香乃

少しずつ、書くことにも慣れていきたいのではじめました。 25歳。雑記。

香乃

少しずつ、書くことにも慣れていきたいのではじめました。 25歳。雑記。

最近の記事

あしがつかないですがごまかす

ひとは、あしのつかない思いをしている頃、どういうふうにそれと暮らしているのだろう。あしつかないの、ひょっとしてわたしだけですか。なんだっていいんです、みなさんどうしていますか。 わたしは、この20代後半という何事においても経験の年数が少ないそのもどかしさに、ぼうっとしていると飲み込まれてしまう。 血肉、毎日増やしていくもの、と思うそばで、今現在重厚な発信を自分の体から行えないことからくるさみしさに毎日打たれてしまう。さみしい、それは誰かと会話をしていたいという日常のものがお

    • ひと思うエネルギー

      ひとを、深く思いすぎてしまう。 思うとき、わたしの感情のエネルギーをほとんど余りなく使ってしまう。 それの芯が負の感情であることは殆ど無い。 わたしは、ひとを好きになってしまう、そして体力を使いすぎてしまう。 今年に入ってからというもの、友達が欲しい、と思うようになった。 数少ない友人の数でわたしの大切なひとのパーセンテージを割っている今は、それはそれで悪いことなんか無いのだとは思うけれど、 例えば軽い付き合いなんかで、少しずつでもわたしにさらに加わっていくものがあれば、よ

      • 心配、自由に

        早く帰るんだよ。 これさ、冷たいみたいだね。 夜になり、わたしの前には誰かがいて、早く帰ろう そう自分が思うのではなくて、誰かにわたしがかけたり思ったりする言葉。早く帰るんだよ。 わたしのなかで、自然とこの言葉が在るとき、わたしはその誰かを大切に思う気持ちで満ちている。 あまり遅くなると、駅からすぐとはいえひとりの夜道だよ。あまり遅くなると、寝るのが遅くなってしまうよ、明日も予定があるんでしょう。 こんなことまで口にしてしまうのは控えていたいところだが、時折ぽろっと溢す

        • 力尽きかけ

          熱がこもる 夏と共に手放したい。 体を嫌なかたちにしたものや 煙や、油や、均された光、とにかく、熱、熱全部熱のもの 逃げるために立つシェルターの中に、小さな生き物よ 地面から2メートルのところを猫が泳ぐ 下で乾き切った瞼からコンタクトレンズが生まれる もうひどい体たち

          音をこぼしているとき

          わたしは音をすぐ、遠くにやってしまう類の人間だ。 目の前にあるものないし頭のなかのもので感覚の器がすぐ満杯になる。そのときわたしの体はいちばんに耳からのものをこぼしてしまうのだ。仕方の無い理由として、聴力が弱いというのはあるけれど。 例えば本を読んでいるときに、人に呼ばれる。体は「はい、はい、」と口を使って答えているようだが、脳にその詳しい情報までは届いていないようで、そのときどんなやり取りをしていたか、全く記憶にないことが多い。ときには、耳を塞ぐように声の音という段階から

          音をこぼしているとき

          海は待つようだが

          こんにちは。 日記として使うのでよろしいのでしょうか。ので、ので。 世間は土日と月で三連休ですが、 わたしは今週月火水のおやすみをもらいました。 普段から二連休があまりないので、なにか、夏休みだね、というような。暑いよね。 昨夜、そういうわけで長い自由時間に入った。 シャワーを浴びて眠るだけの前に気持ちの昂りがやってきて、車に乗りました。おんぼろアパート在住。どうしてもでかい音で毛皮のマリーズの曲が聴きたかったしわたしもでかい声で歌いたかった。 適当に走りながら五曲くら

          海は待つようだが

          昨日は繰り返し

          はさみで、手を切ってしまった。 三日間で二度も、わたしは学んでは忘れるのです。 血が出ることがおそらくひとの倍は苦手なのですが、なにかおかしくてここに書きます。 一度目は、実家にて。 家を出るときにクローゼットにしまい込んできたわたしのありとあらゆるものを、そろそろ処分せねばと、そして何年も前に撮った、履歴書用の写真を切り刻んでおりました。 自分の顔を切り刻む、何ら抵抗はありません。今より少し幼い顔、かわいらしくて、ぴたぴたの肌。 わたしは世間というには及ばず、身の回りのこ

          昨日は繰り返し

          ものが起きては

          はじめまして。 液体をひろうのが好き、と、 それがわたしのすること、と思っていたのですが、 それでは具体的なものものに囲まれているこの人びとに、まず目も向けてもらうきっかけすら失われているのではないかと、それはみんな分かりきっているからものを拾い上げているんじゃないか、と、 またひとつ沖に流された昼休み、そして浮き輪を掴むように文字を探す夜。 最近になって、こんなことはただの歩行だと、体も認識するようになりました。 ただ歩くことは、言葉通りとしても間違いのなく好きなことで

          ものが起きては