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【第12章・報告会(後段)】融女寛好 腹切り融川の後始末(歴史小説)

第十二章  報告会(後段)

「かしこまりました。ご報告いたします」
 栄は歌子に改めて一礼し、説明を始めた。内容を要約すると次の通りだ。

一、贈呈屏風の見分の場で、見分役の一人が融川の描いた屏風に文句をつけた。
二、その文句の主旨は、金泥の使い方が貧相で、伝統技法からも逸脱しているということ。
三、文句をつけた見分役は、奏者番の阿部備中守である。
四、備中守が描き直しを命じ、それに対して融川が激しく抗議した。
五、最終的に二人の口論に木挽町家の伊川栄信が割って入ったが、融川はそのまま下城してしまった。

 あまりのことに歌子や家臣たちが呆然とする中、素川章信が猛然と立ち上がって叫んだ。
「ふざけるな! 描き直せだと。そりゃ、融川が怒るのも道理だぜ。腹も切りたくなるわ!」
「素川様、どうか、どうか落ち着いて下さい」
「これが落ち着いていられるか。おう、お栄。金泥がどうのとか、伝統がどうしたってのは、一体何だ?!」

「はい。融川先生は、近江八勝の空にたなびく雲を、金泥と金砂子で表現されました。そして、遠いところは遠く、近いところは近く見せるため、金泥に濃淡をつけ、金砂子の振り方も加減したのです。それを、金の使い方が足りない。貧相だと。伝統技法のところは詳しくは分かりませんが、阿部様は、絵画について一家言おありの方なのでしょう。それ故のご指摘ではないか、と」

「何を言いやがる。トーシロは黙ってろ!」
「はい。融川先生も、素人に何が分かるか、と阿部様を一喝されたそうです」
「当たり前だのこんこんちきだ!」

 すると家老の長谷川が顔色を変えて、「お、おい、お栄。殿様が、その、阿部様を怒鳴りつけたと申すのか」
「はい」
「当然じゃねぇか」
「しかし、しかし、城中でそのような乱暴な。皆様のおられる前で」
「おいおい、満座で恥をかかされたのは融川の方だぜ!」
「それはそうでございますが、しかし、あまりに。お栄、奏者番の阿部備中守様だったな。誰か、武鑑を持ってきてくれ」

 武鑑とは、江戸時代に発刊されていた紳士録で、大名武鑑と旗本武鑑があった。どちらも各家の当主の氏名、官位、家紋、石高、役職という基本情報に始まり、菩提寺、正室の実家から将軍家への献上品などまで、かなり詳しく記されていた。

 この書物は、商人や職人の武家屋敷に対する営業ツールとして利用されただけでなく、武士階級にも珍重された。特に行列の運行管理には欠かせぬものであった。
 何事も格式重視の江戸時代、大名や旗本が登城下城する際、自分より格上の家の行列に行き当たると、道を譲らなければならなかった。
 そこで、各家の行列を指揮する家臣は武鑑を熟読した。主家よりも格上の家の家紋や槍印、駕籠の特徴などを頭に入れておき、格上の行列にぶつかる前に道を換えたという。侍奉公も大変である。

「ご家老、これに」
「そなた見てくれ。あるか」
「阿部、阿部、阿部、阿部家は随分ありますな。あっ、これですかな。上総佐貫藩一万六千石」
「なんだ、大名と言っても木っ端大名じゃねぇか」
「どれどれ、貸してみろ。うん? これは違うぞ。この方は駿河守だ。お栄、備中であったよな?」
「はい」
「すると、こっちだな。従四位下、阿部備中守、正精様。備後福山藩、じゅ、十万石」

 さらに顔を青くした長谷川に素川が怒鳴る。
「十万石くらいでびびってどうする。ふざけんな!」
「し、しかし、奏者番に加えて寺社奉行も兼ねておられる、と載っておりますぞ」
「それがなんだ! 融川はただの御用絵師じゃねぇ。天下の奥絵師だぞ。それに向かって描き直せなんざ、思い上がったボンクラ大名に決まっている。堂々と出るとこ出てやろうじゃねぇか。それが駄目なら、殴り込みだ!」
「そ、そ、そんな無茶な」
「じゃあ、どうする? このまま泣き寝入りじゃ、融川の野郎が浮かばれねぇぞ。違うか!」

「素川様、奥様の御前でございます。もう少しお言葉を丸めて下さいませ」と、奥様・歌子を支えるこまがたまりかねて注意した。
 すると素川は、まず当惑顔の歌子に目を向け、次いで一同を見回し、大きく嘆息してから吐き捨てた。
「分かったよ。あとは好きにしろ。こっちはこっちで好きにやらせてもらうぜ。これにて御免!」

「あっ、素川様、お待ち下さい。おい、誰か。誰かお止めせんか!」
 長谷川の求めに応じて家臣が一人、ドカドカと廊下を踏みしめて去って行く素川の後を慌てて追った。
 その間、栄は、長谷川の声も素川の足音も聞こえぬかのように、じっと歌子の顔を見続けていた。

次章に続く

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