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希望と夢と才能について

ガーナには圧倒的に仕事が足りていない。

いくら学校に通って教育を受けてもなかなか仕事に就けないから、学校を中退したりそもそも学校に行かない選択肢を取る子供たちも少なからずいる。

私も、もしどうせ学校に通って勉強してもその先に仕事がありませんと言われたら、学校に通うモチベーションや意義を見出すことは難しいと思う。勉強そのものが面白くて好きだったとしても、その先に見えるのは将来への不安。

だから正直、その選択は理にかなっていると思う。しかしその選択肢が理にかなってしまう環境が何より理にかなっていない。

一念発起で都市アクラに来ても、ものを売るしかない。
マーケットにはたくさんの若者がいる。彼らはよくわからないブランド品や洋服・ベルトを売っている。

一日にいくつ売れるんだろう。
彼らはこの先何年何十年もベルトを売り続けるんだろうか。

私は彼らを見てそんなことを思った。


ガーナ有数の観光地であるケープコースト城に行った時のこと。

ケープコースト城の下にはたくさん木造の船が止まっていて、人がごった返していた。そしてなんだか異様な雰囲気を感じた。

突然、下の方から10代半ばくらいの男の子たちがこちらに向かって何かを投げてきた。

何かと思って拾って見てみると、自分が学校に行くためにスポンサーになってくださいと書いた手紙だった。その紙に石に包んで、ケープコースト城を訪れる観光客に投げて渡しているようだった。

私がその時一番最初に感じたことは、私と彼らとの間の大きな差・距離。
実質的な高さの違いが全てを物語っているようだった。
彼らを見下ろす私と私を見上げる彼ら。

結果的にそうなっているだけだが、自分が彼らを見下ろしていることがやるせなくて、恥ずかしくて、そんな行き場のない想いでいっぱいだった。

中学3年生の時に行ったモンゴルのホテルで、都市部の周りに埋め尽くされたゲルを見たときに感じたあの感情と同じだった。

私は自分の力でここに立っている訳ではない。私が見下ろしている彼らと何も変わらない。ただ日本という恵まれた国に生まれただけ。何かがどこかで違えば、私が彼らだったかもしれない。
私が私として生まれてきた奇跡と使命。

正直彼らが本気で学校に行きたくてこんなことをしてるかは分からなかった。お金を得る一つの手段としてやっているんだろうとも思った。ガーナは基本学校の授業料は無料。
一方で、彼らを信じられなかった自分。

その後私も浜辺に降り、紙を投げてきた男の子たちにこの辺りを案内をしてもらった。案の定お金ちょうだいと言われたので、ここら辺をガイドしてくれる代わりにお金を渡そうということになったのだ。

その浜辺にはなぜか豚がいて、なぜか世界各国の国旗が立てられてあって、なぜかサッカーのテーブルゲームが置いてあって、漁師のおじさんたちが網の修理や片づけをしていた。

一通り案内をしてもらい、じゃあお礼に…と言ってお金を渡そうとすると、周りにいた子たちも寄ってきて、渡そうとしているお金の奪い合いになった。
その時の彼らの凶暴さというか必死さが怖かった。もちろんだが、それだけ彼らはお金が欲しいのだ。
彼らがそのお金を何に使ったのかは知らない。

彼らは自分の人生や将来をどんな風に考えているのだろうか、希望を抱いているのだろうか。
いつかケープコースト城に来た大金持ちがあの紙を見て大金をくれることを期待して毎日自分たちを見下ろす観光客に紙を投げ続けているのだろうか。そこにはどんな希望が込められているのだろう。



自分の将来に夢を抱く若者にも出会った。

アマンフロムで滞在していたホテルの隣の商店で働いていた15歳のフランク

故郷の隣村から叔父さんの所に引っ越してきて、住み込みで働いている。技術学校で建設を学んで、将来は家族にとって重要な存在になりたいと言う。
照れ屋さんな彼は自分の夢を真剣に私たちに話してくれた。
彼の夢が実現することを心から応援したい。


サッカーの試合会場で出会った18歳のレザンダ

「Ghana is not sweat.」
彼は何度もそう言っていた。進学をしようと思ってもガーナ政府は奨学金を十分に支給してくれないから自分で稼ぐしかない。
だから彼は、アートの学校に行く資金を貯めるために今はドライバーの仕事をしていると言う。アメリカや中国などの大きな国に行きたい、ガーナを出たいとも言っていた。
確かにガーナではチャンスが少ないのかもしれない。しかし、うまくいかない原因を政府をはじめ外に押し付けていたらもったいない。
sweatな環境ではなくても、自分の行動次第で変えることができるものも絶対にあると思う。彼には自分で自分の道を切り開いてほしい。

やっぱり誰かの夢を聞くのはわくわくする。人生を前向きに生きようとするポジティブなエネルギーが伝わってくるから。


村のこどもたちからもたくさん才能を感じた。

サッカーがすごく上手な小っちゃい男の子。
自分より大きな子たちに混ざって、ボールを操る姿がキラキラ輝いていた。
教会でドラムを叩く男の子。
まだ10歳くらいなのに、堂々とした様子でステッキを振る姿が最高にカッコよかった。

この子たちの素敵な才能をたくさんの人に知ってもらい、もっとキラキラ輝いてほしいと思った。

ガーナにはたくさんの原石が埋まっている。
物売りをしている若者も、ケープコースト城にいた彼らも、村の子供たちも可能性の塊だ。何にでもなれる、何でもできる。
彼らはそれを認識しているんだろうか。自分が可能性の塊で何にでもなれることを。もちろん日本の若者だって同じ。
私も自分自身のことをそう思っている。

やはり私は、生まれ育った環境に関わらず、夢を自由に描け、実現できる社会をつくりたい。
実現できるかは本人次第だ。でも、自分は何にでもなれるという前提を持つには、周りの環境が非常に影響する。


日本では労働力が足りていない。一方でガーナでは仕事が足りていない。
自明の事実ではあるが、そんな世界の矛盾に憤りを覚えた。

おかしいじゃん。ガーナの人が日本に来たらいいじゃん。
そんな単純な話ではないが、どうにかできないかと思う。

国というものがどのようにして発展していくのか知りたい、経済について学びたいと心から思った。
大学の勉強のモチベーションがひとつ、実体験を通じて生まれた。

実感を伴う学びは最高に面白い。


ガーナの地で生きる若者から感じた希望と夢と才能は、私の燃料になった。


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