7月文章会

こんにちは。文芸同人誌「神奈」の東田尚道と申します。note初投稿です。

このアカウントでは文章会について、「神奈」の制作について発信していきます。

この投稿では7月に実施した文章会についてご報告します。OneDriveを利用して作品と批評を共有する会です。やりとりはOneDriveとLINEグループで行うので、どこにいても参加できるというメリットがあります。デメリットは参加者同士の交流が深まりにくいことでしょうが、私個人の見解としてはこれくらいのゆるい繋がりの方が気楽に思われます。


7月文章会

概要
参加者:東田尚道(H)、松風陽氷(Ma)、三津凛(Mi)、カジノマユ(Ka)、黒部裕(Ku)以上5名

東田尚道「バンダナ」
作者コメント:掌編を書こうとしてこの作品を書いた。格好良い女と格好悪い男の対比を意識した。街の雑踏の中で出会った二人はすぐに別れるが、いずれ街のどこかで再会するかもしれない。(「一期一会」は悟った心構えのように思われるが、よく考えてみると、再会の可能性を否定するペシミズムと、もう会えないのだから今のうちにやれることはやっておこうという意地汚さを含意しているように思う。)

Ma:声を掛けたり会話を広げようとしたりすることなく、返事も生半可な「ああー」といった具合のアキが、最後別れ際に初めて振り返って「じゃ」と声を掛ける。このシーンがとても興味深かった。アキはきっと、今まで自己中心的と思える程押せ押せで来ていた主人公が心の穴を察して何も言わずにそっとしといてくれたこの行動が嬉しかったのかもしれない。例えその行動理由が、言葉に迷って何も言い出せないだけだったとしても、「そんな風に自分の心中を慮るが故になにも言えなかった」ということに好感が持てたのだろう。また、以前のアキは頭にバンダナを巻いており主人公に熱く夢を語った。頭にバンダナを巻くなんてそんな奇抜なファッション、相当自分に自信がある人でなければ出来ないだろう、アキは自分の夢、自分自身に自信を持っていたのだ。しかし、今のアキは自分に自信を失い、現実から目を背ける様に喧しいダンスフロアへ来た。彼女はジントニックを掲げたりしてゆっくりと飲み、バーへの誘いにあまり乗り気で無さそうに答える。ダンスフロアにいた時はまだ笑顔があったが、バーに移行した瞬間から彼女から笑みが消える。アキはダンスフロアという場所特有の現実逃避を求めていたのだ。
これらの事から考えられるに、アキは夢を諦めてしまって酷い傷心状態にあることが伺える。埋まらぬ穴の虚無感に苛まれる苦しみ、不意に何処かへ消えてしまいそうな程の不安定、それらを背負う華奢な背を、心苦しく見つめる主人公。二度と会えないかもしれないと思う気持ちは次の瞬間「またどこかで会えるかもしれない」に変わる。この心境の変化はアキが振り向いてくれたからなのか、主人公が言いたい言葉を見付け出し伝えることが出来たからなのか、はたまたその二つが重なったからなのか。前向きな出来事が続いた事でポジティブな思考回路になったのだろう。真っ直ぐで素敵な主人公だと思った。

Mi:まず文章の写実性でいえば投稿作のどれよりも丁寧だと思った。背景がすっと、頭の中に描かれていく。その流れが終盤まできちんと手抜きなく続いていく。こういう書き方は勉強したい。ただ、時折説明ぽく感じてしまうのが難しいところ。
主人公たちが今時の目的が定まらない若者の典型だと感じた。安易に海外に飛び出て、そこで見たものや得たものを持ち帰れば夢が叶うはずだと臆面もなく登場人物に言わせるあたり、リアルにもあるよねこういうの、と共感しながら読んだ。ストーリーラインそのものは、展開のある程度読めるものでよくいえば安定している、悪くいえば平坦な印象を受けた。
「もう会えないかもしれない」
という終盤に主人公が感じる哀しさみたいなものは、個人的に好きなモチーフでああいう心理は人間らしくていいと思った。最後に出た言葉が「諦めんなよ!」というのは陳腐な気もしたけれど、それしか出てこなかったんだなと主人公の人生の甘さとか限界を感じさせた。

Ka:小説という型は既に完成されていると感じる。所々に散りばめられた情景描写も美しい。場所や服装や仕草を事細く書き、それも小説の型としては正解の道筋を辿っている。だが個人的には感受性を揺さぶられることはなかった。それは個人的な好みの場合だがもっと狂気を見せて欲しいということだろうと思う。あまりにも型から逃れない為に、悪く言えばありきたりな結末というような感覚を得た。情景描写は美しい、そうして理にかなっている文章はたしかに何度も言っているように正解だと思う。型破りな作品を読んでみたいと思った。

Ku:小説は、簡単に言えば、物語と文体の、面白さや切実さで読ませるものだと私は思っている。物語がとても面白ければ、たとえ文章に凝らずにさくさく書いたとしても、それがその作品をより良く見せる手段となることもあり得る。一方、物語が単調である場合には、文体で魅せないと読者が退屈してしまって、伝えたい情報が十二分に伝わらないということが起きる。だから、物語のインパクトが薄いときは、日常の一コマやちょっとした出来事を、文体の力で彩らないといけない。つまりは文体のオリジナリティを全面に出さないといけないのである。小説には他の要素もあると思うが、そのうち大きな要素であるところの、物語と文体の関係性について、私はそのように考えている。
今作『バンダナ』の場合、私は、物語と文体のどちらか、あるいは両方の面で、若干の物足りなさを感じた。どこかで読んだことがあるというわけではないが、物語と文体の単調さが否めなかった。ただ、作者と作品の距離感や、小説としての流れは仕上がっていると感じたので、細部における調整を上手くすれば格段に面白くなる気がした。作品のテーマをダイレクトに伝える切実さも、文体の工夫によって編み出せると思った。
(もちろん、以上のことは、私の好みや読みの問題でもあるので、全く無視してもらって結構です。)



松風陽氷「首輪の様な物」
作者コメント:主人公の女性は幼馴染の「彼」に対してはプラトニックな愛を、今の恋人である「貴方」にはフィジカルな愛を望んでいた。年齢を重ねるにつれてフィジカルの比重が大きくなって行く。「彼」と目が合い、非現実的で幼かった恋を蒸し返す。少々ヒステリックで実に「女性らしい」主人公は目を背ける様に現実で溺れることを求め、マフラーを首輪に見立てた。

H:フォントが可愛い。
恋人に宛てたライン、というような設定なのかな、と想像した。ジャンルを特定することは難しいが、詩に近い気がする。
この女性は、他に好きな人ができたら首輪なんて引きちぎってその人を追いかけていくんじゃないかな、と思った。「貴方」と呼ばれる「私」の恋人に果たして彼女を飼いならすことができるのだろうか、と疑問に思った。この女性を主人公にした長編小説があったら面白いだろうな、と思った。

Mi:あえて口語で表現されているから、女の執着や諸々の感情の生々しさを感じる。ただ主人公からはあまり知性は感じず、いたずらに感情に振り回されて駄々をこねているだけのような印象も少し受ける。それだけに読んでいて最後になにを言うのか、ちょっと予想できてしまうところが玉に瑕なのかな……とも。それを作為的に狙っているのかもしれないけれど。
比喩としての首輪と、物理的に彼女を縛るものの存在が交互に読んでいて頭に浮かぶ。この辺は結構面白くて、こういう書き方は個人的に好き。

Ka:濃密で濃厚な熟された物語という感触を受けた。大人の女性感がある文体。だが読んでいて胃もたれを感じるような作品だった。個人的な好みがさっぱりとした女性の物語が好きだからだと思われる。愛がなんだ。恋がなんだ。それくらいの気概で彼女は生きて欲しいと思った。

Ku:読者に語りがすんなりと入ってくる文体が確立されていて、素晴らしいと思った。女性らしい語り口ではあったが、しかし、あまりにも我儘であるように感じた。私の好みの問題かもしれない。こういう女性が実際いるのか疑問である。また、実際いたとしても、この作品の文面をみた瞬間に100パーセントの男性が振ると思われるのにこれを書く馬鹿な女性も少ないだろう。小説や詩に狂気を添えることが必要なことは多いが、これは狂気となる以前にただの我儘になってしまっているように思う。もう少しリアリティに注意を払えば、女性の語りにさらに切実さがこもって、もっと作品全体が光る気がした。(もちろん、以上のことは、私の好みや読みの問題でもあるので、全く無視してもらって結構です。)



三津凜「それは模写のように……」
作者コメント:なし。

H:孤独をテーマにしているというのが伝わってきた。作品全体を貫く感傷的な気分を少なからず共有することができた。終盤の反復が印象的だった。
詩と小説が融合したような不思議な文体。改行した後に一字下げしないのも、小説であればおかしいが、詩であれば問題ない。冒頭だけ一字下げてあるのはなぜだろう。最後を見ると、最後の部分は一字下げされていない。
彼氏なんていそうに見えなかった会社の先輩に実は大学からの彼氏がいて、しかも彼女はその彼氏と結婚して寿退社する、というアイデアが面白かった。先輩が「私」を上目遣いで見る場面を読んで、先輩と「私」の間に性の磁場が発生しているように感じた。その後で「私」とミナコが肌を重ねるので、この場面が伏線として機能しているのかな、と思った。
トシヒロとの関係、ミナコとの関係、どちらについてももっと詳しい描写が欲しかった。しかし、作者の意図は別のところにあるようなので、これは一読者のわがままに過ぎない。
「胸を掻かれる」は、「胸をかきむしる」からきたのだろうか。
「最初に弾くに2、3曲」
「に」が不要。
「?」の後は一字空けるのが一般的。

Ma:自分のことを「可哀想」、トシヒロのことを「分かりやすい男」、先輩のことを「哀れ」と言うところから、この主人公がいかに物事に対して冷笑的な見方をしているのかという事が伝わってきた。しかし、そうは言ってもトシヒロが演奏せず裏方をしている事に対して寂しさを感じたり、先輩がトシヒロのいない演奏でつまらなそうにしていることに可愛さを感じている所からひしひしと伝わってくる主人公の人間らしさ。人間は矛盾を孕んでこそ人間なのかも知れないと思った。
ざわめきの中で取り残されているという言葉でゲーテの「誰一人知る人もない人ごみの中をかき分けていくときほど、強く孤独を感じるときはない」という言葉を思い出した。人と人が分かり合うことは永久に出来無い、と言われている様に感じて寂しく感じると共に、だからこそ人は個性が豊かであって分かり合えないのはアイデンティティを確立させているが故なのかとも思った。実に皮肉な話である。
前に使った文章を度々持って来て繰り返すことによって、主人公がいかに過去に縛られやすい人間なのかということが伝わってきた。
主人公は自分を騙して生き続けることにしたのでしょうか、全体的に暗いような雰囲気のお話だったので最後に微笑んだのがとても印象的。最後にどの様な微笑み方をしたのかによって主人公の本心が変わってくる様な気がして、そのシーンの想像を膨らませて楽しんだ。小一時間は考えていた(←暇人か)。題名のそのままで考えると恐らくミナコの模写の様に「馬鹿にする風でもなく、憐れむ風でもなく」純粋な笑顔で笑ったのだろう。そう考えると、主人公は心の底から自分を騙しながら生きることを受け入れ、「ベートーヴェンの模写をするミナコ」の模写をする人生を選んだのだろう。それは些かばかり狂気を孕む。しかし、これが「寂しそうに微笑んだ」、「作り笑顔で微笑んだ」、となると話は別になってくる。寂しそうに微笑むと、頭では分かっているが心が付いて行っていない様な雰囲気になり、作り笑顔だったら盲信的になりきれない自分に対して、ミナコやベートーヴェンとの「溶け合えない孤独」を痛ましい程感じている様な雰囲気になる気がする。

Ka:個人的に好きな文章。主人公はペシミストだろうか。とても展開が豊かな小説だと思う。個人的に豊か過ぎて付いていけないので、一人一人の描写をより深く書いてもらいたいと思った。ミナコの言葉の端々が身に詰まってくる。孤独をテーマにした物語であると思うが、その孤独も一般的ではなく、作者の技量によって色が付いている。美しいと思った。

Ku:物語に合った文体がほぼ完成されているように見受けられる。そのため、小説という枠のなかで非常に座りの良い形式を持った作品となっている。文章の胎動や言葉の波動をみだりに氾濫させることなく、無駄にすることもなく、抑制が効いていたので、作者や物語世界の感受性を、ある程度は共有することができた。内容については、小説全般においてある種の毒気のようなものが用いられることは往々にしてあると思うが、この作品では、その配分とえぐみが少し強めだと感じた。私の好みの問題かもしれない。 多くの人を引き込む美しい文章でありながら、根本の部分で一人に食いつきそうな毒気を放っていて、その孤高性がまた多くの人を惹きつけるのだろうと思った。その点で、危険なにおいもしたが、気づいたら、透き通る文章を最後まで読み通していた。作者の力量であろう。(もちろん、以上のことは、私の好みや読みの問題でもあるので、全く無視してもらって結構です。)



カジノマユ「落墜」
作者コメント:なし。

H:好きな文体。自閉的で絶望感の漂う、あっけらかんとした透明な文章は、一定数の読者には受けると思う。内容に関して、個人的にはドラマチックな展開が欲しいが、それは好みの問題だろう。
三島「金閣寺」の影響を強く感じてしまった。「『金閣寺』面白いよね!」というレベルで共感できるが、そうした共感はかえってカジノマユさんの作品を損なうように思う。「ライ麦畑」についても同じく。カジノマユさんの作品とサリンジャーの傑作を並べた時に、カジノマユさんの作品がサリンジャーの作品に力負けして乗っ取られてしまう危険を孕んでいるように思う。
「私」が会社を辞めた理由は結局明らかにされない。上司のエピソードによって暗示されるのみである。「私」の自分との対話はまだ始まったばかりなのだろう。
「チッキン」→「キッチン」
「ただ、でも」
逆接の意味が重複している。どちらか一つで良いのでは?
「大量に貰い。デバスでオーバードーズして」
「。」じゃなくて「、」
「デバス」
デパスでは?
「否応がし」
誤字
「孤独を傍受しろ」の意味がよく分からない。

Ma:最後の言葉が衝撃の告白みたいで面白かった。死んだ者しか愛せないのはどうしてだろう、何だか生きている自分が嫌いだと言っているように聞こえて少し切なくなるパワーワードだった。主人公は生きるという根源的で無意味なルーティンが苦痛に感じるのだろう。そしてそれから解放されようとして自殺未遂をする、しかし、死を直前にして「死は怖いものである」と気が付く。では、解放とは何か、どうすれば苦痛の繰り返しから解放されることが出来るのか、全てを捨てればそれで済むのか、どこを目指して歩んで行けばいいのか。猫の死体を見て入り交じる感情の中にある「不安」。主人公は死にたい訳では無い、あくまで苦悩から解放されたいだけなのである。死は生からの解放かもしれない、しかし、それは苦悩からの解放ではない。この主人公が救われることはあるのだろうか、ただ単純に生きる気力が欲しいだけなのであれば、死と隣合わせの危険地帯にあえて身を置けば良いし、生活に意味を求めるだけであれば世界中旅に出て様々な生活を見て学べば良いと思う。しかし、そうしてみて果たして主人公は救われるのであろうか。何となくそんな単純な話では無いような気がする。(←感覚)主人公は最後、通常量の薬を飲みハローワークに向かう、それはすなわち生きるという選択を意味する。そうして解放されたのであろうか、それともまだ苦悩の中なのか。哲学的に考えを巡らせて読むことが出来てとても楽しかった。

Mi:タイトルから、なんとなくギリシャ神話のイカロスが想像された。
自殺やメンタルクリニック、精神薬が登場したりと割と重めな内容だ。それを作者自体はとても冷めた目線、あるいは自らも似たような経験をしているからなのか解剖するように淡々と表現している。虚無感とか諦念、そういうものを小説そのものから強く感じる。自分が自殺することも「仕方がないよね」とどこか他人事に思って実行してしまう、そんな病みを描いている。
上司の存在が面白く、主人公にとっても大きなキーマンであったことが分かる。この上司は、場面によってその役割を変えて登場する。そこにちょっとしたご都合主義的なものを感じたが、それも主人公の病みがそうさせたのか薬の副作用でなのか想像の余地は広い。終盤で語り口がさらに客観的になるところが良い。そこでの冷静な自己分析に、この主人公も少しは自分を取り戻せたのかなぁと思う。ただ、自分は死ねずにぬくぬく生きながら(生きている人の間にいながら)、生きてる人間は嫌い、死んでる人しか愛せないというのはとても傲慢だしナルシストだなぁと思った。(貶してるわけじゃありません 笑)
そこに気づいてるようなフリをしているけど、本当は分かってないよね、と冷めた目で主人公を眺める自分(読者)がいた。

Ku:たまたま最近読んでいた『赤目四十八瀧心中未遂』とどこかしら雰囲気が似ているなと思いながら読んでいると、作中にまさかその作品名が出てくるとは思わなくて驚いた。私小説的に、絶望的な状況の切実さを伝えようとする気概は嫌いではなかったが、主人公が会社を辞めた理由が明かされなかったり、説明や情報の不足によって、自己憐憫に留まってしまい、切実さはあまり伝わってこなかった。主人公や文体が冷静すぎる上に、透明感があるので、本当に切実であるのかさえも疑ってしまう。また、他力本願で目標がなく、漠とした絶望感で冷めた目をした若者は、案外現代社会の典型である。細部の感受性の豊かさはたしかに光っていて、この作品を彩る魅力であると感じるので、典型を外してゆけば作品がさらに生きてくると思った。
(もちろん、以上のことは、私の好みや読みの問題でもあるので、全く無視してもらって結構です。)



黒部裕「朝日」
作者コメント:誰もが持ち得る抑えようのない狂気を有した自己の実存に苦悩する青年の話であるが、青年は、その苦悩の救済を他者に甘んずることなく、自己の中のみに追求する方法を選択する。そのため、登場人物が一人となり、また、青年の現実世界との関わりも断片的かつ不統一に描かれるため、奇妙な流れをもった怪奇的な小説と言える。
この分量では、どうしてもご都合主義的な側面が否めず、説得力が持てなかったのかもしれない。また、小説としての面白さも、書いた当時あまり介意していなかったので、なかなかテーマが伝わらず、成功的とは受け取られないだろう。ただ、自閉的な気持ちを追求した先に、自律的に、なにか光のようなものを発見できる構造が欲しかった。そういう希望の形を求めて当時のめり込むように書いていたことを記憶している。
次は登場人物を増やすなど、別の手法で、なるべく小説的な面白みに注意を払って、狂気といったものや自己への徹底した不信などのテーマに向き合っていけたら、と今のところは考えています。

H:カクヨムですでに一度読んだことのある作品。
語り手の主観は他者によって相対化されることなく、公衆便所という「全てを受け入れる場所」に排泄され流されていく。行き過ぎた主観、すなわち狂気を吐き出した語り手は、人ごみの中に帰っていく。
目立ったストーリー展開は読み取れず、意識の流れを詳述することに主眼を置いていることが分かる。豊富な語彙を駆使して鮮やかなイメージが描き出されている。

Ma:主人公は夜の怪異にでも化かされたのだろうか、そう思える程突飛で狂気的なお話だった。様々な姿で様々なシーンに飛び、自己破壊的な行動ばかりとる。死にたいと思っているのか脱したいと思っているのか壊れてしまいたいと思っているのか、朝日を救いだと思ったのか、はたまた、繰り返す不幸だと思ったのか。それを考えるのがとても楽しかった。主人公は何を求めていたのだろうか、加害者に対して翻す為の反旗だろうか。もしそうだとしたら、加害者はエゴに塗れた大人だろうか、社会全体だろうか、もしかしたら搾取する側として身近に、カースト上位の同学年かもしれない。実は自己破壊を求めていた、という線もある。自分で自分を壊してしまえば壊そうとしてくる奴はいなくなるから。人から傷付けられる前に、標的を破壊してしまおうと考えたのかもしれない。または、何も望んじゃいなかったのかもしれない。もしそう言われたとして「それは無いでしょ」と反論出来る程の完璧な解釈は出来なかった。何があってもおかしくない様な気がして、考えれば考える程ゾクゾクした。
最初、一人称が「ぼく」であったのに、「ぼくは……いや、オレは、」の台詞の後から一人称がオレになる。「オレ」という一人称で語る時は「〜してやる」という上から目線の語尾を多用し実に攻撃的な言動をする、そして、また再び公衆便所に戻った時、家畜同然に思っている奴から下に見られるかもしれないという不安に駆られて「ぼく」に戻る。それ以降はずっと「ぼく」のままで語っていくが、6ページめの「愛が何だって尾崎豊や長渕剛みたいな深みも経験もないくせに」のあたりから攻撃的な質問を投げる、この質問者は「オレ」なのだろうか。とすると主人公は解離性同一性障害チックな状態なのかもしれない。そういった所から精神状態の混乱が伝わってきた。
ジェットコースターの様にスピード感があって、読んでいて楽しかった。節々に感じられる言葉選びのセンスが自分の好みだった。

Mi:個人的に好きな文体。豊富な語彙と自意識の強さが、たった一人きりで進んでいく小説の世界観ととてもよく合っていたと思う。夢なのか現実なのかよく分からない空間と時間軸の中で、主人公の抱える精神世界のようなものが次第に現れてくるのが良い。作者コメントで「自閉的」というワードがあったけれど、この小説の世界観を一言で表すなら、まさにそれだろうと思った。多分意図的に無駄な舞台装置や登場人物を廃したストーリーは効果的にテーマとマッチしていたと思う。男性器や公衆便所という、読んでいて臭気の漂ってきそうな背景に作者の思想というかこのテーマを描くことへの性癖のようなものを感じた。
語彙の豊富さは、ほかに投稿されている作品よりも頭一つ抜けていたように読後改めて思う。

Ka:自己閉鎖的で怪奇的な小説だった。語彙が豊富で素晴らしい。結局のところ主人公の世界は夢であったのかそれとも現実であったのかそれはわからない。最終的に主人公の狂気は去ったらしい。アマチュアの方で今まで読んだことがないような小説だった。1人で始まり、1人で完結する。あまりにも自己の精神世界に入り込んでいるので、他の登場人物を1人加えてみたら、もっと面白い小説になるのではないかと思った。淡々と語られる精神世界は自己陶酔しているような印象。
「耳に繋がりり」→「耳に繋がり」



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