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【それ哲ラジオ1周年】約10万回視聴の御礼。そして、幸せな人が多くあるために自分ができること。

1年前に「哲学の面白さを広めたい!」という気持ちだけで実兄と始めたそれ哲ラジオ(哲学ポッドキャスト)。

気づけば総再生回数が95,000回、配信回数が100回を超え、
1週間に聞いて下さる方が2,000人を超えるようになりました。

オーディエンスの規模=1週間の視聴者数とのこと。

こちらは1年前と直近の再生回数のグラフ。
200倍の成長率は、自分が1番驚きです。

基本は右肩上がりで、本当に有難い限りです。

Apple Podcastランキングの哲学カテゴリでも、2位にランクインするように。

1位が強すぎるけど、いつかはトップを取りたい!

今回はこの1年を振り返りつつ、今後の予定や見通し、目指したいことについて書いていきます。

1年続けて自分の中でも日常になっていますが、改めて現在地と目標を明確にすることで、これからも熱量高く続けるきっかけになったらいいなと。

それでは、さっそく始めていきましょう!

振り返り:公園のような場所を目指して

まず、これまでそれ哲ラジオ内で取り扱った哲学者・思想家・テーマを振り返ってみましょう。

ソクラテス
プラトン
アリストテレス
ブッダ(釈迦)
ナーガールジュナ
デカルト
カント
唯識(無著・世親)
ヘーゲル
中世神学(アウグスティヌス/トマス・アクィナス等)
キルケゴール
ニーチェ
禅(菩提達磨/馬祖)
インド哲学
サルトル
レヴィ=ストロース
デリダ
意味について(ドゥルーズ/山内得立)
臨済

1年で19テーマ・107回をお届けしていました

こうして見ると、まだまだ少ないなとは思いながらも、古今東西、有名どころを中心に色々な方を取り上げてきたな!と感じます。

ニーチェやブッダ~ナーガールジュナのようにもともと好きだった方も居れば、カントやヘーゲルのように、難しくて出来れば読みたくなかった方も居ります。

ただ「ポッドキャストを通じて皆さんにお届けするぞ!」という気持ちがあればこそ、自分の「好き」だけではないモチベーションで哲学者・思想家について学んでこれました。

自分一人では理解を深められなかった(深めたいと思えなかった)人や考え方についても、ある程度踏み込んでインプットができたのは、まさにそれ哲ラジオというアウトプットの場があればこそ、でした。

また、開始から半年後の回で出た表現ですが、それ哲ラジオを「公園のような場所」という言葉が、実は非常に気に入っております。

1年やってきて何ですが、やっぱり「哲学」って取っ付きにくいと思います。

出来る限り分かりやすく、知りたいと思っていただけるように取り組んでいるつもりですが、「難しいから聞くのつらくなってきた」という感想を目にすることもありました。

これは自分自身の至らなさではありますが、やっぱり「哲学」自体に含まれる事情もあると思います。

それは、ある程度ちゃんと理解しようと思うと、そもそも自分が物事をどんな風に考えているか?に目を向けなきゃいけないし、その上で、常識とは異なるような人間観や世界の見方に触れざるを得ない営みだからです。

とはいえ、授業でもないのに博物館のように哲学を陳列して、お堅いものにしてしまっては、「哲学の面白さ」があまりにも台無しになってしまいます。

その意味で「公園」という、老若男女だれもが気軽に、ふらふらっと遊びに来れて、色んな遊具や運動用具を扱いながら、憩いの場としてつい来てしまうような場をイメージすることで、もっと気楽に、分かっても分からなくても楽しめるし面白い、そんな自由な距離感を大事にしたいな、と考えられるようになりました。

どうしても仕事が忙しかったり、子どもが熱を出したりすると気楽さが減ってしまうのですが(収録当日の夜中の2時半頃まで台本作ってるときもありました。リスナーさんからお気遣いいただいたお便りが本当に有難かった・・・)、こうした「それ哲ラジオとの距離感」が自分の中で固まってきたことが、1年間を通じてやってきて、1番良かったなと感じることです。

そうじゃないと、楽しんで続けることも難しくなってしまいますしね。

今後の予定:扱いたい哲学者・思想家・テーマ

始めた頃は「果たして本当に続けられるだろうか?」というのが悩みでしたが、今は「取り上げたい人やテーマが多すぎて、どうやって学んでいこうか?」というのが悩みです。

そのぐらい、学べば学ぶほど、哲学の面白さにハマっていってます。

現在は臨済(中国の禅の流れ)を取り上げていますが、その後はフッサールの現象学とハイデガーの『存在と時間』を紹介していく予定です。

その上で、ドゥルーズの流れで改めて興味を持ったベルクソンも紹介したいですし、時代は大きく異なりますが、物事を固定化せず流れの観点から見るという意味において、中国の古代哲学としての老子荘子も扱いたいです。

また、大きな流れの中では扱いにくかったですが、やはり日本の人達も扱いたい。

そうなると空海は外せないですし、最澄はほぼ知りませんが、皆さん名前はご存知だと思うので、取り上げたら面白がっていただける気もします。

鎌倉仏教は全員の深堀りは難しいと思いますが、親鸞の悪人正機説はキャッチーですし、道元の『正法眼蔵』は普通に学びたいし、一遍の時宗も興味深いです。

ここまでは日本仏教の流れですが、そもそも日本に思想ってあるの?という話題については丸山眞男の『日本の思想』はぜひ取り上げたいですし、西田幾多郎も外せないでしょう。

また、改めて西洋哲学に目を向けるなら、現代哲学により近づく中で分析哲学(フレーゲやラッセル)も学びたいですし、その流れでヴィトゲンシュタインや、ほとんど学べていませんが名前をよく聞くクワインクリプキもいずれ取り上げると思います。

また、これまで扱えてなかった思潮としてのイギリス経験論プラグマティズム、またはもう少し古代に遡ったときのストア派プロティノスの思想なんかも、改めて取り上げたいテーマです。

加えて、哲学以外の観点で、物事を考えるときに重要と思う領域として物理学や生物学があり、一般相対性理論素粒子物理学進化論ユクスキュルの環世界のような考え方は、それ哲ラジオでも積極的にお話してみたいと考えています。
(哲学以上に素人なので、どこまでしっかりお伝えできるかはチャレンジですが!)

ざっと挙げてみましたが、ここで太字にしたものだけでも24テーマあり、この1年で取り扱ったテーマよりも多いという状況です。

その意味では、有難いことにネタ切れになるのはまだまだ先のようです。

かつ、取り組んでいる中で更に関心が深まるテーマもあると思う(そういえば、上記に入れる隙がありませんでしたがブーバーの『我と汝』とかも取り上げたい)ので、これらのことを学び・台本にし・収録する時間を取りながら、仕事や子育てにしっかり取り組んでいくことが、引き続き自分の主な生活の仕方になりそうです。

今後の目標:目標なき目標を目指して

突然「目標なき目標」とかいう、分かりづらい言葉を書いてごめんなさい。

もともとは「それ哲ラジオを通じてこんなことを実現していきたいよ!」ということを書いていたのですが、全然しっくりこなくてめっちゃ書き直していました。

と言いますのも、実際、以下のようなことはやってみたいことではあるんです。

・出版社と組んで出版社と組んでやってみたい
・哲学者の方をゲストにお招きしてお話を伺ってみたい
・哲学関連のイベントとかに呼ばれて話してみたい
・それ哲ラジオを通じてキャリア支援をする方を増やしてお仕事の方とも接続したい

とはいえ、「じゃあこれらが目標か?」と言われると、なんとなく違います。

これらができなくてもそれ哲ラジオは続けたいですし、結局自分が楽しむことで聞いて下さる方が楽しんでいただかないとコンテンツって正しく続かないので、やりたいことも自分勝手には決められないな、と感じます。

かと言って「哲学の発展」とか「一般層への浸透」みたいなものも、その一助になったらそりゃ嬉しいなと思いますが、そもそも自分も一般層側の人間で哲学側ではないわけで、立ち位置からして違います。

そんな風に考えてみると、どこまで行っても自分は素人なのであって、それが強みにも弱みにもなりうるのだな、と改めて感じています。

強みとしては、運営における圧倒的な自由度です。

まず間違いなく、自分が専門家=プロの哲学者であったなら、こんな風に気楽に・自由に・興味関心のままにテーマを定めてお話することはできなかったはずです。

一方で弱みとしては、繰り返しになりますがその立ち位置の曖昧さです。

組織に属しているわけでもなく、仕事でやっているわけでもなく、あくまで趣味でやる以上、世の中を巻き込むビジョンやミッションのようなものがあるわけでもありません。

ただ、1年間いろいろな哲学者の思想に触れてきた中で、立脚点を定めないことの強さがある、とも感じている自分がいます。

つまり、「自分はコレコレを目指しているナニナニである」という状態にあえて自分を置かないことが、かえって強みになるのでは?という予感です。

これは
「真理を知ってこの世の苦しみから逃れたい」とか、
「自分の考える力を高めて正解に辿りつきたい」とか、
「人間として生まれた以上、過去の偉大な思想を知らなきゃ損だ」とか、
そんな風に思って哲学や宗教について学んでいた頃の自分とは、まったく違うスタンスです。

こうしたスタンス・心境になったのがほんのここ1か月程度のことなので、まだまだ綺麗に言語化できていないのが現状です。

ですが、この「目標なき目標」を目指す、つまりあえて未来に掲げた的としての静的な目標を定めるのではなく、
あくまで動的に、常に自分の在りたい姿を更新し続けながら「それ哲ラジオ」という場に関わり続けるというスタンスであること自体が、今の自分の目標になるのではないか、と思った次第なのです。

これは、イマココを大事にして未来を見ない、ということとも違います。

プロセスを重視しつつ、力点はちゃんと未来=到達点に置いておく。

到達点が何かが分からないからこそ、その解像度を高めるために進んでいく。

その意味では、週2回のそれ哲ラジオの更新は、自分にとっての楽しみでありつつ、人生の修行のようなものかもしれません。

そしてこの体験は、死ぬ間際に人生を振り返ったとき、こんな風に30代前半で哲学について純粋な気持ちで学び、誰かとその楽しさや面白さを分かち合えていた(しかもそれを実の兄と行っている!)という経験は、絶対に「やっててよかった!」と思うはずです。

だって、こんなに贅沢で楽しくて、誰かの役にも立てる可能性がある時間の使い方、他になかなか思い浮かばないですもんね。

結論:世の中に幸せな人がひとりでも多くあるために


・・・なんだか、話がだいぶ大げさになってしまいました。

とはいえそんなに大げさな話でもなく、こんなに素敵なことができるのも、この活動を理解してくれている(少なくとも容認してくれている)家族がいて、自由度高く仕事をさせてくれている会社のメンバーがいて、こんな自分を面白がってくれる友人がいて。

こんなに素晴らしい思想を考え尽くした哲学者がいて、その人たちを理解したいと思った研究者がいて、それを本にして世に広めてくれた編集者たちがいて。

何より、哲学に興味を持ってそれ哲ラジオに出会い、聞いて下さるリスナーの方々と、週2回よくわからない話に付き合いつつも、しっかり編集も公開も文句も言わずにやってくれる血のつながった兄がいて。

この状況自体が、すでに自分の人生においてあり得ないぐらい恵まれているというか、もったいないぐらいに幸せなことだと思うのです

そして結局、自分がずっとやりたいと思っていて、今後もやっていきたいとことは「世の中に幸せな人がひとりでも多くある状態に貢献する」ことで、それ以上でもそれ以下でもないな、と感じるのです。

思えば哲学を学び始めた動機もそれ(=自分が幸せになりたい)でしたし、大学で心理学を学んだのも、新卒でエンタメ系の仕事に携わりたかったのも、いずれも「自分が関わる人の人生が少しでも幸せ側に寄っていく」ことをやりたかったのでした。

自分が誰かを幸せにできる、というのはおこがましい(家族や友人ぐらいは頑張る)ですが、そういう状態に世界があるように、まずは自分を幸せにすべきだし、その上で自分から世界に働きかけて、ひとりでも幸せな人が多くあるように、できることをやっていきたい。

もしかすると、それ哲ラジオはそのために、これからも続けていくのかもしれません。

これまで聞いて下さった方、そしてこれから聞いて下さる方に、最大限の感謝と、できれば少しでも幸せを届けられるよう。

そのためにやるべきこと(目標なき目標)を見出すためにも、これからも楽しく、出来るだけ長く取り組んでいくことが、まずは自分のできることかなと、このnoteを書きながら思い至りましたので、今後ともどうぞご贔屓のほど、よろしくお願いいたします。

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