じぶん! だーいすき♡

わーーーーーーーーーーー!!!!!もうぐちゃぐちゃだー!!!!!!!!

ねぇ、なんで生きてんの? って聞かれて「し、死ねないから……」としかこたえられない人とだけお友達になりたい人生です。
そんなことも思いつつ、生きるとか死ぬとか、そういうことばっかり考えている自分に嫌気が差します。そんなの全然かっこよくないからね。
いつになったら、現実を見ずに、斜に構えて世界を俯瞰するふりをすることを、かっこいいと思う感性は消えてくれるんだろう。いつになったら、一生懸命やったってどうせ、って思っちゃう感性は消えてくれるんだろう。いつも失敗することばかり考えて、失敗するくらいならやらない方がいいと思う。いつも完璧な自分を夢みて、完璧にこなせないなら最初からやりたくないと思う。
なんか、普通に考えてアホだ。そんなわけない。最初から諦めて、結果なんか表れるわけない。やってないんだから。なのにいつまでも、どうせやったって……って泣き言ばかり言ってるの、バカだってわかってんだけどね。でも、そんな自分がちょっと愛おしくもある。

なんにも出来ない自分が大嫌いなのに、「なにもできない」の枠組みにいる自分がちょっと好き。なんか、かわいいんだ。ぐちゃぐちゃの部屋の中で、全く食べられなかったりすごく食べちゃったり、ぐちゃぐちゃの食欲と精神状態で、昨日も風呂に入ってないなと思いながら空虚に天井見る自分が、あまりにもそれが、素の自分、だから。そんな自分が大嫌いで、そしてひとよりでっかい自己愛から、そんな自分を愛してる。等身大の自分、かわいい。惨めで、生きてる意味なくて、ぐちゃぐちゃの自分。そんなんなら早く死になよって気持ちと、一生そのまま足掻いていてねって気持ちは、ちゃんと共存してる。
こんな言葉で許されるなら、"女の子"って感じでかわいいね。自分。

なにもできなくても、あなたが好きよ。って言葉がすき。それは純愛。でもこの言葉がすきな理由はきっと、わたしのことを、わたししかそう思っていないし、わたし以外しかそう思っていないから。ごめん、ぐちゃぐちゃだね。伝わらないね。
つまり、わたしだけが、なにもできない自分が大好きで、大嫌いだから、ずーっとひとりで自分の背中を掻きむしってるってだけの話なんだよね。ほんとうは、わたし以外の人達って、わたしが思ってるほどわたしに興味ないから。全部自分のせいなの、こんなに苦しいの。でも、かといって、自分しか自分のことなんか愛してくれないんだよ。
わたしのことを、好きだと言ってくれる人たちの気持ちが嘘だと思ってるわけじゃない。みんながかけてくれるやさしい言葉で、こんなメンヘラ女は何とか生き延びているわけだけど、それはそれとして、「わたしという全ての要素を愛してくれる人なんていない」ってこと。嫌なとこいっぱいある。めんどくさいところも、人としてどうなの、みたいなとこもいっぱいある。そういうのを、受け入れてくれる人はきっといると思うけど、愛してくれる人はいないから。
人の苦しみを比べちゃだめ、なんてこと言ってるけど、本当は、「社会になじめない、つらい」みたいな話、わたしよりマシなくせにって思って見ちゃうこともある。わたしより頑張れてるのに。そんなこと言わないで、そんなこと言ったら、わたしは、わたしは……って思っちゃう日もある。
ひどいこと言わないでって、わたしのこと大事にしてって思ってるくせに、人には「そういうところが嫌われちゃうんだよ」って思うこともある。
自分がいちばんめんどくさいくせに、「め、めんどくせ〜……」って思うこともたくさんある。

割とおおらかとか寛容だとよく言われるけれど、それって全部、大して人に興味がないだけじゃない? と言われてる気分になるし、実際自分もそうだと思う。そして、それを言ってくる人も、わたしのことをよく知らない。知れば知るほど、汚いとこはいっぱい出てくる。人間だから。しかも出来が悪めのね。
ほんとに、みんなのことだいすきなんだよ。それで、わたしのことはだいきらい。
そう思ってるんだけど、本当は、本当に愛してるのは自分だけで、本当はみんなを好きなふりしてる自分が好きなだけで、どうでもいいと思ってるんじゃないかって思ったら、もう全部不安になってきて、わたしが好きだと思ってるものが全部、「それを好きな自分が好き」なんじゃないかって思えてきて、もう何が好きなのかわかんなくなって、あ、ねぇ、もう、どうしたらいいの?

わたしを構成する要素が、ぼろぼろ崩れてく。誰かに「そうだよ」って肯定してもらえないと、自分が感じる全てのものに自信が持てない。だから、いいと思ったものはぜーんぶ共有してしまう。みんな興味ないって思っても、いいと思った音楽も、食べ物も、小説も、全部全部、「それ私もいいと思った!」って言葉でやっと、自分はあってたんだ、正しい感性なんだ、これをすきだと思うのは間違ってないんだって思う。そんなの失礼だよね、全部に。
どれだけすき!って思ったものも、ひとつの否定的な意見を見ると、なんか急に冷めてしまう。そうなの? そうなのかもって思っちゃう。おいしいと思ってたものが、なんかあんまりおいしくなくなる。かわいいと思ってたものを、かわいいと言い出せなくなる。
わたしも本当は、わたしだけの宝物が欲しいよ。

結局他人軸で生きているんです。みんな大好き!って顔をして、本当は、誰のことも大事にできない。みんな大嫌い!って顔をしながら、でもわたしを、わたしの好きな物を肯定してって思ってる。そんな虫のいい話、ないのに。

だから早く、惨めでかわいい自分のことを、もっと愛してあげたい。ちゃんとできる理想像の自分を捨てたい。そして、等身大の、一日なんの生産性もなく息を吸って、たくさんカロリーの高くて体に悪いものを食べてしまって、毎日お風呂で、おふとんで、泣いてしまうひとりの女の子を、愛してあげたい。そんな自分が、いちばんかわいいから。

完璧じゃない完璧主義なんて捨ててしまえ! いいからまず家から飛び出て、海を見に行く想像をするんだ。最近よくする。布団の中の自分は、いちばん自由だ。
電車に乗っても緊張して気分が悪くなったりしないし、外でずっと不安で動悸がしたりもしなくて、指先の震えもなくて、自由に、「綺麗だな」だけ思いながら、景色を眺められる。帰りは、少しおいしいごはんを食べて、「また明日から頑張ろう」って思う。そんな想像を、布団の中でよくしている。

毎日不安だ。どうしたらいいんだろう。30分で済む外出すらこわくて、もう、一歩も出たくなくて。そんななのに一年後には大学受験も終わって、大学生しながらバイトとかしなきゃとか思うと、もう不安で不安で、ありえない。そんなの、できない。できなくてもやるしかないんだけど、でも、できる想像がつかない。
逃げ出したい。お得意の逃げ癖で、一刻も早く逃げ出したい。もう、なにもしたくない。勉強も、頑張って生きようと思うことも、ご飯を食べることも、寝ることも、もう、全部やりたくない。つかれた。もう、考えるのもつかれてきた。
わたしごときの生活でそんなこと思うの、もうどんな生活もできないだろって思うんだけど、そう思ってしまう自分も愛してあげたい。

死にたくない。けど、生きてたくない。もう全部不安です。たすけてほしいです。そう思うけど、そんな自分を助けられるのも自分だけだと思うと、このほっそいふるえた指先が、自分ながらに情けなくて、頼りなく思います。

まず、0か100か思考をやめたいです。ちょっと人生上手くいかないことがあって、「あーもうずっと人生こうなんだ……もう死にたい……」って思っててもキリがないので。はい。

だけど、どんだけ死にたくても、逃げ出したくても、もう目が覚めなきゃいいのにと思って目をつむることがあっても、急に泣いちゃっても、まだこうやって息を吸っている、わたし含むおまえたち!全員 おまえを愛してね。みんな愛してる、なんて言わない。その代わり、自分で自分を抱きしめてあげてねって思う。それが、わたしの思う最大級の愛です。

じぶん!だーいすき♡ と三回唱えて、今日もおやすみ。

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