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北海道の距離がくれる隙間で、書いている。

「発想力は、移動距離に比例する」という説があるらしいと知ったのは、いつのことだったでしょう。

広い広い北海道に住んでいて、取材先まで車で片道3時間なんてことは日常茶飯事。曲がりなりにもクリエイティブな仕事をしている私にとっては、ピンポイントで自分事。その説を知ってから、自分なりの検証をつづけていましたが、今辿り着いている個人的な結論としてはこんな感じです。

「北海道だから、この距離があるから、書けている」。

私が文章を書けているのは北海道にいるからなんだろうなってこと、数年前からぼんやりと感じていました。天塩川沿いの道をひた走る道北からの帰り道、冬の小樽の路地裏を歩きながら、鹿に注意しながら進む夜の峠道。取材の後の帰り道、私はいつも、頭の中で文章を書き始めています。

こんな風に書きだしたらどうかな、大きな方向性はこんな感じでいきたいな、あのときの写真大きく使えたら良いな。そうやってひとり編集会議を開ける時間が、いつだってたっぷりあるのです。しかも大抵は車の中に一人きり、車窓から見えるのは広い広い北海道の風景。長距離移動は決して楽ではないけれど、あの時間にある頭と心の自由さは何にも代えられない。そんな風に思います。

丘の上の放牧地より。雲が厚く、この後土砂降りに。

忙しさの測り方は人によって違うと思いますが、私基準で見たとき、この仕事はなかなかハードです。取材に行って、記事を書く。文字にするといたってシンプルですが、料理に仕入れや仕込み、後片付けがあるように、編集の仕事にもたくさんの細かい作業があります。

そして基本的には複数の案件が同時進行しているので、多いときで月10本ほどの取材を組みながら、2~3本の冊子を編集し、そのほかのプロジェクトを動かしていく。クライアントやデザイナーとのやりとり、スケジュール調整なんかをこなしながら原稿を書く時間を捻出するような日々で、大体いつもてんてこまいです。

ちょうど最近も忙しさのピークを迎えている中で、片道2時間の取材がぽつぽつと続きました。こちらからお願いしているもので、受けてもらえることがありがたいですし、取材自体はいつだって楽しみです。ただ往復4時間=半日×2件で丸一日分。それだけあれば原稿何本書けるだろう…という数字がつい頭をよぎってしまいました。

でも、いろいろな数字がよぎりつつも車を走らせて、取材を進め、また車を走らせて帰る中で頭に浮かんだのは、書けたはずの原稿の本数ではなくて、「移動時間がなかったら、たぶん無理だ」という確信でした。

前述したひとり編集会議もそうですが、移動時間に考えていることが山ほどあって。「ちょっと焦ってたけど、あの日程もう1-2日余裕みてもいいかも」という実務的なところから、「返信なくてやきもきしたけど、私の伝え方が悪かったかも」というような内省まで、たくさんの整理ができています。

日々てんてこまいな自分の思考を整理して、ぎゅうぎゅうになっている心と頭に隙間をつくる。そうして頭と心に風を通して、すっとした気持ちで文章に向かう。知らず知らずのうちに、ずっとそうやって文章を書いてきたことに気がつきました。

夏の終わりの、広葉樹の森。

「発想力は、移動距離に比例する」。

私にとっての距離は、アイディアを膨らませるものというより、思考を整理させるためのもの、だったようです。それはたぶん、編集という仕事が集めてきた情報をひとつに編んでいく、落としどころを見つけていくようなものだから。デザインやコピーなど、ゼロから生み出すタイプの仕事をしている人はまた別の感覚があるだろうなと思います。

この夏、取材のための移動距離は3,000kmを越えました。ざっくり、北海道の端と沖縄の端を結ぶ直線距離が2,900kmとされているそうです。それだけの距離と時間も、客観的にみれば何も生み出していないわけで、効率的とは言えないでしょう。

きっとこの秋も冬もてんてこまいの日々は続きますが、それでも。オンライン上でいくらでもコミュニケーションがとれる今の時代に、実際に足を運んで取材ができていることの幸せ。集めてきた情報の確かさ、移動時間がくれる心の自由を、手放したくありません。

北海道の広さには時々困ってしまうし、これからもなんだかんだぼやいてしまうと思うけれど。この距離がくれる隙間で、文章を書き続けていたいです。





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