【第9章・絵画の入口】融女寛好 腹切り融川の後始末(歴史小説)
第九章 絵画の入口
栄を乗せた町駕籠が、神田鎌倉横町の板谷桂意の屋敷前に着いたとき、七つ(ほぼ午後四時)を四半時(三十分)ほど過ぎていた。
「駕籠屋さん、帰りもお願いしたいから、こちらで待っていて下さい」
栄は、浜町狩野家の画塾に移った後も、年に数回は桂意を訪れていたから、板谷屋敷の人々も栄のことはよく知っている。来意を告げると、すんなり桂意の書斎に通された。
「どうした? 何日か前に新年の挨拶に来たばかりではないか」
板谷桂意は、名を広長という。歳は五十三。その物腰の柔らかさが、いかにも大和絵の絵師らしい。
平安時代に発達した日本独自の大和絵は、都の朝廷に仕える土佐派を本流とする。江戸には、その支店と呼ぶべき住吉派があるが、桂意の父・板谷慶舟は住吉派を出て、自ら板谷派を起こした。桂意はその二代目であり、寛政十年(一七九八年)に奥絵師となった。
頭は剃っている。官位は法眼。絵師に与えられる官位は、上から法印、法眼、法橋の三つ。これらは本来、僧侶に与えられる位であった。しかし、御用絵師の身分は幕臣(武士)であり、妻帯して子を成し、その子に地位を相続させる。いわば、公認の偽坊主と言えた。
こうした存在の元祖は医師であろう。そして、将軍や御台所のプライベートな空間である「奥」にまで入って仕事をすることを許された高位の医師を、御医師、又は奥医師と呼んだ。奥絵師はそれに倣ったもので、正式には「御医師並」と記録されている。
日本人は、古代から近世にかけて中国大陸から多くを学んだが、幸いなことに、去勢した男性官僚に後宮の管理を任せる宦官の制度は取り入れなかった。
理由はよく分からない。祭政一致の古代日本では巫女が大事にされていたが、その巫女の世話をしていた女性たちの存在が自然と引き継がれたのか。単に、健康な男性の性器を切除するという残酷さに日本人が耐えられなかったか。或いは、医療レベルと高温多湿の風土のためだったかもしれない。
いずれにせよ、古代日本人のある種の賢明さと横着さが、清少納言や紫式部を出現させ、最終的に江戸城大奥を生んだ。
江戸城本丸の大奥は、将軍以外は男子禁制、その運営は全て女中たちが担った。しかし、どうしても女性だけではカバーし切れない部分がある。そこで、医師や絵師など、専門技術を有する者については、世俗を離れた存在とされる僧侶と見做すことで、男性の「奥」への立ち入りを認めていたのである。
今や奥絵師として堂々たる貫禄を備える板谷桂意も、栄が入門したときは奥絵師になって一年程しか経っておらず、剃り上げた坊主頭がまだ青々としていた。
栄が桂意の弟子となったのは、寛政十一年(一七九九年)、七歳のときである。その年の春、彼女は家族と一緒に品川まで潮干狩り行った。数日後、寺子屋の師匠が血相を変えて、神田飯田町の旗本屋敷の長屋まで、栄の両親に会いに来た。彼は、栄にすぐ絵画を習わせるように強く勧めた。
寺子屋で、「家族との楽しい思い出」と題する画を子供たちに描かせたところ、栄は、品川の砂浜の景色を描いたという。
寺子屋の師匠は、見たままの地形だけでなく、打ち寄せる波の音や潮干狩りに興じる人々の歓声まで聞こえてきそうな、栄の大人顔負けの描写力に一驚したのだった。
当初、両親は、栄に絵画を習わせることを渋った。
栄は生来、整った顔立ちで、さらには利発でもあったから、年頃になれば主家の奥向きで勤めさせ、あわよくば御殿女中として出世して欲しいと思っていた。必要なのは、一に裁縫、二に読み書き、三に三味線か踊りといったところだ。家計的にも、それ以上は無理である。
ただ、栄には記憶がないのだが、彼女自身が絵画を習いたいとかなり粘ったらしい。好きこそ物の上手なれ、である。最初に母親が折れ、母が父を説得してくれたと、後に姉から聞いた。
そして、父が主人の旗本・高井飛騨守に相談したところ、飛騨守が同じ神田に住む高名な絵師を紹介してくれた。それが板谷桂意であった。桂意は、七歳の女児と雖も侮らず、栄の「潮干狩り図」を真剣に見た上で入門を許してくれた。
桂意との出会いがなければ融川との出会いもなかった。偶然か必然か。それは神のみぞ知るところだが、ともかく、どんな才能も、勝手に花開くわけでは決してない。
栄がどう切り出したものかと言葉を選んでいると、桂意が重ねて問うてきた。
「それで、何なのだ? そろそろ日も暮れる。年頃の娘が独り歩きする時間でもあるまい」
口調は少し咎めるようだが、表情は優しい。何せ七歳のときから知っているのだ。桂意にとって、栄は娘のようでもある。栄は、そこで意を決した。
「は、はい。その、融川先生が亡くなったのです」
「誠か。先ほどお城でお会いしたばかりだが。卒中でも起こされたか」
「いえ、違います。お腹を召されたのです」
「なに、切腹したと。お栄、戯れ言ではあるまいな」
「無論です」
間髪入れずに応じた栄の真剣な表情に、桂意は、ひとつ大きくため息を吐いた。
「そうか。さては、あのことが余程腹に据えかねたか。いや、しかし、自害とは。何と早まったことを」
「では、先生は、融川先生がお腹を召された理由をご存知なのですか」
「本当にそれが理由かどうか、断言は出来ない。しかし、心当たりは、ある」
「結構です。それで結構です。先生、是非、是非お教え下さい!」
次章に続く
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?