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霧が晴れるまで

写真は昨日の16時頃の帯広の空。ピンとしていた空気が少し緩んで、これはもうすっかり春のはじまりです。明日の夜からまた雪予報ですが、空の色にも、空気のにおいにも、春がにじむ頃ですね。今年は車のバッテリーも上がらず、家の水道も凍らせずに冬を越せたので、ほっとしています。

最近、片道30-40分くらいのところまで歩いていくのが楽しいです。先週の日曜日は、映画館まで。昨日は、コーヒー豆がある雑貨屋さんとスーパーまで。今日は、パン屋さんとオーガニック食品のお店まで。ここに暮らしてもうすぐ5年になるのに、歩いてみると知らない小道がたくさんあって面白いです。

帯広の人はよく、東西南北を使って場所の説明をします。「うちは南のほう」、「あの東のほうにある店ね」。慣れると確かにわかりやすくて、それに倣えば、帯広川沿いの道を東のほうに歩いていくのが楽しいです。国道から少し離れていて穏やかで、いい散歩道です。歩いている時は、ラジオか音楽を聞いています。時々、電話もします。

オーガニック食品のお店、ふと思い出して寄ってみたら、求めているものがたくさんあってうきうきしました。石けんシャンプーも、ナチュラグラッセの化粧品も、ちょっといい調味料も、必要な時はここに来たら良かったようです。灯台下暗しでした。今日は、シャボン玉石けんの洗剤とおいしいチーズとチョコレートを買いました。

空の色がもっと濃くなって、水たまりの表面にうっすら氷が張って、歩道のアスファルトに氷が乗ってきらきら光って、ものすごくきれいな街の夕方。白鳥たちがすーっと飛んできて、川の向こうのトドマツにとまりました。飛んでいる姿か、泳いでいる姿しか見たことがなかったから、しばらく眺めてしまいました。飛んでいる姿は明らかに白鳥だったけど、木にとまっていたことが今でも不思議です。見間違いってことは、あるでしょうか。

その時だけ、随分遠い場所にいるような気がしました。実際は、よく行くスーパーの近くの堤防なのに。そして私は、白鳥が夜のあいだどうやって過ごしているのかも、木にとまることがあるのかどうかも、なんにも知らないんだなぁと思いました。ずっと遠くに行きたかったけど、ここにある世界は想像よりずっと広くて、面白いものなのかもしれません。

話は変わって、皆川明さんの「生きる はたらく つくる」を読み終わりました。今年に入ってから、島田潤一郎さんや、松浦弥太郎さんや、何かをつくってきた方の本ばかり手にとっています。探していたつもりはなかったのですが、いろいろなことに迷っていたから、自然と探してしまったのかもしれません。読み終えた瞬間のときめきについて、Instagramに書いたので良かったら読んでみてください。

本を読んだ後、片道30分、往復1時間の道を歩きながら何度も思い出すところあって。それは、若いときに迷うのは当然のことだと思う。に続く

そんなときはどうするか。霧が晴れたと実感できるまで、誰かの仕事を精一杯、全力でサポートすればいい。ただひたすら手伝うこと。

という文章です。批判的に見えてくるものがあってもよくて、目、耳、口をふさぐことなく、精一杯やること。それがとても大事なことだと、書かれていました。この文章を読んだ時の気持ちを書きたいのですが、いい言葉が見つからずにいます。背中を押してもらえた、諭された、気づかされた、励まされた。ぜんぶ正しくて、どれもがちょっとずつ違うんです。なんていうのかな。ほんとは、伝えたいのにな。

ただ一つ、この冬ずっと迷ったり、見えなくなったりしている感じは、霧みたいなものだとわかりました。トンネルの中というほど暗くないし、雲ほどどんよりしていない。時々ちらっと向こう側が見えるし、光がさせばとびきりきれいで、そのうちなくなることを知っている。そしてこの本によると、晴れたと実感できるまで、とにかく精一杯でいればいい。それは今も、やっていると思えます。だから、たぶん大丈夫。

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思ったよりも長く書いてしまって、もうすぐ日付が変わります。明日、月曜日なのにな。今日も、ギターを弾きました。正確にいうと、鳴らしました。笑えちゃうくらいに下手だけど、たのしいです。今日もひたすら音を拾っていたら、私がギターを弾きたかったのは、好きな音楽をもっと好きでいたかったからだなって気づきました。曲を弾くために、じゃんじゃんじゃかじゃかのリズムを身に付けたいです。

それでは、おやすみなさい。


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