、凄いとしか言いようがない。
 ここで一旦終わったかに見える物語だが、エリーの情念は治まらず救われていない。納屋でフラッシュバックに襲われたエリーは、ボールドウィンの屋敷の薄暗い階段で、開かない扉を叩き続けながらジョエルが助けを求める声を聞く。
 後日、トミーがやってきて、エリーにアビーとレブの情報を掴んだことを告げる。右目が潰れて左足が不自由になったトミーは、実兄のための復讐には乗り気ではなかったが、自身が五体不満足にされて情念に囚われている。
 しかしエリーは話に食いつかない。ディーナが「終わったことでしょ」とトミーを牽制する。エリーは非常に困った状況に追い込まれた様に渋い顔をして、「悪いけど…」と言ってうつむく。「俺は行けない」とトミーが畳みかけるのに対し「わかってる」と応えるも、エリーはうつむいてため息を吐く。
 ここで一つの可能性が示される。「ここでのんびり暮らしてりゃあ、ヤツのことなんか忘れちまうか」と煽るトミーの言葉だ。実際にエリーはしばらく発作に襲われずに暮らしていたと思われる。後日譚冒頭の長閑な生活の中で起きたフラッシュバックは、「最近、何も刺激がなかったし」とエリーをなだめるディーナの言葉から推察されるように、久しぶりの出来事だったとみられる。日記の記述からも、忌まわしい光景が蘇ってきて、映像を消せたり消せなかったりしている様子が見られる。
 最後を先取りしてしまうが、サンタバーバラから帰ってきたエリーの回想が、より一層「忘れちまう」ことの可能性を示唆している。
 ジョエルが殺される日の前日、ジャクソンで開かれたパーティーの後で、エリーはジョエルに物申しに行く。ジョエルが飲んでるコーヒーのこと、パーティーで揉めたセスのこと、揉めた原因のディーナとのこと等話して、結局四年前の病院の真相で口論になる。
 「もし神様がもう一度チャンスをくれたとしても、俺はきっと同じことをする」と言うジョエルに対し、エリーは「わかってる。たぶん、一生そのことは許せないと思う。でも、許したいとは思ってる」と応える。
 一つの可能性とはつまり、時が解決するという可能性だ。許したいと思っている方向性で日常を積み重ねて、その心理的な密度が許せないと思う情念を満たした時、人はその情念から解放されるのではないか。エリーが彼女にとって新しい関係性となるであろうJJの成長を期待していたことも、この筋で読むことが出来る。
 しかし、トミーがもたらした情報によって復讐に駆り立てる情念が呼び覚まされる。相手がどこに居るか解ってしまったがために情念を抑えようがなくなったエリーは、引き止めるディーナを置いて出発する。
 サンタバーバラに着いたエリーは、アビーとレブが武装勢力に捕らわれていることを聞き出し、拠点に乗り込む。アビーとレブの消息を聞き出すまでに血を流したエリーは、消耗した状態で、磔にされているアビーの元に辿り着く。アビーは、並の男が相手なら組み伏せてしまえるほどの腕っ節だったのだが、長期間磔にされて痩せ細った状態になっている。
 ただ相手を殺したいのなら、さっさと銃で撃ち殺してしまえば良いのだが、エリーはそうしない。エリーはアビーに戦うことを強いてナイフで斬りかかる。弱ったアビーと互角の状態で揉み合い、半ばベソをかきながらクシャクシャの顔でアビーの肩を海中に押しつけるエリーの脳裏に、穏やかな表情でギターを弾くジョエルの姿が現れる。エリーは抑え込む手を離し、むせ返るアビーに対し泣きじゃくりながら「もう行って。あの子と一緒に」と言う。
 アビーの救済に関する演出を押さえた上でエリーの脳裏に現れた映像を解釈するなら、エリーは復讐に駆り立てる情念から解放されたことになる。アビーとの濃密なやりとりの中で様々な情念が生み出すエネルギーが一気に昇華されて気が済んだと言える。クサい言い方をすれば、ジョエルがエリーに「もういいよ」と伝えた訳だ。そしてエリーがアビーを殺さなかったということは、彼女が万事休して死を待つのみだったアビーとレブを救ったことになる。
 エリーは薄々、アビーを殺しても気が晴れないであろうことに気が付いていたのかも知れない。エリーの言う「復讐してやる」や「殺してやる」という言葉は、逆上した時の勢いに任せて言う台詞であることが多い。当初は本気で言っていたのかも知れないが、ノラを吐かせる上でなぶり殺しにし、山荘で自分を殺さないように割って入ったオーウェンを銃が暴発するような形で殺し、妊娠したメルを殺して極度に狼狽えたりと、エリーは復讐劇を続けて精神的な傷を深めただけだ。
 エリーは、ジャクソンに帰ってきた時も「復讐してやる」と言ったようだが、その言葉が長閑な日常の中で薄まり始めた情念を呼び覚ます要因になってしまう。トミーがディーナと口論する中で「あいつは俺に誓った」と言い、エリーは板挟みに遭う。
 殺し続けて精神的に疲弊しつつ、最終的に目的を達せられないどころか、標的本人に見逃してもらうことで生還したエリーにとって、アビーに対する復讐の血塗られた道のりは明白だが、心情は複雑だ。
 そもそもエリーのジョエルに対する心情が複雑である。ボストンからソルトレイクシティまで大陸を横断して一年を共にしたジョエルとエリーの関係は、親子のようでありながら、ジョエルがエリーを護り続けることでエリーの本懐を欺くという構図になる。エリーにとって精神的な父でありかつ裏切り者であるジョエルという二律背反を象徴した場面が、最後の回想になる。
 後日譚はエリーの救済と和解だ。サンタバーバラに発つ直前の回想で、エリーはジャクソンで開かれたパーティーを思い出す。大勢の前でエリーとディーナがキスをして、セスが忠告をする。ディーナが煽り文句を投げて、セスが売り言葉に買い言葉を返す。その言葉にエリーが逆上して一触即発の状況になる瞬間、ジョエルが二人の間に割り込んでセスを突き飛ばし「とっとと失せろ」と言い立ちはだかる。
 マリアとトミーがセスをなだめて外に連れ出し、ジョエルがエリーに「平気か?」と声をかけるのだが、「(セスの物言いが)あんなひどいことを」というジョエルに対しエリーは「自分だって」「助けてくれなんて言ってない」と言い放つ。ジョエルは静かに「そうか」と言って去る。エリーは拍子抜けのような、我に返ったような、思っていないことを言ってしまったかのような、気まずいような複雑な表情を見せる。
 エリーの回想の中で、ジョエルは終始エリーを気にかけている。エリーが真相を知って「もう終わり」と通告した後も、ジョエルは変わらずに保護者の位置に居る。
 誕生日の回想で、何気なくジョエルがエリーに忠告する下りがある。「そのすぐ腹立てる癖直したほうがいいんじゃないか?」と言うジョエルに対し、「ムカつく相手でも?」と応じるエリー。ジョエルは「それでもだ」と言い切る。
 この忠告が、物語の全編を通してジワジワと効いてくる。ディーナが妊娠を告白した際に、足手まといなることに苛つくエリーは辛辣な言葉を発する。「で結局迷惑かけるわけ?」と言ってしまってからうつむいた後悔は、日記で確認出来る。ノラの背後を取った際も、ノラの発言に逆上した隙を突かれて事態を悪化させており、オーウェンとメルに対して「答え合わせ」を試みた際は詰めが甘く、苛ついて適切な距離を取れなかったが為にオーウェンに組み付かれて揉み合いから二人の殺害に至る。またパーティーの回想で、ジョエルを突き放すように言った後に見せたエリーの複雑な表情は、カッとなって言ってしまったことの後悔であり、トミーに「俺に誓った」と言わしめた言葉に対する後悔と通底しているだろう。
 逆上して後悔した後で弁明に行ったのが、最後の回想場面だ。エリーがジョエルに二つの相容れない心情を伝え、ジョエルは「それでいい」と受け入れる。最後にその場面を思い返すことで、エリーは心理的にジョエルと和解したことになる。
 この物語を理解する上で極めて重要な視点として、どこに“THE LAST OF US PART II”の出発点を設定するかという問題がある。出発点は紛れもなくジャクソンでのジョエルに対するエリーの弁明だ。その直前にパーティーで起こったちょっとした揉め事、つまりセスとエリーの一触即発があり、割って入ったジョエルに逆上してしまったエリーの当惑が、直後の弁明に結びつく。恐らく二年ほどまともに会話していなかった二人の間で久しぶりに交わされたやり取りで、エリーは和解の第一歩を踏み出す。正にその翌日、ジョエルは殺される。和解するはずだったジョエルを失ったエリーは、そのことすら忘れてしまうほど復讐に駆り立てられ、殺しを重ねて疲弊する。そして二度見逃された上でアビーと最後に対峙する時、エリーは自分の血に触れて血みどろのジョエルを思い出し「行かすわけにはいかない」と戦うことを強いるが、殺すと自身が疲弊することと目の前のアビーに対する情念の間で極限まで葛藤し、起点である弁明に行った晩に目撃したジョエルがギターを弾く姿を思い出す。
 エリーにとってジョエルは、報われない復讐劇を遂行する程に大切な存在だったのだ。大切な人のために殺しを重ねたのち、和解の第一歩を踏み出したあの晩を思い出すことで、エリーはジョエルが彼女を「救った」ことを受け入れて和解が成立する。ジョエルに対するわだかまりが消えると同時に、エリーはジョエルが彼女を「救った」帰結として引き起こるアビーの復讐を享受する。「救った」経緯を知ってもなお最終的に自分を殺さなかったアビーに対するエリーの執着は解消する。そして復讐に駆り立てる情念から解放されることで、エリーはアビーを押さえつけている手を離すに至る。許せない相手の所業を、類似の体験を通して理解すると同時に、憎むべき相手の中にも類似の構造を見出すという構図だ。

 エリーがちぎれた指で完全に押さえきれないギターを弾いて、抜けたコードのもの哀しさが際立つのは、復讐の物語として見る場合だろう。アビーを殺せず、ジョエルは居ない。ジェシーは死に、ディーナはJJを連れて去った。指もない。失うだけで新しい関係性が生まれず過去の延長線上に居るエリーは、しかし復讐に駆り立てる情念から解放され、ジョエルとも和解したことで救われている。
 これをアビーの視点で見るとどうなるか。
 復讐を遂げたにもかかわらず悪夢に苛まれるアビーは、ヤーラとレブに命を救われ、ヤーラの命を救い、復讐に駆り立てる情念から解放される。その過程でWLFから飛び出し、アビー以外のソルトレイク組のほとんどがエリー一行に殺されたにもかかわらず血塗られた復讐から抜け出せたのは、レブが居たからだ。そして新しい関係性の中で生きるアビーは、結果的に命を救われる。救ったのはエリーであり、彼女のおかげでカタリナ島に漕ぎ出せるのだ。
 “THE LAST OF US”の世界で復讐をテーマにする意義はあるのだろうか。この作品を見る限り、大成功だろう。濃密な展開が無理なく進行し、それぞれ属性づけられた登場人物たちがその筋に沿って交錯する。綿密に構築した環境設定の中で登場人物を適切に配置し、物語を転がし始めると転がり終わるまで止まらないシナリオの完成度は、黒澤明の「隠し砦の三悪人」を彷彿とさせる。その上で、「復讐は問題を解決しない」というメッセージを発している。
 復讐に関わる者たちは皆、死ぬか心に傷を負って何かが壊れていく。ソルトレイク組はアビー以外の七人が全員死ぬ。特にノラは、エリーに追い詰められた際、ジョエルの死に関わって何らかの情念に囚われていることを仄めかす。
 エリー一行は、ジェシーが死ぬ。マリアと距離を取ることになったトミーは後遺症を負い、復讐に囚われる。ディーナはジェシーを失い、エリーを留めることが出来ず農場を去る。
 様々な部分が壊れていくのは主要人物だけではない。WLFとセラファイトは血で血を洗う復讐の抗争を激化させ、司令官のアイザックは「根絶やし」という狂気に突き進む。また、FEDERAとWLFの間で翻弄された人々の中にも、復讐に散った人の記述が散見される。
 そもそも前作の中盤、東コロラド大学のエピソードで、ジョエルとエリーに殺された者たちが所属する武装勢力は“LEFT BEHIND”で描かれたように執拗に二人を追い回し、本編で結果的に首領が返り討ちに遭うという結末を示している。
 ジョエルとエリーはそれほどまでに生存能力が強烈な訳だ。そしてジャクソンの巡回要員も皆、細心の注意を払えば感染者と渡り合えるほど訓練されているが、感染者のラッシュに遭えばミラー兄弟とアビーの組み合わせでも生き残るのが危うい世界である。ソルトレイク組は万全を期して八人で来ている。
 強者でなければ外界で生き残れず、そういう強者たちが繰り広げる復讐劇を通して、復讐を完遂しても報われず問題は解決しないと示すことは、大いに意義がある。そして救済の道も示されている。
 これを傑作と言わずして何と言おうか。

*1 https://www.ign.com/articles/the-last-of-us-part-2-neil-druckmann-on-the-sequels-ambitious-story

2020/7/21 初稿。
2020/10/4 語句修正と加筆、総論は変わらず。
2021/1/6  枕注を追記。
2021/8/7  冒頭注記の構成変更。
2022/1/18 課金に伴う注釈追記。
    [追記:プレーヤーはここで初めて、]ジョエルとエリーの関係が…。


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