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『スカイ・クロラ』に見る「いき」の構造

*扉絵:コグニティブ・フォートトーク、ビジョンクリエーター生成

*以下の論考には映画『スカイ・クロラ』のネタバレが含まれる。

九鬼周造の『「いき」の構造』が解き明かす「いき」の何たるかを以てこの作品を読み解くならば、正しくそれは草薙水素の「生き(行き/粋)様」だろう。読み解く手がかりは九鬼の提示する「いき」の内包的構造と、外延的構造から導き出される直六面体構造にある。

九鬼に拠れば、「いき」の内包的構造とは「媚態」「意気地」「諦め」である。

「媚態」は異性との関係に深く根ざしており、水素にとってはクリタ・ジンロウ、函南優一、ヒイラギ・イサム、そしてティーチャーとの「尋常ならざる交渉」を背景として顕れる。その媚態は、押井守監督の本作品の前作『イノセンス』に登場する愛玩用ガイノイド「Type2052“HADALY”」が纏う無機質を彷彿とさせるほど抑制して無表情を装う隙間に見える彼女の瞳の艶や、化粧気のない彼女が差す紅であり、そのような媚態がそこかしこに散りばめられている。

水素の「意気地」を見出すのは容易い。優一に対する意図的な無表情がその最たるものであり、瑞希の父・ティーチャーに対する執着であり、三ツ矢碧との意気地の張り合いは互いに拳銃を手に取るまでに加熱する。

そして「諦め」へと至る。水素はジンロウの意志を引き受けるも函南優一という個人を諦め、ヒイラギ・イサムに微かな期待を寄せる。その未来に託す希望は劇中のラストシーンに凝縮する。「草薙水素です。貴方を待っていたわ」と語る彼女の強かな微笑みは、自身を追い越して行く瑞希に対する不安や、恐らく何度も同じことを繰り返すであろう先の出来事に対する彼女の「生き(行き/粋)様」なのである。ティーチャーに対する意気地にほだされて挑発する野望ではなく、厭世によって切り離す無感情でもなく、抑えても尚ほとばしり漏れ出でる媚態である。

一方で外延的構造を紐解けば、それは意気/野暮と甘味/渋味がそれぞれ対角を成す上底面と、上品/下品と派手/地味がそれぞれ対角を成す下底面が構成する直六面体構造だ。そして劇中の登場人物たちが、それぞれの局面に配置される。

派手・下品・甘味を結ぶ局面に位置する土岐野尚史と派手・上品・甘味の局面に位置するクスミは相対を成し、地味・下品・甘味の優一に地味・上品・甘味のフーコが相対する。地味・渋味・意気に位置する笹倉永久は多くを語らず、地味・下品・野暮の三ツ矢は地味・上品・野暮の水素と意気地を張り合う。水素は鼠色の制服を着て細面であり、野暮から垢抜けて「いき」を体現する。

さて、九鬼の提示する「いき」の内包的構造と外延的構造は、解説する藤田正勝に拠れば、意識現象としての「いき」を「[筆者注:第六章にて]十全な仕方では解明されなかったということを語っている」のだが、現在の意識現象の何たるかに関する知見を踏まえるなら、それはゲシュタルト心理学によって克服できよう。つまり「いき」の内包的構造と外延的構造が示す個別具体が織り成す「いき」というゲシュタルトが意識現象である。そして時を隔て対象を異にしてもなお、九鬼の提示する構造を手がかりに、この映画作品を体感する者は「いき」を会得することが出来る、と筆者は信ずる。

参考文献:
九鬼周造『「いき」の構造』藤田正勝 全注釈、講談社学術文庫、2003年。


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