エヴァの余韻

三月の末にエヴァンゲリオンの劇場版を観に行った余韻がまだある。
すごい映画だった。

すごいと思うポイントは色々あるが、僕が思うのは庵野秀明から生み出されたものは何か確からしいものがある。と観た者に感じさせる強引さと、強引な展開が多いのに支離滅裂にならない手前をキーブしつつ観た者を驚かせる冷静な演出力だと思う。

庵野秀明はエヴァンゲリオンをロボットアニメだと思っているらしいが、本当にそう思っているかどうか怪しい。(わざとそういう事を言って世間を騒がせようとしているような気がする…)
エヴァンゲリオンというロボット(人造人間)が活躍するアニメであることは間違いないが、エヴァの周囲で起こる人間模様にかなりの分量が割かれていることも事実だと思う。

僕の印象としてはエヴァには「他者とわけ隔てなく伸びやかに生きたい。でも生きられない」人物がたくさんいて、そういった内面の葛藤、悩みがエヴァンゲリオンという得体の知れないロボットや、エヴァが戦う敵(使途)などを生み出しているように思う。



庵野秀明の創作のエネルギーの流れはこんな感じなのだろうか。

伸びやかに生きられない(庵野さん自身?)→葛藤・悩みを抱え込む→破壊衝動→エヴァ→誰も見た事のないビジュアル→庵野秀明が作りたいもの

もしかしたらこの逆なのかもしれないし、全く違うフローで作ったのかもしれない…。

こういうことすら考えても分からないように庵野さんは敢えて煙に巻いた発言を繰り返しているような気がする。それが完全にわざとだとしたら本当に上手い演出家だなと思う。
何を考えているのか分からないのにみんなから好かれて、映画を作って大ヒットするってどういうことなのか、未だによく分からない。そんな人は彼の他にいるだろうか。

同じアニメーションの映画監督である宮崎駿や押井守のドキュメンタリーを見ると、彼らがどういうところで苦労して、どういう意図があって作っているのかがよく分かるが、庵野秀明のドキュメンタリーを見てもそういうのがあまり伝わってこない。疲れた表情で畳の上で寝ころんでいるシーンはあったが、「カメラマンはこういうのが撮りたいんでしょ?」って思っていそうな姿に僕は思えた。

大学生の時、大学に庵野秀明と著名な漫画家の人が来て、対談のイベントを観に行った。そこでもやはり、彼が何を考えているのかよく分からなかった。圧倒的なオーラと情熱を持った得体のしれない人?だと思ったことを今でも覚えている。(想像していたよりも背が高くてびっくりした)

庵野さんの素のキャラクターがそういう人なのかもしれないが、作品以外で自分のことを語らないスタイルは、誰しも思っていることを安易に発信できるようになった現代では逆に強いというか、魅力的に見えるような気がする。

なんか作りたい→なんか作りたいと思ったことをツイート→なんか作る→なんか作ったことを報告→次のなんかが上手くいかない→なんか上手くいかないことをツイート→急に休む→急に休むことをツイート

みたいなのはネット上では多い。
(作品を作るのが目的ではなく、作品を作ろうとしている私を評価して欲しいと言っているように見えなくもない。)
というか、僕の小説の執筆日記も、まさにそうではないか。
小説以外で僕はこういう人間です。と知ってもらいたい気持ちが入り混じっている気がする。

執筆日記と小説は勿論全く別なものだし、日記は日記だと思っているが、庵野秀明ほど一貫していないな。と、この投稿を書きながら思った。




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