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いらぬ遠慮



また見送る日が近づく


台湾で暮らしていて避けて通れないのが 仲良くなった友人との「別れ」だ

台湾は日本からの駐在も多く ありがたいことに友達ができたりするのだが 駐在の場合100%いつかは帰国するため 遅かれ早かれ「その日」はやってくる

台湾に住んで最初にできた大切な友人も およそ2年前に日本に戻ってしまった

今まで何人かの「その日」を見送ってきた

そして また1人 大切な友人の「その日」が決まったのだ

それなのに今現在 悲しいとか 寂しいとか そういう感情を無にしている自分がいる

本当は嫌だし 帰って欲しくない

それはもう当たり前としてあるわけだが
感情のまま嘆く足掻く焦る ということではないのだ

見送ることに慣れたわけではもちろんないが 変えられない定めを受け入れるための消化方法を 自分の中で模索しているのかもしれない


本当は自分が何か力のある人間なら 友人のご主人に台湾支社のボスのpostを与えて 友人を一生傍に置いておきたい

友人のことが好きで 友人といる時間が好きで 友人がいるこの台湾が好きだから

それを全て失いたくないから


しかし よく考えてみる
自分がその寂しさを処理できないでいる間 相手はどうだろう


見送られる側は 悲しむ暇も無いほど様々な手続きに終われ 押し流されるようにしてあっという間にこの地を去っていくのではないか

そしてまた新たな生活を1から始めなければならない

もし自分が見送られる側なら その現実から逃げたいと思うだろう


慣れ親しんだ街や人に一旦区切りをつけるための時間を持てるのかどうか

ほとんどの人はそんな時間を十分に持てずに 感情も無理やり荷物と共に押し込んで蓋をするしかないのだろう


そんなことを考えていたら 寂しい、行かないで欲しいなんて言ってられる自分が なんだか相手に申し訳なく思ったりもするのだ


わたしには 友人の帰任が決まると 必ず発揮するものがある

それは
「配慮」と称した「いらぬ遠慮」だ

先にも書いた通りで 相手のことを思って相手の時間を大切にしたい、して欲しいという「配慮」から会いたいけど誘えない「いらぬ遠慮」がでるのだ


見送り前に限らず 昔からそんな「いらぬ遠慮」をするくせがある

それは相手のためになってないことの方が多いのに

帰任前というのはとにかく忙しい
きっと会いたい友人はたくさんいるだろう
行きたい場所もやっておきたいこともたくさんあるだろう
つまりは忙しくて大変だろう

なんて
自分が逆の立場だったら 忙しいかどうかは自分が決めるんだからどんどん誘って欲しいと思うのに
なぜかこうして変に遠慮してしまう

お互いが忙しいかな?と思ってすれ違ったまま遠くなってしまった友人もいたし
後悔することもあるのに
なぜかその時になると悪い癖が出る



もうすぐまた友人が台湾を去る


今わたしは寂しさや悲しさよりも このいらぬ遠慮を克服しなければならないのではないか


世界中どこにいようが 会いたいと思う人には会いに行けばいいし 会いに来てくれる人を大切にしたい

常にそう思っているが 誰もが想像もしなかった世の中

気軽に会いに行くことが難しい今
大切に思う友人と遠くなってしまうのが怖い


だからこそ「いらぬ遠慮」を見極め その不安に打ち勝ちたい



好きだから誘う 会いたいから会いに行く
と言って何度も誘い連れ出してくれた友人のために


「いらぬ遠慮」は捨てて
来たる「その日」には笑顔で送り出したい




ありがとうの感謝を込めて
















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