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『SCIENCE FICTION』走馬灯とトラルファマドール星人

(※だんだんポジティブになっていく文章です)

宇多田のベスト『SCIENCE FICTION』の曲順、どうしてこうなった?リリース前から謎だったけど、実際に通して聴いても尚しっくりこなかった。

1から作り直した再録から始まるのは分かる。ディスク1最後が活動休止時の『Goodbye Happiness』2は最新曲『Electricity』なのも分かる。でもその間の並びはというと、音楽性やストーリーのリンクを見い出せる箇所は少なく、展開も不自然に感じられ、全体的にチグハグな印象を受けた。

本人にとっては心地よく、何かストーリーもあるのかもしれないが、私にはシャッフル再生のような無秩序な印象がどうしても拭えなかった。単純に音の展開の好み?音楽的生理?が宇多田と私で違うんだろう。出だしのAddicted―First Love―花束―One Lastの4曲からもう分からない…。感情もテンションも迷子になる。

音楽性がどんどん変わる人なので、25年分をまとめて1つの流れ・うねりを作ってストーリーテリングしろと言う方が無茶なのは分かるが、それでももう少し自然な並びに出来たのでは…?と思ってしまう。(「自然な流れになんて無理だから、中途半端になるくらいなら完全にてんでばらばらにしてまえー!」ってことかもしれないが。完璧主義の宇多田ならあり得る)

とはいえ昔からベスト作りには消極的だった宇多田が再録までして何とか形にしてくれたベスト盤。なんかしっくりきませんでした、で終わってはもったいない。どうせなら肯定的に受け止めて楽しみたい。以下は私がこのアルバムをおもしろがるための勝手な解釈です。

走馬灯

宇多田ヒカルからは、デビュー当初からいつもどこか「死/終わり」の匂いを感じていた。楽しそうな歌でも、いつまでもパーティーが続く感じは全然しない。常に終わりを感じながら儚いこの一時を慈しみ精一杯楽しんでいる、というような切なさがあった。明るい曲調で別れを歌う『Goodbye Happiness』なんかはThe 宇多田、This is 宇多田で、私の中の宇多田性を象徴してる。

そんなイメージが強いからなのか、おもしろがろうとしてまずパッと思ったのが「走馬灯みたい」だった。走馬灯の体験談には「過去の記憶がランダムに次々フラッシュバックする」ケースが多い。これまでを振り返る意味もあるベストアルバムで、今と過去の曲が無秩序に次々押し寄せる感覚は、そのフラッシュバックのようだなと。

選ばれた曲は当然宇多田にとって意味深い大事な曲(memory)だろう。「宇多田が死ぬ間際に見る走馬灯を疑似体験できるアルバム」と思えば、なんと尊いリストだろうか。むしろ無秩序であればあるほど尊さが増す気さえしてくる。

1曲1曲が宇宙に点在する星々

シャッフル再生でさえ偶然イイ並びになることも少なくないのに、本作は(私からすると)ほぼ完璧なほどバラバラで、そのバラバラの方に意図を見出す方がよほど無理がない。すべての曲が互いに交わり合うことを拒絶しているよう。

近い曲を並べてへんに文脈ができないよう、ある曲が次の曲の前編みたいな役割にならないよう、起承転結としてまとまったストーリーにならないよう、それぞれが個別に、独立した物語として響くようにしている、作品の矮小化を避けている、と思えた。であれば音の質感までバラバラに配置しているのも腑に落ちる。

"SF"になぞらえると、宇宙に点在する星々のイメージか。曲間の静寂は星間の真空で、私は宇多田に連れられ次の星また次の星へと何かの儀式を淡々と遂行するかのように音のない空間を静かにゆくのであった。(二時間だけのバカンスMVの優雅さ出てきた)

時系列無視はリリース順だけでなく1枚のアルバムとしてのストーリー=時系列にも及んでいるのかも。無視や破壊というより、解放?過去~現在の時間軸、直線的な因果関係の縛りから個々の作品(事象)を解放する。(お、ハードSF感出てきた)

トラルファマドール星人

時間軸なく点在するイメージとタイトルのSFから連想したのが、ハードSF作品に度々登場する、人間の時間感覚を超越した異星人だ。

カート・ヴォネガット・ジュニアの小説『タイタンの妖女』や『スローターハウス5』に登場する"トラルファマドール星人"が有名で、彼らは常に、過去現在未来のすべての時間を同時に一望できる。映画『メッセージ(原題:Arrival)』には円環状の言語を用いる異星人が現れ、彼らも同じ特性を持っていた。(SFとは違うけど『進撃の巨人』のエレンもそうだったな)

未来を見ながら今を生きる彼らには「未来をより良くする為(=変える為)に今をがんばる」我々の価値観が無く、現在より未来、古いものより新しいものに高い価値を置くこともない。あらゆる時間は等価で、フラットに扱う。(ニーチェの"永劫回帰"がベースにあるのかも)

文学とSF映画が好きな宇多田であればこのへんは知っていそうで、インスピレーションを受けてるのはあるかもしれない。

時間といえば、最近のインタビューでこんなことを語っていた。

―私新譜かどうかって意識なくて、その人がその曲に出会った時が新譜

―何十年前の曲だろうが最近出た曲だろうが同じ感覚で聴くんです

―みみっちい単位じゃないですか、1年とか。(宇宙の時間でみたら)25年なんてたいした時間じゃない

―年齢とか時代とかそういう細かいことはあんまり。それを超えた何かにすごく興味があります

日本テレビ「with MUSIC」2024.4.13

文字起こししながら、本作の曲順コンセプトともすごく通じる内容じゃない!と。これがすべてを語ってますね。

普通の人間の時間感覚と時間への価値観を超越し、自らの25年という時間もトラルファマドール星人のようにパッと一望し、あらゆる時間(曲)をフラットに扱う時間芸術家・宇多田ヒカル…本当に地球人だろうか…。

あなたはどの銀河系出身ですか?

『Electricity』宇多田ヒカル

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