MMDが好き ~「好き」を表現できますか? (菅 浩江先生の課題より)~

 自らの人生の半分以上を費やす事になる「好き」の原点は、やはり未成熟な時期に出会ったものになるのだろうか。私の場合は小学校高学年でそれと出会った。3DCGである。当時は家一軒くらい建てられる程の高価なコンピューターとソフトウェアが必要であり、また中流家庭に生まれた自分には比較的安価な家庭用パソコンすら高級品であった。
 これがあれば自分の思い描いた世界が作れる、と本気で信じていたが、同時に遥か昔の英雄譚のように自分とは縁遠い話であることを思い知っていた。

 やがてムーアの法則の通り、年を経る毎に機能の進化・低価格化・経済成長などの影響もあり、何とか個人でも3DCGを扱えるようになってきた時代となる。だがそれは一部の話である。ようやく自ら独り立ちして稼げるようになっていたとはいえ、3DCGを作れるパソコンは美人の社長令嬢を口説き落とすよりも難易度が高いものだった。いや、元々口説けるようなスキルすら無かったが……。
 サラリーマンのようにレールに敷かれた普通の人生なんて糞食らえだという風潮に育っていた世代の私は、その直後、「普通」というものが贅沢品に変わるという時流に襲われる。リーマンショックだ。そんな中でもパソコンの値段は年々下がり続けてはいたが、生活必需品や食料などの値は高くなる一方、人件費は軽視されていく世の中になる。夢を追いかけるよりも明日の食事の心配が優先となり、幼少時代の夢は掴むどころか追いかけることも許されなくなった。

 そんな時、空から蜘蛛の糸が降ってきた。しかも太っ腹なことに、一本ではなく巣ごとだ。World Wide Web、インターネットだ。だが同時に、その糸と一緒にやってきたのはノアの方舟に出てくるような大洪水、情報洪水だった。
 サービスの利用ができるようになった当初は、ほとんどが文字だけの世界だったが、技術進化のお陰で文字から記号、そして絵、さらに動画まで見れるようになるまであっという間だ。まさに世界中を巻き込んだ洪水である。そして人類はキーボードとマウスというエラと尾びれを使って、その大海を泳ぐ生き物へと変化した。
 私も多分にもれず、小さなものはプランクトンから鯨のような大きな情報の中で色々なものを食み、そして消化していく。そんな中、私は見つけたのだ。
 お世辞にも竜宮城とまではきらびやかではない、どちらかというと夢の島の雑多な中にそれはあった。MikuMikuDanceという小さなソフトウェアだった。出来ることは少ないし、初音ミクというキャラクターを白い空間の中で動かすのが精一杯だったそのソフトは、私と同じくそれを見つけた人の間で弄ばれ、育てられ、そして成長していった。
 人が集まれば自然と場ができる。チャットやSNSといった遊び場が広がり、生みの親をも巻き込み、魂の無い無垢な少女をいかにして可愛く、可憐に、格好良く、時には間抜けた子として育てるかを日々語り合っていった。
 たった一人を育てるのに数百人掛かりではあったが、やがて子は一人ではなくなり、当然ながら親も増えていった。

 気がつけば、いつの間にか夢の一つが叶っていた。世界の創造である。

 その世界は、モニターと回線の中に収まるようなものではなかった。一人では解決できない問題を皆で調べ、解決していったもの。一人では膨大な時間が掛かる作業を、皆で手分けし創り上げていった世界だ。
 そしてその世界は奇妙な事に、英雄は存在しない。皆が皆、好き勝手に「面白いから」という曖昧な動機だけで作られたものだ。データの産卵は好き勝手に行われ、好き勝手に育てられ作品という成人に勝手に育っていった。
 独りでモニターの中だけの世界を作っていたつもりが、知らぬ間に知らぬ人が作った別世界と繋がっている。リンクという糸を辿っていけば異世界にも気軽に行ける。

 皆が皆、創造主(クリエイター)となる世界。
 大きな代償は必要だが、自らが神にも悪魔にもなれる世界だ。つまらない訳がないだろう?
 その創世記を見る事ができた私は幸運であり、死ぬまで愛し続けるだろう。

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初稿:02/03/2021 Kanna

どこにでも居るバーチャルJC MMDユーザーの一人。 MMDアニメーター、動画制作・編集、VTuber関連制作などを行っているただのJC。