【物語の現場058】改元を献策した池のほとり・浜離宮恩賜庭園(写真)
「狩野岑信」の第八十章では、元禄から宝永への改元がありました。
写真は、綱豊と熙子が散歩し、吉之助が改元の献策をした「潮入の池」のほとり(東京都中央区、2022.4.24撮影)。
歴史上、甲府藩の外桜田の上屋敷(現在の日比谷公園)が一時取り上げられていたという事実はありません。この物語で、甲府藩主・松平綱豊とその正室・近衛熙子が浜屋敷(現在の浜離宮恩賜庭園)で暮らしている設定にしたのは、将軍綱吉との距離感を表したかったのと、何より、この夫婦、特に熙子の住まいとして、日比谷公園より浜離宮の方が相応しいと思ったからです。
浜離宮を訪れ、大手門を入って少し進んだところに年代順に四枚の絵図が掲示されています。それを見ると、庭中心の自然を愛でるための施設となったのは享保九年(1724年)の火事以降で、それ以前は、庭よりむしろ敷地の大半を占める御殿群が主役でした。綱豊と熙子の住居としてもまったく違和感のない立派な屋敷だったのです。吉之助や竜之進が暮らす侍長屋も実在していました。
ともかく、吉之助の浜屋敷での日々も終りが近付いています。彼の人生における最後にして最大の転機がやって来るのです。