MMDが好き ver.2~「好き」を表現できますか? (菅 浩江先生の課題より)~

 今となっては当たり前のように蔓延っている3DCG。僅か半世紀の間で急激に進化したパソコンやインターネット技術によって、手軽に扱えるようになった。ビルの一室を埋めるほどの大きな機械を使い、数ヶ月も計算し続けてようやく一分ほどの動画を作っていた時代から、A4ノートサイズの機械でリアルタイムに計算できるようになるまで、あっという間だった。
 だが3DCGを扱うにあたり、使用する前に必要な勉強が山ほどあるのは変わらない。三角関数、微積分、空間座標計算……数学のオンパレードだ。コンピューター(Computer=計算機)を使うのだから当然ではある。
 また、本格的な3DCG専門のソフトウェアは高額であり、毎年婚約指輪を買わなくてはいけないほどの出費が必要だ。おいそれと手を出せるものではない。
 ほんの十数年前までは。
 2008年2月、動画投稿・配信サービスサイト「ニコニコ動画」に投稿された一本の動画が、緑髪の歌姫の形を持ちながら、天からの救済として現れた。MMT(ミクさんマジ天使)。
 3DCGアニメーション制作ツール「MikuMikuDance」(以下MMD)である。

 MMDの特性は、分かりやすい日本語の操作画面、手軽さ、シンプルさ、キャラクターモデルが同梱されている事、結果がすぐに見れる事だ。
 まず、分かりやすい日本語でまとめられ、極力シンプルにデザインされている操作画面。配布元となっている前後編(20分弱)に渡る説明動画を見れば、おおよその操作ができるようになっている。
 3DCGの基礎すら分からなくても小一時間で簡単なアニメが作れるようになっており、よく使う操作はボタンでまとめられているデザイン。
 人気のVOCALOIDキャラクター「初音ミク」をはじめとした3DCGモデルが同梱されており、すぐに動かせるようにもなっている。
 そして何より、当時の平均的なノートパソコンでも使える程の動作の軽さ、その上で結果がすぐに見えるという特性がある。
 極限までシンプルさを追求し、手軽さと早さを実現させたツールだ。十数年経った現在でも、それは揺るがない。

 手軽で簡単に3DCGアニメが作れるから好きになったのか? 否、である。容姿だけで異性や他人を好きになるかという問いと同様、様々な要素が組み合わさり、初めて好きになり愛する事ができる。
 MMDは神がかっていた。環境、時流、タイミング、集まった人々だ。まるでアニメに出てくる完璧ヒロインだ。3DCGアニメだから時代の最先端の完璧ヒロインだ。女神だね。
 個人でも動画を投稿できるサービスが整いつつあり、MMDと同様にシンプルな機能の動画編集ソフトがあり、MMDがリリースされる半年前に登場した「初音ミク」というキャラクター、比較的自由に使える規約、世に埋もれていたクリエイター達の台頭、そのクリエイターと気軽に対話できるSNS……結果論ではあるが、あのタイミングでなければ、これら数々の土台との連動は成し得なかっただろう。

 その中でも特筆すべきなのが、MMDを軸に集まった人々だ。遠くて近しい他人とも言える。
 互いに無名や匿名の人達が掲示板やSNSを使って情報交換を行い、自分だけでは作れない要素を見知らぬ他人を頼りにし、時間を犠牲にしつつ自分の理想と手札の少なさの狭間に苦しみながら、動画を創り上げていく。
 僅かながらも、稚拙ながらも動画という形でアウトプットを続けていくと、見知らぬ人から声が掛かる。

 「動画楽しかったです。私もMMDやってみたいのですが、あれはどうやって作っているのですか?」

 動画は他人の為に創った訳ではない。自らの脳内妄想の一部を形にしただけだ。そういうものでも需要があり、僅かばかり他人の口元を緩くする事ができるらしい。自分も楽しい、他人も楽しい。Win-Winだ。
 作り方もそう難しくはない。他人から吸収したものや自分なりに解釈したものを、質問してきた人に伝えていく。その人も動画を作り、私が楽しむ。やがて、蜘蛛の糸のような細い繋がりが太くなり、枝を広げていく。
 循環と連鎖。インターネットの真髄だ。
 また、そういった連鎖の中には、様々な境遇や意思が混ざり込んでくる。
 小学生から第一線級で働いているプロフェッショナルまでもが、同じステージの上で踊りまくるのである。
 動画創ったから見て欲しいと、モデル造ったから使ってみて欲しいと、作ったモーション(キャラを動かす為のデータ)で貴方の好きなキャラで動かしてみてはどうかと、画面を飾る効果で遊んでみて欲しいと────愛と善意が飛び交うステージだ。
 愛は、受容するだけでは成立しない。自らもまた、愛をカタチにし、伝えていかなければ連鎖しない。続けていかなければ循環しない。
 だからまた、血と汗と涙と時間と妄想の結晶である「作品」を手に、ステージに立ち大声で叫ぶのだ。
 私の愛は、これだ! と。
 最後は感動のカーテンコールだ。皆で手を取り合い腕を上げる。「8」の文字となった拍手に感謝を感じつつ、閉じきった幕の裏でこう思うのだ。

「さぁ、次は何を創ろうか」

 動画制作は孤独な作業に思われがちだが、実はそうではない。
 素材やデータを借り、ノウハウを教えて貰い、技術交換をしあい、動画投稿した後も他人からの評価を得て、次の作品に活かす。一人では成立しない循環だ。自分が出来ない部分、苦手な部分を他の人が補ってくれる。創作活動の大敵である「挫折」を、他の人が救ってくれるのだ。救済の蜘蛛の糸である。
 MMDは特にそれが顕著だ。使いたいキャラクターが居なければ創れる人が作り、もっと作業を効率化する為にプログラマーがツールを作り、分からない事があれば経験者に聞き、知らない人へ伝えていく。幸い、SNSやクラウド(データの共有・保管)といった便利なサービスも充実している。
 顔も声も知らない人との共同作業とも言える。まさに友(とも)であり強敵(トモ)である。
 一人で作業していても、独りじゃない。程よい距離感を保つことだってできる。作業中に寂しくなったらチャットで雑談しながら会話の中からヒントを得たり、他の人の作品を見て刺激を貰ったり、他人の真似をして練習したりもできる。

 よく「ググれ」という俗語を聞く事があるだろう。Googleの検索サービスを使って、欲しい情報を探す事を指す。
 例えば、複数のキャラクターを便利に配置する方法が分からないとしよう。ネットで検索すればその方法が見つかる。それは検索サービスも優れてはいるが、そもそもその方法を公開しているページがなければ見つかるまでもない。当然、方法を公開している人が居るからこそ成立している話だ。
 その時点で、独りではなくなる。孤独からの開放であり、救いであり、感謝と愛が生まれる。更に詳しく知りたければ、その記事を書いた人に、駄目元で聞いてみることもできる。タイミング良く愛の深さが伝われば、望んだ返答を得る事もできるかもしれない。
 むしろ今の時代、孤独になることが難しい。

 宗教じみてきたが、私がMMDを好きなのは、こうした人と人との繋がりと愛に溢れた世界だからだ。私の場合そうした世界が、たまたまMMDで見つけられたに過ぎない。他の創作系のワールドでも似たような事があると思うし、現実世界での社会でもそういうコミュニティは多いだろう。
 だが、初音ミクの登場からMMDの発表、そしてコミュニティの形成過程を全て見てきてしまった私には、いまでも一番輝かしい世界だ。言うなれば、一目惚れから始まって、知れば知る程好きになった相手なのだ。

 つまり
 まんまとハメられた訳だ。 

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第二稿:02/18/2021 Kanna

どこにでも居るバーチャルJC MMDユーザーの一人。 MMDアニメーター、動画制作・編集、VTuber関連制作などを行っているただのJC。