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MMDの思い出話 #1 ~MMD杯創設~

長年JCをやっているものですから、歳のせいか最近物忘れしやすくなった感じがします。
『初心忘るべからず』とはよく聞きますが、そもそも忘れてしまっては元も子もありません。
なので気まぐれですが、色々書き残そうと思います。

■ コミュニティが2chだけ

 MMD杯を具体化したのは確かに私ではありますが、立案から行った訳ではありません。なので「MMD杯創設者」というのは間違いではないですけれど、ゼロから私が組み上げたものではありません。
 第一、面倒くさがり屋な私が、当時は始めようとすら思わなかった事です。

 2008年の春先の時点で、ニコニコ動画にはユーザーが互いにコミュニケーションが取れるようなものはありませんでした。また今のようなTwitterやSkype/Discordのような手軽なチャットツールもありません。
 なので完全にユーザーが個別に動いていて、互いの存在は知りえてもどんな人かまでは分かりませんでした。
 唯一コミュニケーションを取れる場が、2ちゃんねるのYouTube版「MikuMikuDance動画制作/鑑賞スレ」のみでした。当然ながら匿名掲示板なので、相当な理由が無い限りハンドルネームすら名乗る人は居ません。
 当時の様子はVPVP Wikiの過去ログ保管庫に残っています。
(現在は全てデッドリンクになっているので、過去の2chアドレスからアーカイブを検索して下さい)

 その中でひとり「hanya」さんという方がハンドルネームを公開しつつ、MMDのランキング動画を作りつつも、どのようなランキングやイベントをやれば皆が納得しやすいものが出来るかをスレッド内で模索しておりました。
 場所は2ch、互いに誰かも分からない場所では意見が一方向に向かうという事はほぼありません。
 (詳細は省きますが)hanyaさんは非常に真面目な方で几帳面なのか、全ての意見に振り回されてしまいます。
 MMD杯も最初は「作品比べるってどうなの?」や「AfterEffectsとかチート使われたら勝負にならん」とか「マイリス工作対策とかどーすんの?」など色々意見が出て、
「じゃ、”杯”じゃなくて”祭”にしよう」とか、既に発表していたレギュレーションや開催時期を変更するなど迷走してしまいました。
 hanyaさんは心が折れてしまい、誰か代わりにやって下さい……という流れになってしまいます。

 その時私が手を上げてhanyaさんの想いを組みつつ始めた訳ですが、なんで手を上げたのかはよく覚えていません。
 勢いもあったでしょうが、薄っすら覚えているのが「このままじゃ不味い」という思いだったような気がします。
 当時のニコニコ動画では初音ミクが登場する前から巨大ジャンルとしてあった、東方project・IDOL M@STERの動画イベントやコミュニティ醸成が盛んな時期でもありました。
 私は単なる視聴者の一人に過ぎませんでしたが、新しいジャンルの中で一番最初の動画イベントが挫折すると今後に多大な影響を及ぼす、と肌感覚ながら思ったのでしょう。
 結果、月刊MMDランキングと共にhanyaさんから引き継ぎつつ、当時の私のスキルが許す範囲でネットサービスやニコニコ動画の機能を勉強して創り上げました。

■ 最初はぼっちイベント

 既にこの時、色々なMMD動画が出回り好きな投稿者も居たのですが、何分コミュニケーションを取る方法がほぼありませんでした。メールアドレスを公開している人も稀でした。
 当然、協力者を募るのは2chスレの流れを見ていても難しいと感じたので、独善的に行うしかありません。
 他ジャンルの動画イベントを参考にしながら、ようやく完走できたのが第一回目の開催でした。
 しかし、厳密に言えばぼっちではありません。
 当時個人でサーバ運用していた「えへへ.jp」の管理者さんeheheさん(MMDユーザー)の協力を得る事ができ、ニコニコ動画のデータを引っ張る事が出来ました。
 さらに、ランキング制作用のツール「ニコニコランキングメーカー」のrankingroidさんのサポートも得られて、数値データや動画ファイルそのものを収集・集計するのに大変助かりました。
 むしろこれらの存在があったからこそ、ランキングもMMD杯もできたので、私の中ではこの2つは割とセットで考えてました。
 でも、お部屋で一人作業するだけなので寂しかったのは覚えています。

■ 徐々に育ったイベント

 特に第一回目の開催は、MMDというけっこう手間暇掛かる遊びでしたし、ユーザーはそれなりに居れど、締切に合わせて動画を作るとなると参加者は少ないだろうと見積もっていました。
 20~30作品も参加してくれれば良い方かなと思いましたが、59作品も参加してくれました。
 今から考えると非常に少なく思うでしょうが、当時としてはユーザー数もそう多くなく、予想以上の参加に驚いたものです。
 その後、開催を重ねるにあたり倍々ゲームとまではいかずとも、ユーザー数と共に参加者が増えていきました。
 それと共に環境整備や情報発信、運営メンバーの追加募集などをしていったものです。


■ 気をつけていたこと

 私が引退した後はcortさんが引き継いだのですが、ある程度の大まかな段取りと簡単な運用マニュアルを渡しただけで、特に細かいことは伝えてませんでした。
 それは元々私が独善的判断から初めたものですし、それを押し付ける事によってイベントの硬直化を避けたかったからです。
 それでもcortさんはある程度の意図を汲んでくれたのか、言わずとも守って頂いてた事もあったり、改革した部分もあります。

 動画イベントを行うにあたって気をつけていた事はそう多くはありません(細かい手順や方法論などは色々ありますが…)。
▶ 参加者をリスペクトする。感謝する
▶ 参加動画への導線を確保する。広報する
▶ イベント運営が開催期間前後は動いている事を定期的に告知する
 ……と、これだけです。
 基本的な考え方は同人誌即売会などとほぼ変わりません。
 この辺りの基本さえ抑えておけば、リアルでの会場を押さえたり警備をしたりとしなくて済む分、ツールさえあれば楽ではありました。
 苦労したという事であれば、やはり動画編集でしょうか。

■「選考委員」制度は何故つくった?

 開催当初の時期から、比較的他ジャンルに比べるとMMD動画はコメントが付きやすい傾向ではありました。ネタ動画なども手軽に作りやすかったからというのもあるでしょう。
 それでもやはり短文が多いので、「何が良かったのか」とか「どこが良かったのか」というのを知りたいというのは動画制作経験者なら思うでしょう。
 第一回目の時は私が独善的に賞を作って一言コメントではありますが、受賞作品を選びましたが……やはり説得力は薄かったと思います。
 なので第二回目からは運営メンバーも増えましたし、比較的フラットな状態での選考ができるのではないか、更にMMDではなく他のボカロ系動画を作ってる人からはどう見えるのか、というのを知りたくで作った枠です。
 MMDでなくても関連ジャンルや他ジャンルにも活動されている方の声を聞ければ励みにもなりますし、同時にMMDの認知度向上にも繋がります。
 ……というシンプルな理由です。
 まぁ賞金が出たり実質的な受賞メリットというのは特には無いイベントでしたし……。

■ 最後に

 ではMMD杯は何故今は無いのか?

 謎ですw




どこにでも居るバーチャルJC MMDユーザーの一人。 MMDアニメーター、動画制作・編集、VTuber関連制作などを行っているただのJC。